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文学・評論 その24「乱舞する言の葉 日本語を日本語で説明する 国語辞典」


本 このテーマをどのジャンルに書こうか、まず迷いました。そんな時は「その他」に入れてしまうのですが、もともと「文学・評論」とか「人文・思想」なんてジャンル分けも既存の書店の区分そのままにやっただけで「自然科学」「社会科学」「人文科学」でも何でもよかったのです。そこはサイトタイトルの「テキトー」精神そのままに。で「国語辞典」です。「日本語を日本語で説明する書物」ですから、使用価値から言えば「文学」などというジャンルには収まりが悪いのですが、「その他」でもいい加減なような…。「テキトー」と「いい加減」は違うのです。愛用の国語辞典「新明解国語辞典:新解さん」には「テキトー:適当」とは「度合いがちょうどよい様子」とあります。故に、いい加減ではないのです。と、言い切った所で、こうも書いてあります。「広義では、表面上つじつまが合うように・要領よく(いいかげんに)でっちあげることも指す」と。ハイ、私のは広義の方です。しかーし、「いい加減」といっても「何かをするのにちょうどほどよい状態」の意があるのです。それに続いて「要領よく適当に済ませる様子」との説明も。ハイ、私は後者の方です。これでは話が進まんではないか!

かように「言葉」というものは踊り、乱れ飛ぶものなのです。で、全ての文芸・文学の素でもある日本語を「日本語で説明している」訳ですから、「文学・評論」の中に入れます。と、いつも通りの冗長な流れから本題に入って行きますが、話は全く変わりますけど、昔、外資系の会社にちょっとだけいた事があります。本棚にはイングリッシュのタイトルばかりの本。ある時、そこのマネージャーから2冊ばかりの本を渡されて「これをとりあえず読んでおくように」と言われましたが、当然、日本語の本ではありません。イングリッシュの本です。周りは殆どの者が英語に堪能(ベラベラ)。私の語学力では、皆が1日で読める本も1週間かかります。渡されたのは「ディベート」に関する本と、広告業界の教科書的な本「オグルビーの物語」です。まさに、オッサンが新入社員になったような気持ち。何となく「ヤベエ、英語ちょっとやるかな…」なんて殊勝な気持ちに柄にもなく一瞬なってしまいました。それまで、面倒くさいのと必要性を感じなかったのでどうでもいいと思っていたのですが、ホント、一瞬だけ可愛らしく真面目になって、オフィスの本棚で教材になりそうなものを探していると、やたら分厚い本がありました。書名は忘れましたが、「英英辞典」です。

けっこう豪華な装丁でしたから「オックスフォード英語辞典(OED)」クラスのやつだったのでしょうか。それを見た時、正直、けっこうな違和感を持ちました。「何だよ、外人も英語が分からなくて英語の辞書引いているのか」。しかし、それは誠にトンマな感想でした。当然です。日本語にも「国語辞典」というものがあるじゃないですか。左様に言葉というものは、それが何語であったとしても、一つ一つの意味というものに対して基本となる解釈がいるのです。とはいえ、それではどの辞典でも同じということでしょうか。これが違うのですよ。わが家に何冊国語辞典があるか分かりませんが、一応物書きで飯を食ったことのある者としては商売道具ですからいくつかは使っていました。朝日新聞の文化欄にあった記事に書いてあったことですが、例えば「美しい」という、その意味に悩む人はいないような言葉の意味でも、「岩波国語辞典」は「うっとりさせる感じ」とあり、私が愛用する「新明解国語辞典」では「いつまでも見ていたい」となっています。私としては新解さんに一票です。

では、そもそも「国語辞典」なるものはなぜ生まれてきたのか。これはザックリと言ってしまえば、国の文化の基本となる母国語を明確にするための「国家事業」から発したものです。日本でも戦前戦後それぞれに国の指示によって国語辞典が編纂されています。まあ、それくらいの大事業で、何度も頓挫したり、完成を諦められたり、一つの辞書を作り上げるのに数十年かかるそうです。また、時代と共に新しい言葉も生まれ、誤用とされていた言葉が市民権(例えば「情けは人の為ならず」も人の為か自分の為か、どちらでも通じます。誤用とは云えません)を持ったりと、まさに乱舞する言葉を鳥かごにいちいち収めていくような難事業です。一時期、広辞苑のような国語辞典を使っていたこともありますが、雀を打つのに大砲を使うような面倒くささから、常用漢字辞典を使っていましたけど、これではちょっと役に立たない。それ以前は「当用漢字」がありましたが、1981年、常用漢字となってから「当用」という表現は無くなっています。「当用」とは「とりあえずの当面」というテキトーな意味です。今は、学生時代からの新解さんが私の定番辞典です。

われわれは言葉(母国語)というものを普段は何気なく使っていますが、その解釈、表現にもがき苦しんで生まれてきたという意味ではまさに国語辞典とは「文学」。何語であろうと同じなのです。ところで、急に前の話に戻りますけど、日本語は喋れますが、英語がそれほど堪能でない私が何で外資系会社の中に席を置いたのでしょう? 普通に考えれば英語が堪能でない者は外資系に「お呼びじゃない」と思いますよね。ところが、です。彼らはバイリンガルであるが故に「中途半端」な所があるのです。その会社で私に課せられた仕事は、本社のWEB用コンテンツのローカライズ、つまり「日本語化」です。彼らはその膨大なコンテンツを訳すのですが、それが妙な日本語となるのです。今では多くのカタカナが外来語的に意味が通じますけど、例えばコンテンツなんて言葉ですが、あの頃は一般に通じませんでした。「リセラーがそのカスタマーにセールスする際のサポートとなるコンテンツを…」って、文章が出てきたら、それを「系列販売店のセールスマンが、その顧客に売り込みを行うための効果的な資料を…」と修正するのが私の仕事でした。

ちなみに、私は「新明解国語辞典」の愛用者と言いましたが、この国語辞典の愛称は「新解さん」。ファンが多い国語辞書です。例えば「ちゃづけ(茶漬け)」を引いてみるとこうあります。「冷や飯を食べる時や酒を飲んだあとや、おかず無しで急いでかき込む時などに飯に熱い茶をかけること(たもの)」。「酒を飲んだあと」とか「おかず無しで」云々とあるのが、ニヤリとする解説ではありませんか。

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