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文学・評論 その12「言葉の中に漂泊して生きた 種田山頭火」


本 渡邊白泉について書いていると、やはり「自由律俳句」の大御所、種田山頭火(本名:種田正一)について書かずにはいられなくなりました。その前に、ここで「自由律俳句」について少々説明します。渡邊白泉の話でも書きましたが、これは正岡子規が再興・革新した俳句に対して、その五七五というルールも取っ払い、「けり」等の切れ字(言葉を切って余韻を持たせる)も季語(季節ごとの言葉のルール)にも囚われず「口語体(⇔文語体)」で自由に詩を読むという手法です。やはり、社会の近代化という中で既存の手法では表現しきれないという「流れ」があった故と考えます。詩の対象物である「自然」が大きく変化し、「近代社会」「個性などの概念」が新たに肥大化してくる中で、俳句はその姿を変えて行かざるを得なかったのでしょう。

それを提唱し、実践したのは河東碧梧桐であるようですが、彼は正岡子規の薫陶を受けています。同じく正岡子規の影響を受けている高浜虚子はその傾向に反発を見せています。ちなみに、では、全く自由に言葉を並べれば自由律の俳句となるのかというと、それでは「あ」と一言書いても俳句という事になります。当然、そんな事はありません。あくまでも既存の俳句を元として、その定型から自由になろうとする訳ですから、俳句という最も簡潔な文学として「表現」されるものでなければ、ただの短い文章となってしまいます。私見ですが、やはり、冗長さを削ぎ落して、明瞭な形で対象を捉える力がなければ、それは詩と呼べないでしょう。定義ではなく、その詩が人の心に何を訴えて来るか、が重要であると思います。不謹慎かもしれませんが、CMのコピーにも時にはそうしたものがあると考えています。
    
で、肝心の種田山頭火ですが、彼の人生を辿っていると誠に「不運」の連続であるとしか言えません。その苦労があってこその種田山頭火である、なんて、とても言えません。その前半生を見ていると、憂歌団の「ちっちゃなダイヤモンド」の歌詞の一説が浮かんできます。「神様(中略)あんたが配った、おいらのカードは、イカサマさ♪」。母親が投身自殺し、家業の造り酒屋が倒産し父は家出、弟が自殺、どうにもならなくなって東京に出ると(それ以前にも学生として東京にはいました)故郷に残した妻から離婚状が届き、神経症を患い、関東大震災に遭って、元妻の元に逃げ帰らざるを得なかった…。もともと、酒と俳句に溺れていたのが、「これでもか!」という程の不運の連続で、ますますその中に埋没していく事になります。

そして、泥酔状態で路面電車の前に立ち(自殺しようとしたのかもしれません)その電車を止めてしまった事で乗客から罵倒されます。その時の山頭火の心境を軽々と推し測る事などできません。しかし、そのとき偶然居合わせた知り合いが彼を禅寺に預け、山頭火はそこの寺男(寺の下働き)となり、生き続けます。そして大正二年(1925年)、山頭火は寺を出て、法衣をまとって鉄鉢を手に「行乞(ぎょうこつ:食べ物の施しを受けながらの放浪)」に出ます。山頭火、44歳の歳です。ちなみに、彼はその年に得度して耕畝(こうほ)と改名していますが、山頭火は山頭火です。
  
「分け入っても分け入っても青い山」はよく知られている詩ですが、これは山頭火が行乞に出た初期の頃の作品だそうで、放浪の始まりの「胸の高鳴り」「高揚感」を詠った歌、との解説をどこかで読んだ記憶があるのですが、私はこの詩の「青い山」を「青山(せいざん)」の意味と思い、「死に場所」と解釈していました。「人間到る所青山あり」のあの青山です。ですから、これは山頭火が自らの「人生」を詠ったものだと思っていました。もっとも、その詩に込められた思いは、詠った側の意図と読む側の感ずる所のものが違っていても構わないと考えています。私は未だにこの詩は山頭火の人生の詩だと思っています。山頭火の詩で好きなものに「酔うてこおろぎといっしょに寝ていたよ」があります。自由律俳句の、まさに本領発揮の一句であると思います。景色を切り取ると同時に、詠んだ者の「思い」もその景色の中に溶け込んでいます。「ここで泊まろうツクツクボウシ」も同様です。
    
実は長い間、山頭火の作であると思いこんでいた詩に「咳をしても一人」がありますが、これは尾崎放哉の詩だった事を最近、知りました。ありゃま…。この詩と同じように好きなのが山頭火の「すべってころんで山がひっそり」です。人が生きている、しかしその周辺の景色は別物であり、人はとどのつまり「一人で生かされている」という事実が「時間」という景色とともに「絵」となります。余談ですが、「一人で生かされている」というのは感情としての事実であって、社会からの疎外感という意味ではありません。むしろ、社会と対比すべき「厳然とした個」がそこに浮かびあがってくるのです。この二人の詠んだ詩には、同じような感慨を受けます。ちなみに尾崎放哉と種田山頭火は自由律俳句の代表として並び称されますが、二人とも、萩原井泉水(せんせんすい)の元でその薫陶を受けていたようです。種田山頭火と尾崎放哉は互いに影響し合っていたのでしょう。

山頭火は学生時代に俳句を本格的に始めていて、この井泉水が主催する俳句誌「層雲」に投稿し、そこで山頭火という号を使い始めていたそうです。彼がその「層雲」で頭角を現し始めた時に、実家の事業が破産してしまいます。そうした「不運」は山頭火に限った事ではないのでしょうけど、その数々の不運の果てに、やはり山頭火は俳句という「言葉の世界」で生きたというのは事実です。人を「幸・不幸」で語るのは誠におこがましい事であると思います。言葉を紡ぎ出しながら漂泊の中で生きた種田山頭火には「一個の猛烈な生命力」を感じるのみです。「曼珠沙華(まんじゅしゃげ)咲いてここが私の寝るところ」。個人的には、その生命力を羨ましくさえ、…感じてしまいます。

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