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文学・評論 その31「萩尾望都 その絵はペンで彫ったレリーフ そして詩人…」


本 このサイトのジャンル区分は古典的な書籍のものに倣っています。特に深い考えがあったわけではなく、もともとは「雑学本屋さん」というシンプルなコンセプトでサイトを立ち上げましたので、そのジャンルの区分もそのままにしたのですが、当初少々迷ったものの中に「マンガ」があります。「エンタテイメント」というジャンルはないのですが、あったとしてもそこには入れなかったと思います。で、「その他」なんて、区分に困ったら使える万能のジャンルを設けて、まず最初にそこで「その1」に「文芸と互角に渡り合えるマンガ 元祖マルチメディア」というコンテンツを書き、まあ、「漫画について書きたくなったら、ここでいいか…」なんて考えましたが、やはりそれは大雑把すぎて無理がありました。この編の「文学・評論」に「その23」として「文芸と漫画の境界 ガロ、そして、つげ義春」を書こうとしたとき、改めて考えてみて、「文学・評論」なるものについて書くときに、「マンガ」を全く別物として書くなどということ自体に無理があると思いました。そこでは「文芸」に対して「漫画」としましたが、それさえもあまり意味のある区分ではないと思います。「文学」なるものをそもそもが「人の創造する力から湧きあがってくるイメージと言葉によって構築される世界の具象化」とすれば、もはや、小林秀雄が「評論」と「文学」との区分をスペクトラム化(グラデーション化)したのと同じように、「漫画」と「文学」を違うものとして区分することにも、もはや意味はないと思います。

と、前提が長くなりましたが、つげ義春に続いて、その世界に引き込まれた漫画作家に萩尾望都がいます。その作品に初めて触れたのはご多分に漏れず「ポーの一族」ですが、リアルタイム(別冊少女コミックですから)ではなく、古本で読みました。そのストーリーは断片的にしか記憶にありませんが、とにかく、その画力には驚きました。それからいくつか氏の作品を読みましたが、正直、少女漫画の「宝塚的」というか「舞台的」な展開には少々、男の子としてはついて行きにくかった。その絵に対して感じる魅力とは別に。しかし、その作品に「スットーン!」と音を立ててハマり込むくらいの作品に出合ったのです。それは、光瀬龍の小説を原作とした作品、「百億の昼と千億の夜」です。

「百億の昼と千億の夜」は1977年から1978年に少年チャンピオンに連載されていたものですが、萩尾望都は「早川SF」好きの私が愛読していたSFマガジンにその作品を何度か連載していて、「銀の三角(1980年)」などがあり、私が萩尾望都に惹かれ初めたのはこの辺りからです。萩尾望都の作品にはSF的要素がたっぷりです。ただし、日本早川的SFですが。で、「百億の昼と千億の夜」はそれよりも少し後に古本屋で単行本を買い込み、一気に読みました。光瀬龍の原作のほうは先に読んでいましたが、小説の方の魅力もさることながら、萩尾望都が描き切ったその世界に、小説を読んで自分なりに持っていたイメージの世界を完全に萩尾望都の描く世界にすり替えられてしまいました。その漫画を「舞台的」と前述しましたが、その作品は「映画的」です。ストーリーとして流れる漫画の中にシーンとしてフラッシュのように突如現れる、主人公(的存在)の阿修羅の姿、天空での神々の闘い…。改めて、萩尾望都の画力を堪能しました。

画力だけではありません。そのセリフ(「百億の昼と千億の夜」は原作がありますが)一つ一つが余韻を放って流れていきます。それはまるで詩ではないですか。どの作品だったか忘れましたが(「11月のギムナジウムだったかな…)、やはり「舞台的」「演劇的」なものは感じましたけど、それはそれで一枚物の絵を「詩の朗読」とともに眺めているような深みとして感じもしました。萩尾望都が紡ぐ登場人物のセリフは「詩」であり、その言葉を紡ぎ出す萩尾望都は詩人です。そして、もう一度改めてその画力についてですが、これはもう「二次元的・平面的」な世界ではなく、適度な立体感をもった「レリーフ(浮き彫り)」です。めくる1ページ1ページが、極めて作品性の高い「レリーフ」であり、そこに「詩」である言葉が流れているのです。ちょっと悔しいのですが、どのようなイメージ力を持ってその作品に臨んでも、頭の中には萩尾望都の世界が展開されるのです。心地は良いですけど…。

ちなみに、本編のタイトルである「その絵はペンで彫った」という言葉は、たまたま見ていたTV番組で、浦沢直樹と萩尾望都が対談をしていて、萩尾望都のペン使いに対して、浦沢直樹が口にした言葉です。余談ですが、浦沢直樹氏が使っているのは「カブラペン」でした。これは細い線を均質に書き込んでいくのに適したペンだと思います。あの大友克洋が描く緻密な絵もこのペンによるものだったと思います。で、萩尾望都氏の使っているのは「Gペン」です。最初画面で見た時は「和ペン」かと思ったのですが、その持ち方(ペンに指を添える)でそう見えました。「和ペン」は「カブラペン」よりももっと繊細で細い線を描くときに使うペンだと思います(数種類ある)。で、ちょっと驚いたのですが、「Gペン」は漫画家御用達のようなペンで、その特長は柔らかなペン先にあり、タッチの強弱がそのまま線となって表れ、どちらかと言えば、太めの力強い線が出せるペンだと思います。しかし、萩尾望都はそのペン先を使って、まさに「いくとおりもの線を強弱をつけて」描いていくのです。浦沢直樹はそのペン使いを見て、「描く」ではなく「彫るような」という表現を使われました。

まさに、です。萩尾望都はそのGペン(実際には幾種類かのペンを使われているかもしれませんが)を使って、「一揃いの彫刻刀」のように「絵」を紙の中から「掘り出して」いるのだと言いたくなります。実際に仕上がった絵を見ると、掘り出された「レリーフ」のごとき立体感を持っているのです。萩尾望都は「少女漫画の神様」と称されているようですが、オヤジの遥か昔を思い出しても、あの「百億の昼と千億の夜」は青年も痺れさせてくれました。ン十年間、いまだに私の書棚にその単行本はあります。今でもたまに、読み返しています。

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