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文学・評論 その3「異彩を放つハヤカワSF ガラパゴス的進化」


本 タイトルにあえて「ガラパゴス的」と入れましたが、これはポジティブな意味です。別に「世界に取り残されて」ということではなく、むしろ「世界とは違う独自の進化を遂げた」という意味です。我々にSFの世界を最初に教えてくれた作家はジュール・ヴェルヌ、もしくはH・G・ウェルズでしょう。ジュール・ヴェルヌの「月世界旅行」「海底二万里(マイル)」は古典的な名作です。月世界旅行は映画にもなっていますが、今となればそのチープな画像が、何やらシュールな感じもします。海底二万マイルはノーチラス号の世界に子供ながら「科学の世界」を強烈に感じさせられた最初の驚きでした。H・G・ウェルズといえば「タイムマシン」ですが、これは子供心をときめかすと同時にタイムパラドックスという楽しくも悩ましいテーマを与えてくれました。私個人はこのタイムパラドックスが苦手(?)でタイムマシンものは個人的にあまり好みません…。頭の中が堂々巡りになり、止まらなくなるので…。
   
SFを定義すればその字の通り、サイエンス・フィクション(Scientifiction)でしょうが、例えば浦島太郎や世界に散らばる神話の類、西遊記など、人の創造の産物である物語全て(個人的には)SFと言っても良いかと思いますけど、やはり前提はサイエンスです。つまり近代的(もしくは未来的)な科学をベースにする手法。ヴェルヌが冒険小説にサイエンスを取り込んだとすれば、ウェルズはファンタジーにサイエンスを取り込んだといえるのでしょう。このSF的創作手法はシャーロックホームズのコナンドイルなどにも影響を与え、ウェルズの考え(発明?)出した、今ではSFの定番であるタイムマシン、タコ型火星人、透明人間、冷凍睡眠装置、最終戦争等々、はSFという枠だけには収まらない大きなテーマとしてその後の様々な分野の創作に影響を与え、科学という大きな夢を膨らませるインキュベーター(孵化器)であったと考えます。ロボット(チェコの作家、チャペックが創始者)とアンドロイドが加わって、更に科学は夢を膨らませます。
   
このSF小説がアメリカに根付き、多くのヒロイック・ファンタジーやスペース・オペラ、未来ユートピア小説(アンチも含んで。例えばジョージ・オーウェルの1984年)を醸成し、黄金時代とも呼べる一時期を迎えますが、やはりそこは「荒唐無稽」故にB級に甘んじる現実があったのでしょう。スペース・オペラなどは「スぺオペ」と略され、三文小説の代名詞のようにも使われます(あのスターウォーズでさえ、そう評する人もいます)。そこに現れたのが、「ハードSF」。余談ですが、このハードSFという言い方、私はあまり快く思いません。本来的な英語の意味はニュアンス的に分かりませんが、どうも、「荒唐無稽」という創造力のエンジンに枠をはめてしまうように感じるからです。事実、B級批判から生まれてきた「リアリズム」のムーブメントですから。アーサー・C・クラーク、ロバート・A・ハインライン、アイザック・アシモフ(海外SF御三家)の時代を迎えます。
    
私自身が本格的にSFの虜になるのは一冊の本を友人から渡されてからです。その本が筒井康隆の何であったかは忘れましたが、早川書房刊のその本で一気に「日本SF」、いや「ハヤカワSF」の世界に引きずり込まれました。筒井康隆はジュブナイル(少年少女向け小説)で「時をかける少女」は読みましたし、知っていましたが、前述しました通り個人的にタイムパラドックスが苦手なので、眉村卓辺りをかつて少々読んで、SF的なものにそれほど熱を上げる事はありませんでした。しかし、手にした筒井康隆はスラップスティックと呼べばいいのか、ドタバタと呼べばいいのか、SF的な要素はありますが、まさに「こんなの読んだ事が無い!」と言いたいくらいの暴力的な文字の面白さ! 筒井康隆をある程度読み尽くすと、御三家、小松左京、星新一から半村良、豊田有恒、平井和正(すべてハヤカワ・SFコンテスト出身)と読み漁りました。
   
何が自分を捉えたかといいますと、欧米のSFと違い、「身近な題材を次第に異質な世界へと引きずり込んで、価値観をひっくり返す」その小説手法に「これまでに感じた事のない、新しい小説の面白さ」を覚えたからです。確かにジャンルから言えばSF小説です。しかし、ジャンルなどもうどうでもいいような面白さ。それが殆どハヤカワ・SF出身の作家によるものなのです。彼らは間違いなく(大袈裟覚悟で言えば)「日本文学なるものの潮流に風穴を開けた」存在であると思っています。とは言え、SFというカテゴリーに入れられるとどうしようもない「冷や飯」を喰わされるのでしょうか。筒井康隆は三度「直木賞」候補に挙げられ、三度落ちています。ハヤカワSF出身で直木賞を取ったのは半村良だけだったように記憶していますが、その「雨やどり」は人情小説であり、SF小説での直木賞受賞作はありません。その辺りの「恨み、つらみ(?)」は筒井康隆の「大いなる助走」に面白く書いてあります。
     
私は間違いなく「日本的SF」は世界でも比類がない進化(ガラパゴス的)を遂げた文学であると思っています。彼らが提唱した「SF」から「SOW(センス・オブ・ワンダー)=不思議な感覚」には大いに共感しました。そもそも活字を辿って楽しむ読書とは、読む側にもある種の「感覚」を要求し、それを好き勝手に膨らませてくれるから面白いのであると考えています。ちなみに、この「SOW」という考え、ハヤカワSF作家たちの主張と思っていたら、原型はロボット三原則で有名なアイザック・アシモフが既に提唱していたようです。アーサー・C・クラーク、ロバート・A・ハインラインと並ぶこのアイザック・アシモフ(海外SF御三家)、そしてレイブラッドベリ、『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』のフィリップ・K・ディック、カート・ヴィネガット(ジュニア)等々、キラ星の如き作品群を並べても、どこか「日本SF」に比べるとその破壊力が弱いように感じます。これは、「その他」の編に書きましたが、多分に「漫画」と似ているように思えます。より自由に、「SF」からさえも自由となって(?)生まれてきたのがハヤカワSFであると感じます

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