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文学・評論 その10「万葉集 千数百年経っても変わらぬ人の情と思い」


本 手元に万葉集の本があります。下巻。上巻は引っ越しの時の段ボール箱にそのままで、どこかに行っているようです。これはこちらに来て買った本で2代目です。かなり古くなって色焼けしています。古今集や新古今集ほどの雅やかさや洗練された表現はありませんが、私はこちらの歌の方が好きです。万葉集自体、勅撰なのか私撰なのかも明確ではなく、私撰にしても編者に橘諸兄説や大伴家持説などがありますが、私は雰囲気的に大伴家持であると思っています。まあ、そこはハッキリとしていませんが、一度にまとめられたものではなく、色々な経緯の中で最初の数巻が八世紀半ばにまとめられ、その後、家持の死後も増補され、今我々が目にする二十巻は九世紀に入って完成したもののようです。いずれにしてもこの万葉集は日本で最も古い歌集で、日本の文学史にとっては第一級の資料です。ちなみに「万葉集」の意味は「万の言の葉(よろずのことのは)」で、「多くの言葉(歌)」を集めたものというのが一般的な解釈でしょう。
  
万葉集はいわゆる「万葉仮名」で書かれており、要は、その時代の日本語の「音」をそれに近い音を持つ「漢字」で代用したものです。ですから「音(表音)」では一致していても「訓(表意)」では一致していません。中には一致しているものもあるようですが、殆どが「音」を当てているものです。例えば「あ:阿、安、足、吾~」「か:可、何、加、香~」「さ:左、佐、沙、者、草~」「た:太、多、他、田、立~」などです。ちなみに「漢字」の日本への伝来については昔、学校で「王仁(わに)博士」という人物が三世紀に伝えたと習った記憶がありますが、正確には漢字の伝来時期を特定できません。「後漢書」にある「漢委奴国王(かんのわのなこくおう)」という実在する金印から考えれば一世紀ですし、秦の始皇帝の「徐福伝説」が本当なら、紀元前、という事にもなります。

とにかく、大陸か半島から人が渡来してきて、その者が漢字を知らないという事は考え難い。ですから私は紀元前から日本に漢字は不完全ながら、あったのではないかと思います。万葉仮名は「古事記・日本書紀」でも使われており、漢字は漢字として、その後ひらがな、カタカナへも発展していったのでしょう。日本語の漢字の「音読み」「訓読み」、そして「表意」と「表音」を両方持つという特殊な言葉の原点は、この「万葉集」の「歌」から始まったのではないでしょうか。その後、様々に洗練されて。ところで、万葉仮名は、平安時代辺りにはもう「どのように読んでいいのか」分かり難くくなっていたようです。
   
万葉集には四千五百首以上の歌が集められていますが、とくに規則性は無く、天皇(大君)、貴族から庶民までの歌が並べられています。その数ある歌の中で、確か、西国へと向かう防人の妻が夫を見送る時に詠んだ歌がありますけど、私の一番好きな歌です。「信濃道は今の墾道 刈株に足踏ましなむ履著けわが夫」、読み方は「しなのぢは いまのはりみち かりばねに あしふましなむくつはけわがせ」です。墾道は「工事中の道路」、刈株は「掘り返した切り株」、履は「靴」。「信濃の道は今工事中だから、掘り起こしてある切り株に足を踏み抜かないようにちゃんと靴を履いて行ってね、マイダーリン」。で、意味としては殆どマンマです。今でも近所の奥さんが出張に行く旦那を見送る時の言葉と同じじゃないですか。「呑み過ぎと車には気をつけてね、ダーリン」とか。そこがこの歌を一番好きな理由なのです。千数百年経とうとも、人の情や思い、その表現はまったく変わっていないのです。

あと、これは絶世の美女であったと伝えられる額田王(ぬかたのおおきみ:女性)の歌ですが「あかねさす 紫野ゆき標野ゆき 野守は見ずや 君が袖振る」。これは宝塚歌劇団のミュージカル作品「あかねさす紫の花」にもなっている有名な歌です。読み方は「あかねさす むらさきのゆき しめのゆき のもりはみずやきみがそでふる」。紫野は「紫草の咲く野」、標野は「御料地(天皇や幕府の直轄領)」、野守は「その御料地の番人」。「茜(夕日)のさす紫草の生えている野を行き、その御料地の野を歩いている時、番人に見つからないかしら あなた 見つかるからそんなに袖を振らないで」。これも意味としては直球です。この歌は一説に三角関係が背景にあるとされています。男女が恋を読み合う「相聞歌」ですね。相聞歌はそのお返しの歌とペアになるのですが、この歌のお返しの歌は覚えていません。たぶん、野郎の方の歌が面白みのない歌だったからでしょう。改めて調べる気にはなりません。尚、上記二つの歌の原文は万葉仮名です。
   
万葉集に集められた様々な歌は、同じように「その気持ちを率直に詠って相手に気持ちを伝える」歌です。後の和歌のように洗練されて婉曲な表現になると逆に分かり難い。一部の貴族、インテリゲンチャの「知的お遊び」になってしまいます。私はこの万葉集のストレート感が好きです。で、素朴な疑問が浮かんできます。なぜこのように上は天皇から下々まで、これほど歌を詠んでいたのか? これはあくまでも説ですが、古代の日本では日常生活に支障がない言葉は十分に成熟していたでしょうが、何か「特別な感情、思い」を表すために「書いたり」「伝えたり」するときに歌の形にしたのではないかと考えられています。つまり、ここ一発の思い、例えばラブレターなど、「相手の心に届くような表現」を歌として詠んだのではないでしょうか。日常の事、恨み事からロマンチックな事までをとにかく歌として相手に伝えた、という事だと思います。ですからまだレトリカルなテクニックには至りきってないものの、人の持つ「情、思い」が直球ド真ん中の言葉として、様々なシーン、様々な人たちによって紡ぎ出されたのではないでしょうか。今の人間にも直球ド真ん中で伝わってくる力を持っている歌であると思います。まさに「万葉」です。

余談ですが、人の「情、思い」としては千数百年経っても色褪せない、同じような言葉ですが、この万葉集の良く知られた不思議さとして「蝶」が詠われていないという事実があります。これは率直に考えて、「蝶」をあまり美しいものとして見ていなかったのでしょう。もしかしたら「蛾」と「蝶」が同じような扱いを受けていたのかも。確か「源氏物語」だったか、平安文学の中で登場する「コオロギ」は季節外れな時にでも登場するので、あれはゴキブリなのではないかとの説もあります。審美的には多少違いがあったようです。ちなみに花としては、「萩(ハギ)」「梅(ウメ)」「橘(タチバナ)」がよく登場するという事ですので、この辺りは今とあまり変わっていません。「桜(サクラ)」は園芸品種となって鑑賞、栽培されるようになった室町時代以後、そして幕末にソメイヨシノが登場して、日本人に好まれる代表的な花となりました。

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