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文学・評論 その2「明治の気になる文豪たち」


本 私が特に気になる明治の文豪は二葉亭四迷、夏目漱石、森鴎外の三人。学校の教科書に載っている定番中の定番かと思います。正直、学生の頃はそれほど興味がありませんでした。何故でしょうね。教科書に載っていると言う事は、何か「押し付けられている」感じがしたからだと思います。しかも、試験の問題なんかで「この時の主人公の気持ちは…」なんてのが出てくると、「知るか」って感じで余計に興が覚めるというか…。ところが、社会人になって改めて読むとこんなに面白かったのかと、自分の不明、偏向を恥じたくなるような気持ちでした。

で、まずは二葉亭四迷ですが、そのペンネームの由来は有名ですね。文学なるものに理解の無い父親から「(おめえのような奴は)くたばってしめえ!」と言われたことによるものだそうで。本当かどうかは別にして、自嘲なのか、それとも粋なのか。四迷は尾張藩出身ですが、私は江戸っ子的な「粋」に感じてしまいます。当初は名古屋藩学校で仏語を学び、軍人を目指したそうですが、どうしても陸軍士官学校を合格できなかったそうです。当時の軍人というのは超エリートだったのでしょう。結局、外交官志望に転じ、(最初は専修学校、今の専修大学で学んでいたそうですが)東京外語学校(現東京外語大)の露語部に入学(後に東京商業学校、今の一橋大に併合)し、中退しますが、どういった経緯か、これまた明治文学界の大御所、坪内逍遥との親交がこのあたりで生まれています。
 
大御所坪内逍遥は軽く行きます。とにかくその「小説神髄」で、それまでのお芝居的なお話作りから、人の「情・心理」にまで深く立ち入った写実的な表現をもって、小説を芸術として発展させようとした存在であったと言う事くらいで置いておきましょう。それ以前のものを否定している訳ではないのでしょうが、私的には「読み物」をそんなにご立派に考えなくてもいいのに、と突っ込みたくなります。源氏物語も南総里見八犬伝も面白い訳ですから(面白いだけではなく、格調も高い)。
 
それで、なぜ二葉亭四迷の存在が明治期の小説なるものにおいて重要と位置づけるのかというと、その「浮雲」での「言文一致」がその後の小説に大きな影響を与えたと考えるからです。話し言葉に近い口語体で文章を書く事。これが一つのムーブメントとなりましたが、その当時は必ずしもそれが主流であった訳ではなく、古文的な表現や文語や、漢文書き下し的な文章など様々だったようですが、表現に於いて、この言文一致が現代小説へとつながっていると思います。ちなみに、二葉亭四迷には坪内逍遥に対する「反感」のようなものがあったようですが、当初、「浮雲」は坪内逍遥の名前(本名の方)で刊行されたそうです。
 
いずれにしても二葉亭四迷の露文に対する造詣が彼の文才に「写実的、現実的」という力を強く与えたのでしょう(と思います)。そして、明治期の大御所は数々あれど、やはりこのお二人、夏目漱石と森鴎外が燦然と輝いています。始めて夏目漱石の「吾輩は猫である」を読んだ時、その飄々とした文章や、内容に(良い意味で)拍子抜けたものです。あの作品が、ついこの間までチョンマゲをしていた日本の中で、あの時代に登場したのは、ある意味でこの国の持つ不思議さ(変わり身の早さ)を感じざるを得ません。
    
「坊ちゃん」なども、その人物描写は現代にも通じると思います。ま、人はそんなに変わっていないと云う事ですね。登場人物の赤シャツなどは今の時代にもあちこちにいるのでは。夢十夜は映画にもなりましたから、そちらの方でご覧になった方もいらっしゃると思いますが、確か、作中で主人公が豚に顔をペロリと舐められるシーンがあったかと思いますが、この感覚、現代にも通じますよ。ちなみに漱石は数十年周期の躁鬱的な気質であったという説がありますが、私は信じます。作風が軽妙になったりやけに重くなったりする時期があるように思えるからです。
 
で、お次は森鴎外。軍医であったというイメージからは全くかけ離れた作風。特に高瀬船などは、漱石ほど洒脱ではないにしても、名人の古典落語を聞いたような読後感。教科書で読んだ時は全然面白いと思わなかったのに…。漱石が時にハチャメチャ(失礼)なイメージがあるのに対して、鴎外は時にアッサリ薄味、時に重厚、かつ、艶があります。掌編の「文殊と普賢」「かわらけ」を読んだ後の読後感は、シュールでもあり、ユーモラスでもあり。自伝である「舞姫」や「ヰタ・セクスアリス」の何とも艶めかしい事。鴎外の軍服姿からは想像も付きません。
   
夏目漱石と森鴎外が活躍したのは明治といっても後半の方。しかし、明治維新からたったそれだけの時間で欧米にも匹敵するような近代的インテリジェンスがこの国に生まれていた事は、何と表現して良いのやら、前述した通り、まさに不思議としか言いようがありまえん。日本人が大人しいなんて、とんでもない話で、いったん揮発性の高い意識が充満したらとにかく一気に行ってしまう「驚異的な潜在力」を常に持っていると思います。それが悪い方向に向かうと戦争、良い方向に向かえば明治維新後の驚異的な近代化や太平洋戦争直後の速攻民主主義化。
  
泉鏡花、幸田露伴、島崎藤村、永井荷風、樋口一葉、山田美妙等々…、他にも気になる文学者たちはもちろんいますけど、今の感覚に通じるように思えるのは三人。それぞれ、文体もよく言えば日本の伝統的な雰囲気をもって表現されていますけど。幸田露伴の「五重塔」は漢文読み下しそのもの。今の作家で書ける人はいないと思いますけど。とにかく、漱石と鴎外は改めて読む価値、ありです。

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