テキトー雑学堂 タイトルバナー

文学・評論 その34「サリンジャー ライ麦畑でつかまえて で、どうする…」


本 この、サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」を読んだのはいつ頃のことか…。学生時代であることは間違いないと思いますが、留年したころの時期でしょうか。妙な事に、都電が走っている近くの古本屋で買ったことだけは覚えています。特にこの本に興味があって買ったわけではありません。私の周りには特にこの本のことをどうのこうのと言う者はいませんでした(確か)。ただ、タイトルと、子供が書きなぐったような表紙の絵に(今はデザインが違うみたい)気を惹かれて、他に何冊かの古本と一緒に「ついで」ってな感じで買いました。この本の内容に関して特に事前の知識は正確に持っていませんでしたが、タイトルから何となく「幻想的な小説かな…」とか、勝手に想像してしまいましたけど。

この「ライ麦畑でつかまえて」は私の世代とは少しズレた世代の本なのでしょう、多分。で、この本についてこの「雑学系」のサイトに書こうとは思わなかったのですが、過日、CATVでアニメの「攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX」を久しぶりにイッキ見して、あの「笑い男」シリーズの中で改めて、この作者はサリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」をモチーフにしてこの作品を作ったのかもしれないけど、おそらく、この作品の信奉者ではないだろうな…、なんて勝手に思ったとき、色々な考えが頭の中に湧いてきたので、書いてみようかなと思った次第で。まあ、好き勝手が原則で運営しているサイトですから、そんな程度の動機でもご容赦。「ライ麦畑でつかまえて」のファンの方、信奉者の方、そういう方々はここから先は読まないでください。雑学というより雑感の様なものになりますし、それはいささか本作品に関してネガティブなものとなりますので。ちなみに、「攻殻機動隊 」の作者である士郎正宗が現実にはどうこの「ライ麦畑でつかまえて」と接したかは当然知りませんので、一作品の周辺にあることを個人がネタにして書くだけ、とご理解ください。

「ライ麦畑でつかまえて」。この作品をどう語っていこうか、ってことについてはこの瞬間、特に頭の中はゲル状で前言語状態、何もまとまっていません。例によって、破綻覚悟で書いてみます。アッという間に終わるような短い文章になるかも、です。この作品、野崎孝訳のものを読みましたが、うちの本棚のどこかにある筈です。しかし、多分もう読まないので探しません。余談ですが、他にも翻訳されているようですが、村上春樹が翻訳しているとは知りませんでした(忘れていただけかな…)。タイトルも「ライ麦畑の捕手」「危険な年齢」なんてのもあるようですけど、村上春樹のタイトルは原題そのままをカナ表記した「キャッチャー・イン・ザ・ライ:The Catcher in the Rye」。確かにこのタイトル、原題をどう訳した所で日本人の感受性にはおそらくストンとハマらないような気がするので、そのマンマの方がいいように思います。私は勝手に、「ライ麦畑:Rye」と「嘘:Lie」を掛けているのかとけっこうマジで思っていましたけど、関係ないみたい。多少はあるのかな…(ないか)。

ネタバレはしないようにしてますが、内容をまず知りたければWEBで検索してみてください。色々な解説サイト、ストーリー紹介サイトがあります。まあ、当たり障りのないところでザッと内容を紹介すれば、「主人公の名はホールデン・コールフィールド。16歳の高校生。クリスマス直前、学業不振で退学処分になってしまいます。で、生まれ故郷のニューヨークに戻りますが、そこは、全てが欺瞞に満ちた大人の社会。彼にはそれを受け入れることができません」という、まあ、ザックリと言ってしまえばよくある青春物語の「プロット(ストーリーの要約)」ですね。しかし、この作品は世界中の青年世代の鬱屈した心情をガッツリと掴み、青春小説の古典的名作とされ、犯罪者の愛読書であったりして(たまたまだと思いますけど)、社会的な問題ともされた作品です。日本の太宰治的な「青春麻疹病」作品のような書評をする方もいます。まあ、太宰治のマゾヒズム(被虐)的なところとサリンジャーのサディズム(加虐)的なところがけっこう似通っているような…。私は太宰治青春麻疹病が全快した後にこのサリンジャーを読みましたので、特段にこの作品から影響を受けるようなことはありませんでした。まあ、太宰治の方が圧倒的にネチッコイと思いますけど。

ところどころを切り取れば、興味深い表現はあります。それを前述の「攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX」の中で見かけます。代表的なものは、「笑い男」である(?)登場人物アオイのキャッチャーミットに書かれた"You know what I'd like to be? I mean if I had my goddamn choice, I'd just be the catcher in the rye and all."。テキトーに訳せば、「僕が何になりたいか知っているだろ。クソッタレだけど、ライ麦畑のキャッチャーになりたい。ホント、それだけなんだ」ですかね。この「キャッチャー」というのは、直訳すれば「捕獲者、野球の捕手」でしょうが、作中に出てくる子供の詩、"If a body catch a body coming through the rye" の「ライ麦畑を走る抜けてくる子供(body)」たちが対象ということでしょう。これは、妹のフィービーに「何になりたいの?」と問われ、それに答えた言葉です。「訳分かんねえ」なんて仰る方がいても当然なのです。日本にはそうそうライ麦畑なんて無いし、その中を走り抜けるなんて経験もまず、できないでしょうから。お米の田圃で稲穂の中を走り回ったら、お百姓さんに張り倒されます。意味なんて分からなくたっていいのです。自分がなりたいものや、自分が願うものを明確にできることなんて、歳に関係なく、そうそういませんから。こんな感じ、程度…。

私の勝手な考えとしては、「嘘だらけの社会」ってのと「嘘つきの大人」がいたとして、「その嘘を唾棄する者」「その嘘を憎む者」がいて、そうした者たちが走り回っているのが、視界の効かないライ麦畑の中。たぶんそれで世の中のバランスが取れているのではないかと単純に思います。「誰も嘘つきがいない」か、もしくは「嘘つきしかいない」、そんな世の中は成り立たないでしょう。そんな所にはライ麦畑なんて無いでしょう。極論ですが、そんな世の中だと変化などなくて、「価値」を創造できない状態で、ある意味、ファシズム的な状態ではないでしょうか。「攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX」の主人公、草薙素子少佐の「目と耳と口を塞いで生きろ!」なんて感じで。実際、ホールデン・コールフィールドはそうして暮らそうと作中で考えたようです。劇中の「笑い男」マークの中に書かれているフレーズ、"I thought what I'd do was, I'd pretend I was one of those deaf-mutes."、これまたテキトーに訳せば「僕は目と耳と口を塞いだ人間になろうと考えた」、ですね。

なんか、青春物語って、結局、そこら辺に行ってしまいそうな危うさを孕んでいて、オッサンになってしまった私としては、そこが苦手。青年の成れの果て「見ざる、聞かざる、言わざる」って、特に会社(大きいやつ)って所にたくさんいますよ。「ライ麦畑でつかまえて」って、結局は清濁(様々な価値)を「受け入れる健全さ」ってことじゃないかと思うのですが…。違う…?

文学・評論 目次へ



【商品検索】Powered by Amazon

↑「すべて表示」をクリックするとAmazon.co.jpの検索結果一覧に移動します。

■これからギターを始められる方のご参考にでもなれば。
木の音 バナー
「あれこれブログ風」サイト
「不思議」「怖い」「変」を普通に考える。 バナー
「花を楽しむ」サイト
花を飾る バナー


■サイトポリシー ■プロフィール
■お問い合わせ
ページトップへ戻る

Design by Megapx / Template by s-hoshino.com
Copyright(C) Ureagnak All Rights Reserved.