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文学・評論 その17「読書という事 基本にして全て」


本 ここに掲げたテーマに違和感をお持ちになられるかもしれません。本ジャンルは「文学」ですから、「読書」は行為であって「文学」ではないじゃないか、と突っ込まれそうですけど、「文学」を語っていく上で、そもそもがそれを成り立たせるのが「読書」という行為ですので、それについて本ジャンルで考えてみたいと思います。軽いボケを入れれば…、だって、「読書(読む人)」がなければ「文学(書く人)」もないじゃないですか、と。まあ、逆もまた真なりです。ちなみに、「読書」がテーマですから対象は「小説」や「評論」だけではなく、「実用書」など、活字で表されるもの、全てが対象となります。しかしながら、子供のころから「教科書」と「実用書」だけを読んできたという人はあまりいないでしょう。やはりそこには「文学」なるものがドッシリと構えている訳で、多くの人に多くの影響を与えています。

人間は「喋る力」を持って、そのコミュニケーション能力を飛躍的に向上させ、「言葉」を持って、「記録」「考える力」「知識の蓄積」を得て、その最も大きな成果は「教育」にあると考えます(一応、教育学部出身です。関係ないか…)。そもそも、我々が「自分の意思を伝える」「何かを考える」時、その「道具」として持っているものに「言葉・文字」以外に何かあるでしょうか? テレバシー? まあ、一部の人にはあるのかもしれませんが(あったら凄い)。北島三郎の「兄弟仁義」という演歌に「俺の目を見ろ、何にも言うな♪」という歌詞がありますが、「以心伝心」というのは余程の「精神的な高み」でなければ成立しないものであるように思います。それを否定はしませんが、やはり、我々の「意思を伝える」「考える」力は「言葉・文字」を使う以外にないのです。そして、それを鍛える方法が「読書」であると考えています。
      
WEBで見かけた、茂木健一郎(脳科学者)の「読書で鍛えた言語能力の効果」というコラム(ベネッセ教育情報サイト)に、脳の成長にはインプットとアウトプットの両方(のバランス)が重要で、外からの刺激に心を動かされる「感覚性」の学習と、それを具体的に表す事の出来る「運動性」の学習ということだそうですが、面白いと思ったのは、この「感覚性」に比べて「運動性」の学習が遅れがちであるという事。どういう事かというと、例えば「音楽」好きで耳の肥えた人は多いのですが、演奏となると同様のレベルに行くのはなかなか難しい、という事だそうです。私も、野球を観るのは大好きで、それなりに各選手のプレーやチームの戦術には目が肥えますが、「お前がやれ」と言われれば、「自分が嫌いになる」ようなプレーしかできないでしょうね。しかし、「言葉」に関してはそのバランスが取りやすいそうです。それは、普段の生活の中で話したり書いたりする訳ですから、感覚性と運動性のバランスが取りやすいという事です。

それは、日常的な生活ではそうだと思います。しかし、「読書」に励んだからといって、皆が「文学作品」を書ける訳でもないし、ましてや「傑作」なんてホンのわずかの人にしか書けません。とはいえ、それでいいのです。「読書」の目的が「文学者」になる事ではありませんから。目的はあくまでも「個人」の感受性とコミュニケーション能力が上がるところにある訳ですから。ちなみに、そのために「公共教育」というものがありますが、これは前提が「均質」で「普遍性」にありますから、「個性・キャラクター」のレベルまでは育み難い。それはやはり個人の「経験」というインプットから創られるものでしょう。その最もコストパフォーマンスが高く、実行する「障壁」が殆ど無いのが「読書」です。アインシュタインに会って話をする事は不可能ですが、彼の言葉を「読む」事はできます。「読書」はまさに人の脳へのインプットの「基本」であり、その対象・領域は「全て」なのです。
      
別に、「読書によって人は決まる」などという偏狭な考えは持っていません。しかしながら、人と話をしている時、その人の「読書経験」は「生きた教養(薀蓄ではなく)」として感じることが少なくありません。無口な人でも、よくよく話をしてみれば、とんでもないアイデアマンであったりします。プレゼンテーションという「運動性」が少々弱いだけで。先の茂木健一郎は「子供時代の読書が大人になった時の言語感覚を培う」とも述べています。それは基本的な「語彙力」「表現力」「理解力」を向上させるということであり、それらの能力が感受性と結びついた時に「芸術」の領域に昇華させるベースとなるのでしょう。

灘校のある国語教師が、「銀の匙(マンガじゃなくて小説)」という一冊の本をジックリ読ませる授業を続け、灘校を超難関の進学校にしたという話は有名だと思います。その教師は「作品を深く理解する」力を養う事で、問題に対する回答を導き出す力を育て、それが「理解する力」「考える力」に直結したのでしょう。「読書の効能・効果」に対する説は様々にありますが、要は先の茂木健一郎と同じことを言っています。昔、履歴書などに「趣味は?」なんて欄があって、多くの人が「読書」とか「音楽鑑賞」とか書いていましたが、そうした予定調和的・無難な記述より、「本気で読書する」とか「三度の飯より読書」とか書けば面白いでしょう。

私事で恐縮ですが、学生時代「人は一年で何冊くらい本を読めるのか?」なんて事を思いついて、古本(マンガは対象外で)を買い集めては乱読・斜め読み(飛ばし読みはしていません)をしましたが、結果は一年で192冊だったと記憶しています。知人に「一年で365冊に挑戦!」なんてのもいましたが、結果については聞いていません。まあ、何冊読むかといっても、本の厚さや内容にも拠りますので、あまり意味のある挑戦ではなかったと思いますが、楽しかった記憶はあります。なんせ、何の体系だったものもありませんから、「森鴎外」の次に「緩歩動物クマムシ」といったような、良く言えば「横断的」、実体としては「デタラメ」。しかし、本サイトのキャッチフレーズである「懲りない開眼」の連続で、「そうか!」と何だか忘れましたが、「分かったような気分(だから、何が…?)」になっていました。

「堅苦しく考えずとも、本を読むことはこの上なくコストパフォーマンスの高い楽しみ、娯楽でもあります。世の中にあるすべての本を読み尽くすなど到底不可能ですが、1冊でも多くの楽しめる本に出会いたいものです」。と、本サイトの宣伝になってしまいました。余談ですが、引っ越しの度に一番面倒くさいのが書籍…。電子書籍にすれば、あの、整理の煩雑さと重さから解放されるのでは、と期待してはいるのですが、やはり馴染んだ紙の方が…。

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