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文学・評論その1「司馬遼太郎の世界 いわゆる司馬遼史観」


本 本サイトで「イの一番(古う…)」に書きたかったのは司馬遼太郎です。同氏の作品は一部のエッセイを除いて、小説なるものは全て読みました。学生時代は、あるジャンルに偏って(いわゆるSFです)本を読んでいましたので、歴史小説には食指が伸びませんでした。で、ある人に「竜馬が行く」をお約束の如く勧められ、これまたお約束の如くドップリと音が出るくらい浸りきる事となりました。竜馬が暗殺される近江屋での下りは、ちょうど出張から帰ってくる新幹線の中で読んでいました。私、もしかしたら「竜馬!逃げろ!」なんて、口にしていたかもしれません。竜馬が「もういかん。脳をやられたきに…」と中岡慎太郎に告げる時、私はお恥ずかしい話、目に涙が滲んでいました。それくらい、一気に感情移入して、一気に全編を読みました。それからは当面は司馬遼太郎一色です。司馬遼太郎作品の中にちりばめられた言葉にはかなり「ものの考え方」に影響を受けました。しかし、時には本質的過ぎて戸惑うような言葉もあります。例えば「そもそも土地とは誰のものか」とか…。
    
我々の世代(オッサン)が持っている「歴史観」は、戦前までの「皇国史観」ではなく、まさに「司馬遼史観」でしょう。教育の場での歴史としては依然「皇国史観」が中心でしょうが、私個人で言えば年表をなぞって行くだけの味気ない世界で、その中で「人」が息づいている歴史を感じたのは漫画家白土三平の「カムイ伝」「カムイ外伝」を読んでからだと思っています。司馬遼太郎は歴史上の人物を、その怪物的(失礼)的な博覧強記でもって生き生きとした息吹を吹き込み、我々の前にその姿を見せてくれました。教科書的には平面の名前でしかない人物をあたかも「そこにいる」が如く、甦らせてくれました。その登場人物たちが、その時代その時代の空気を読む者にも吸わせてくれます。本当の話かどうかは分かりませんが、司馬遼太郎が一つの作品に取り掛かる時、神保町の古本屋から2トン車一台分の本や資料が消えた(同氏が集めた)といわれます。まさにそれだけの姿勢と作業で歴史上のキャラクターを抽出していったということの逸話でしょう。私はこの話、信じます。
 
今更私ごときが語るのも気恥ずかしく思いますが、竜馬は何度も映像化されていて、本音をいうと、あまり見たくありません。なぜなら、自分の頭の中にあるイメージが画像に置き換えられるからです。何人もの竜馬キャラクターが出てきます。司馬遼太郎の竜馬、まさに「司馬竜」ですが、本を読むだけで「手触り感」さえ感じる竜馬像が頭の中に浮かんできます。どうも映像化されたもの(特に役者)には毎度、違和感を覚えます。まあ、それはさておき、もし、これを読んでいない人がいたとしたら、「もったいない」、もしくは「これから読める楽しみを持っている」と羨ましく思えます。同氏の作品は、もう新しいものは生まれてきませんから。悲しい事に…。同氏の作品は全て読んできたと冒頭に書きましたが、途中で一度ページを閉じた作品もあります。「大阪城関連(豊臣家滅亡)」の作品です。理由は単純で、申し訳ありませんが「この辺りの事」はもう意外性も何も無くなってしまっていましたので。同氏は丹念に時代背景を書き込まれ、それが時には「冗長」に思える位のページ数を割かれます。それが司馬遼太郎たる由縁(学者もマッツァオの知識と歴史考証)なのでしょうが、「大阪城関連」だけは途中で一休みすることがありました。
 
明治という奇跡の時代を描き、日露戦争での秋山兄弟(坂の上の雲)、そして、幕末の新撰組、土方歳三(燃えよ剣)、高杉晋作(世に棲む日々)、西郷隆盛、大久保利通、そして桂小五郎、また維新の名誉に預かった元勲たち(翔ぶが如く)。明治という時代を学問、そして軍事といった物理的な力で切り裂いた村田蔵六、のちの大村益次郎(花神)、河井継之助(峠)。これらは全て司馬遼太郎が命を吹き込んだキャラクターだと思っています。
    
何年がかりで同氏の作品を読んできたか分かりませんが、いまさら「ご紹介」などというのも間抜けな話ですが、その話はどれを読まれても面白い。のみならずして、その登場人物の言葉に知らず知らず、感化されます。もし、司馬遼太郎を読まれていない方、もう一度言いますが、「これからこれを読めるとは、羨ましい…」、です。その方は、書棚に並ぶ司馬遼太郎の名前で本を選べばよいだけです。どの本を手にしても、全て、引き込まれます。
    
同氏の作品について書き始めたら、いったいいつ終わるのやら、となりますのでこの辺りにしますが、「梟の城」は同氏のデビュー作といっても良いかと思います。数少ないフィクションですが、やはり歴史というリアリティの中で物語が進んでいきます。忍者が主人公です。あと「空海の風景」も是非! 空海が日本でよりも海外で評価が高い理由が分かります。空海に対する私のイメージは、日本のレオナルド・ダ・ビンチ。
 
余談ですが、人は「忘れる」という素晴らしい資質を持っています。いずれはまた、司馬遼太郎の作品を読み返して楽しめるのが、もう作品を生み出してくれない(既に十分な量ではありますが…)事へのせめてもの慰めです。

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