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文学・評論 その26「俳句 短歌 十七文字と三十一文字の中に現れる無限の想い」


本 俳句と短歌を並べて見る時、俳句が短歌から派生したものというのは確かであると思いますが、その成り立ちを言えば、俳句は室町時代からの、上の句に下の句をつなげていく「連歌」の遊戯性の中から生まれてきた文芸が俳諧として確立し、「発句(最初の五七五)」と「連句(それにつながる七七)」のうち、十七世紀に現れた松尾芭蕉によって単独でも鑑賞に堪えうる世界をもった自立性のある文芸として多くの「発句」が読まれたのが、俳句の源流でしょう。それを近代文芸として芸術性を高めたのが明治時代の正岡子規。兄弟サイトの「花を飾る(管理人が制作請負)」の「花の詩紹介(ここでは短歌も俳句も詩と記しています)」の中でも正岡子規の俳句を多くご紹介していますが、その作風はまさに「景色を見事に切り取った一幅の絵」。門下の河東碧梧桐から始まる「自由律俳句」はひとつのムーブメントとして、種田山頭火や尾崎放哉のまさに自由闊達な句につながって行きますが、やはり正岡子規の「十七文字」の中に描かれ現れる世界には、まさに彼が晩年を過ごした「小楽園」という小さな庭の中にある「小宇宙」を感じます。子規の句も山頭火の句も放哉の句も好きですが。

短歌は「和歌」の中の「五七五七七」の形式を持った歌であり、長歌と呼ばれる五七五がいくつか連なり七七で閉める歌もあったようですが、一般的には「和歌=短歌」と考えて間違いないでしょう。その「五七五七七」のスタイルはすでに「万葉集」で確立しており、さらに古くは、スサノオノミコトが詠んだ「やくもたつ いづもやへがき つまごみに やへがきつくる そのやへがきを」がその始まりであるという説もあります。「和歌」というのは「やまとうた」とも云われた日本の歌であり、漢詩に対応するための呼称であり、その中で主流となったスタイルが「五七五七七」の短歌です。その「三十一文字(みそひともじ)」は古今和歌集の中に「みそもじあまりひともじ」という言葉が見られるように、日本で、最古で最小の文芸スタイルといっても良いでしょう。それまでにも「歌謡」的なものは一般庶民の中に様々あったでしょうが、いかんせん、まだ文字が無かったので残っていません。しかし、文字を得た人々が「「三十一文字(みそひともじ)」の中にその様々な思いを込めて詠い始めたのが「万葉集」であると考えています。

この「五七五」&「七七」という文字数のスタイルを考える時、どうしてその形が一般的な「歌」となったのか? という素朴な疑問があります。それは「モーラ」という概念を抜きにして、この日本語が持つリズムというものを理解することはできないと思います。「モーラ」は「拍」と訳され「一拍、二拍」の区切りです。音韻学理論や語学に関する難しいことは学者に任せて、日本語をシンプルに捉えると「一語一拍」です。ヘボン式のローマ字で記せば分かりやすいのですが、母音単独、もしくは子音&母音の文字であり、発音となります。つまり「一語一拍」ですから、「五七五」は「五拍七拍五拍」です。ではなぜこの形が日本人の好む言葉のリズムとなったのでしょうか? これはあくまでも説ですが、八分音符と八分休符(#を八分休符とします)を並べて「♪♪♪♪♪### #♪♪♪♪♪♪♪ ♪♪♪♪♪###」とすれば、四拍子の三小節の中に「五七五」がこのようなリズムで並びます。最初の五文字をまず訴えて、少し間を置き(間というのは日本の芸能全般の文化、「間を取る」「間を置く」等)、次の七文字の頭に一拍間を入れて、最後の五文字の後に余韻を入れる。これが日本人にとって心地良い言葉のリズムである「五七調」「七五調」となるのでしょう。余談ですが「七文字」の頭に一拍おくのは、なんか「裏打ち」って感じで、レゲエみたいですね。

ちなみに、「モーラ=拍」と違う「シラブル」、つまり「音節」という概念がありますが、これは連続した音の区切りを表すもので、英語などの発音では日本語のように一語ずつで区切れない場合の方が多いので、その区切りの単位をこれで表しますが、日本語ではあまり重要なことではないでしょう。もっとも、日本語でも拗音のように一語に続けて「キャ」「キュ」「ニャ」のように小さな文字を付ける言葉がありますが、これはモーラとしては一語であり一拍です。俳句の中でも「捨て仮名」といって、同様に一語として詠みます。

俳句と短歌に関する能書きはこの辺にして、その文芸としての世界について書きたいと思います。よく、日本の俳句、短歌を「世界最小の文芸」と称する言葉を聞きますが、それにはちょっと疑問があります。確立したスタイルとしてはそうでしょうが、あの堀口大学の名訳、ジャン・コクトーの「わたしの耳は 貝の殻 海の響きを懐かしむ」という数行の詩もありますから、必ずしもそうとは言い切れないと思います。しかし、万葉集などのその歌の量を見れば、広く一般に浸透し、親しまれた「三十一文字」の文芸であることは間違いないでしょう。欧米でも「俳句」は "Haiku" として親しまれていますが、日本の俳句の「季語」がないなど、スタイルも「短い一行詩」といったイメージで、やはりちょっと趣が違うと思います。言語の違いです。

で、肝心のその「三十一文字」に詠われている歌ですが、これは現代人に通じる、それどころか遥かに多情多感な古の人々の想いがその中に込められています。おそらく、日常会話とは別に、特に強い「想い」を伝えたい時、表したい時、それが「歌」という形を取ったのでしょう。万葉集については本編の「その10」で「万葉集 千数百年経っても変わらぬ人の情と思い」に書きましたが、私の一番好きな歌では、防人の任に向かう夫を送り、「信濃道は今の墾道 刈株に足踏ましなむ履著けわが夫」、読み方は「しなのぢは いまのはりみち かりばねに あしふましなむくつはけわがせ」です。墾道は「工事中の道路」、刈株は「掘り返した切り株」、履は「靴」。訳せば、「信濃の道は今工事中だから、掘り起こしてある切り株に足を踏み抜かないようにちゃんと靴を履いて行ってね、マイダーリン」。これは、朝、会社に旦那さんを送り出す奥様の言葉そのままではないでしょうか。また、これは万葉集の趣を色濃く残している古今集の歌ですが、「秋の野の 尾花にまじり 咲く花の色にや恋ひん 逢うよしをなみ」という「詠み人知らず」の歌も、情感の深い、ストレートな詩です。大意は、「イジイジしていないで、思いきり恋がしたい!」ってなことです。源頼朝と北条政子が出会った時に、政子が手にした花(リンドウといわれています)と共に頼朝へ告げた歌として有名です。北条政子は自由な心を持った、情熱的な女性だったのでしょう。

短歌は宮廷文学として洗練され、貴族の必須な教養となっていきますが、それでもあの三十六歌仙の平兼盛が詠った有名な歌「しのぶれど 色に出でにけり わが恋は ものや思ふと 人の問ふまで」は現代人と全く変わらぬ情感で、そのマンマです。万葉集に戻りますが、額田王(ぬかたのおおきみ:女性)の歌で「あかねさす 紫野ゆき標野ゆき 野守は見ずや 君が袖振る」という有名な歌がありますが、紫野は「紫草の咲く野」、標野は「御料地(天皇や幕府の直轄領)」、野守は「その御料地の番人」。訳すれば「茜(夕日)のさす紫草の生えている野を行き、その御料地の野を歩いている時、番人に見つからないかしら あなた 見つかるからそんなに袖を振らないで」。これも想いとしては直球です(不倫の逢瀬の歌という説があります)。引用し始めるとキリがありませんが、人は「三十一文字」の中に自由闊達に、素直に、憚る事も無く「その想い」を自在に込めて歌を無限とも思えるほどに詠んできたのです。考えてみれば、たった「三十一文字」の中に。これはツイッターの百四十文字より遥かに短い(余計なことか…)。「三十一文字」は日本人にとっては今でも、人の想いを込める無限のフィールドなのでしょう。

俳句は更に短い「十七文字」です。松尾芭蕉の有名な「古池や 蛙飛びこむ 水の音」は、数百年を生き抜いて、今に伝わる句です。ちなみに、数ある中でのドナルド・キーンの英訳は "The ancient pond A frog leaps in The sound of the water." です。やはり、趣が異なりますね。松尾芭蕉の「夏草や 兵どもが 夢の跡」は個人的に好きな歌です。正岡子規ならやはり「柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺」。松尾芭蕉の「古池や」と並ぶ、俳句の傑作です。何故、我々日本人はこの「十七文字」に心惹かれてしまうのか? それは、その情景が一幅の絵のように自然から切り出されてイメージできるからでしょう。そのイメージは人それぞれかもしれませんが、深い余韻を残す光景をそこに描いてくれるのです。

俳句の「十七文字」は果てしなく深く広がる「情景」を。短歌の「三十一文字」は、自由闊達で自然な「人の心」をその短い言葉の中に、無限とも思えるほどに込め、それを読むものの脳裏に現してくれるのです。これは日本語の特性と、日本の四季の織り成す自然と、そこに芽生える感受性の賜物であると思います。それがまさに「やまと心」でしょう。あるがままに感じる。そして、詠む。俳句や短歌に触れる時、そして感じる時、自分は日本人であるということをささやかに認識します。

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