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文学・評論 その33「内田百閒 稲垣足穂 明治から昭和、現代へとつながる文学の源流」


本 内田百閒と稲垣足穂をセットで捉えるのは、私にとって全く自然なことで違和感などないのです。むしろ、セットでなければならないと感じるくらいにその存在感は均等に重いのです。片方だけでは何も語れないと思うくらい。そうした捉え方が一般的であるはずはないと思うのですが、この両名、多少のズレはありますが、ほぼ同じような時代を生きています。内田百閒が1889年(明治22年)~1971年4月20日(昭和46年)、81歳で没しています。稲垣足穂は 1900年(33年)~1977年(昭和52年)、76歳で没しています。しかしながらその作風まではさすがに同じとはいきません。超簡単に言ってしまえば、内田百閒の作風は良い意味での教養主義であり、軽妙洒脱。この辺りは親交のあった夏目漱石(内田百閒の師)や芥川龍之介の影響でしょうか。稲垣足穂は、言ってみれば耽美的。私にはそう映るのです。アルコール中毒、ニコチン中毒といった側面もその小道具であるように感じるのです。まあ、とは言え残っている写真を見ると、オモロイ感じの人です。関西学院で今東光と同級であったという経歴も(詳しくは知りませんが)面白い。

この二人の作品には学生時代、比較的同じ時期に接したのですがハッキリ言って、ものすごく単純に驚きました。昭和の時代に掛かっているとはいえ、生まれは明治で大正時代を生きています。それなのに、今の作家が書いていると言っても信じてしまうくらいの流れるような文章なのです。まあ、昔の作家(明治生まれ)の文体が重厚であるという思い込みはありませんが、口語・文語がそれぞれに交じり合っている明治の文学に触れ、まあ大正期もそのようなものだという感覚はあり、そんな感じで読んだわけです。あの、極めて個人的なことですが、稲垣足穂などは読んでいる途中で一度本を閉じたことがあります。何故か? 一度間をおいて読みたいほどに、文章がスカッと流れ込んでくるからです。もったいないような気がして、そういうことに及んだ訳です。我ながら変なことだと思います。が、もう一度言いますけど、単純に驚いたのですよ。

この内田百閒と、稲垣足穂を読むきっかけになったのは、確か1980年代初めくらいだったかと思いますけど、瀬戸内寂聴(ペンネームは三谷晴美。1973年、昭和43年に今東光大僧正により得度、つまり既に出家しています)の誰かとの対談を読んでいて、この二人の名前を知り、「この二人の作品を読まずして…」のような言葉に軽く煽られて、では、ってな感じで読んだと記憶しています。で、その文体に驚いたわけです。私の頭にある勝手な「明治~昭和前期」の感覚が変わりました。とはいえ、この二人の作家にそれほど強く傾倒していたということではありません。余談ですが、内田百閒は、黒澤明監督の映画「まあだだよ」でご存知の方も多いと思います。これは内田百閒の「摩阿陀会(まあだかい)」という誕生パーティーをモチーフにした作品です。これまた余談ですが、その映画にも描かれている野良猫「ノラ」への想いに、猫好きの私としてはいたく感情移入してしまいました。ハイ、余談です。

内田百閒には若干、教養主義とでもいえばいいのか、少々襟を正したようなところを感じます。自らを「官僚趣味」と称しているようで、「公」というか「秩序」というか、伝統的な既成の権威を好むようなところがあるようです。稲垣足穂にはそんなものを全く感じません。人間を「肉の中に穴の通った一本棒」といった、昔の落語のようなカリカチュアライズ(英語では ”Caricaturing” :簡略化、単純化、戯画化)を行っています。その中で「O感覚」「A感覚」「P感覚」「V感覚」(これらの意味はそのイニシャルから推測してください)などと今でも通じるような表現をポンポンと記しています。「少年愛の美学」や、こうした所に稲垣足穂を(私が)耽美的と称する所以がある訳ですけど、いわゆる耽美派と同列のものとは思っていません。稲垣足穂にはもっと「乾いた」ものを感じます。私の本棚にある彼の「一千一秒物語」などは、ご覧になればすぐに分かると思いますが、そこには「句読点」がないのです。それが違和感を持つどころか、心地良い、ポンポンと弾むような面白いリズムで読む者を楽しませてくれるのです。内田百閒は逆というか、言葉使いやその表記に厳しかったようです。

このようにその作風、キャラクターを異にする二人ですが、たまたま両者を同時に知り、ほぼ同時に読んだため、失礼ながらセットにしてしまうのですけど、それは個人的にかなり面白い経験であったと感じています。内田百閒と稲垣足穂を読みながら、そこに共通する「ある同じもの」を感じたからです。冒頭に書いたように、両者は生きてきた時代が似通っています。その文章の中に感じるものは、明治・大正・昭和と生きてきたからこその、モダニズムと言えばいいのか(本来的な意味では違うと思いますが)現代へと向かっていくベクトルの中で、文学なるものの源流を形作った作家であると思えることです。なにやら、教科書的な表現ですが、もちろんこの二人以外にも文学を洗練してきた作家たちは多くいますが、おかしな表現覚悟で言うと「その必然」のようなもの「その仕組み」の様なものをこの内田百閒と稲垣足穂に感じてしまうのです。口にすればこんな感じです。「なるほど、人の精神が持つ普遍性に言葉が鍛えられてきたのか…」。ハイ、少々自分でも、取って付けたような、おかしな表現だと思います。

これ以上「自分の言葉」を使うと、ミョウチクリンな文章となりますので、少々予定調和的に内田百閒と稲垣足穂について語ってみます。かつて、文豪と呼ばれた夏目漱石や森鴎外たちの開いてきた近代の日本的な文学(私小説?)を引継ぎ、日本人としての感受性で多くの作家が明治・大正・昭和という時代の中でその文学を磨き上げ、そのプロセス、つまり、日本近代文学の「源流」なるものを顕著に、読者に見せてくれる(感じさせてくれる)のが内田百閒と稲垣足穂なのです。私はそう思います。現代の作家の多くは、二人の作品を読んでいようが読んでいまいが(まあ、作家なら読んでいるでしょうね)この両名の文体を継承しているのだと思います。内田百閒と稲垣足穂から戦後日本の文学が創られていったとも言いたくなります。

まあ、多少の思い込みはご勘弁てなところで、とにかくネタバレは好みませんので、この二人の作家の作品を読んでみてください。で、私と同じようなことを感じる人が少しでもいれば、なんというか、「でしょ」なんて声を掛けたくなります。多分、そうなると思うのですが…。

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