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文学・評論 その37「カート・ヴォネガット・ジュニアが教えてくれた時空連続体」


本 私の学生時代に関してのことはあちこちで書いていますが、本ではSF一色、音楽ではブルース一色でした。まあ、SF作品以外も読まない訳ではありませんし、ブルース以外の音楽も聴きましたが、休みになると古本屋でSF小説を探し、中古レコード店で古いブルースのアルバムを探すのが楽しみでした。両者の共通点は「枠が決まっているような中での意表を突く創造性」、です。ブルース好きになったキッカケはここでは置いといて、本格的にSF好きになったキッカケはこの編の「文学・評論 その3」、「異彩を放つハヤカワSF ガラパゴス的進化」に書いた通り、友人が貸してくれた一冊の筒井康隆の本(タイトルは忘れました)からです。そこから一気に「ハヤカワSF」の世界にのめり込んでいきました。もっとも、子供の頃にジュブナイル(少年少女向け小説)ですでに筒井康隆や眉村卓などの作家には出会っていましたし、当然ながらジュール・ヴェルヌ、H・G・ウェルズといった大御所の作品にも触れて、空想好きな子供はその世界に時々嵌っていましたけど。

しかし、学生時代には斜眼帯をした馬の如く、ひたすらSF小説を読み続け、その世界に浸っていました。ちなみに、SFというと宇宙を飛び回るヒーローもののようなイメージをお持ちの方は多いと思いますけど、それはエンターテイメント色の強い「スペース・オペラ」で、スぺオペなんて呼んでいましたけど、そちらの方はあまり興味がありませんでした。とはいえ「レンズマン」や「デューン/砂の惑星」などは当然読みました。では、そうしたSF作品と「スペオペ」とではいったい何が違うのか? それはテーマ性です。もう少しカッコ好く言えば、哲学性ですかね。つまり、科学(Science)が生み出すシチュエーション(新たな技術によって作られる場面)を借りて、人間ドラマを限りなく広げて物語を紡いでいく、といった手法が既存の小説手法とは桁が違うほどに多彩多様な作品を生み出していく、ということです。私はそう考えます。科学が文学に新たなテーマを与え、それを昇華させたということです(分かり難い説明ですけど、いいのです)。

で、数あるSF作品から、専門書では理解が難しい概念を教えられてきました。例えば「時空連続体」です。これはアインシュタインの相対性理論の中で「時は一定に流れる川のようなものではない」とされ、時間と空間を同時に捉える四次元体という考えですが、どうにも理屈では分かっても、正直なところイメージはし切れませんでした。彼ら物理学者は数式という言語を使って話しているようなもので、そちらの方では破綻している者にとっては近寄り難いというか、近寄ることもできません。それを、イメージできるものとして描いてくれたのがカート・ヴォネガット・ジュニアです。それは、彼の作品「スローターハウス5:屠殺場5号(Slaughterhouse-Five)」です。この中に登場する主人公ビリー・ピルグリムとトラルファマドール星人によって語られる世界が、私でもイメージ可能な「時空連続体」の姿を示してくれました。ちなみに、この主人公ビリー・ピルグリムはカート・ヴォネガット・ジュニア自身です。これは自らの第二次世界大戦での体験をもとに書かれたもので、「屠殺場5号」とは彼がヨーロッパ戦線で捕虜として収容されていた施設の名前です。

作品のネタバレは避けますが、ビリー・ピルグリムはトラルファマドール星人とともに自らの時空の中で翻弄されます。ある時はトラルファマドール星であったり、ドイツのドレスデンであったり、第二次世界大戦中のドイツで捕虜になる前の兵士であったり、戦後のアメリカであったり…。彼は、自分の将来まで全てを知ってしまうのです。トラルファマドール星人は、「今」という時間の中に住むのではなく、「過去・現在・未来」という3次元体に「時間軸」が加わった「時空連続体」の中に生きている生物なのです。彼らはある意味で「運命論者」であり、「人生の中での自由意志を持たない者」でもあります。しかし、「時間軸」を持たない人間は「自由意志」を持って生きています。これが、人間(地球人)の特性であるとか。この辺りのことは作品を読んで感じていただければと思うのですけど、私には時間と空間が不可分な世界を生きるトラルファマドール星人(実は他の作品でも登場します)を通じて、「時空連続体」というものをイメージすることができました。

ちなみに、話が逸れるかもしれませんが、アメリカ文学の中には「ブラック・ユーモア派」なるものが存在し、それは悪夢的な第二次世界大戦後に現れた、巨大な組織や不条理な現実に個人が敗れる姿を、戯画的・虚無的に描く一派で、カート・ヴォネガット・ジュニアは文学におけるその一人であり、1970年代の学生たちに圧倒的な支持を受けたようです。そうした、作家としての背景については後々に知るのですが、彼の作品「タイタンの妖女」「猫のゆりかご」などを読んで、この編の「文学・評論 その35」、「アンドロイドは電気羊の夢を …見るかも」で書いたフィリップ・K・ディックとともに、学生時代の私の頭を相当にガツンと叩いてくれました。余談ですがフィリップ・K・ディックの作品に描かれている「キップル」は、熱力学の第二法則にあるエントロピーの概念が元ですけど、これなども本来は難解なものをスッとイメージさせてくれました。興味のある方は本サイトの「社会・政治 その17」、「キップル化する社会 二度と元には戻らない…」をご覧ください。

カート・ヴォネガット・ジュニア(1976年の作品「スラップスティック」からはカート・ヴォネガット)は、1922年~2007年の生涯の中で、その青年期を第二次大戦の中で兵士として過ごします。ヨーロッパ戦線でドイツ軍の捕虜となり、あの悲劇的なドレスデンの空爆では、なんと捕虜として味方からの猛烈な空爆を受けるという体験をし、街そのものが歴史的芸術品であったドレスデンの廃墟となった姿を見ています。これは、もし日本で言えば京都が空爆され、応仁の乱後のような焼け野原となるのに匹敵するほどの「戦争の蛮行」です。その景色を見ながら彼の中にはどのような想いが湧き上がったのでしょうか。後に彼は「スローターハウス5」の中でその光景を、「月面のようだった」と語っています。

SF小説(サイエンス・フィクション:Scientifiction)をいまだに「科学空想物語」と呼ぶ人がいますが、空想という言葉の解釈は置いといて、科学(Science)が生み出した現実のもの、例えば戦車、爆撃機、戦闘機、戦艦、核兵器、ミサイル等々は現実に空想の世界が具現化し、現実の世界を破壊しています。人間の住む世界を、です。SFをただの空想物語と思う方はスターウォーズのようなエンターテイメントとしての映画でもいいのですが、ぜひ、カート・ヴォネガット・ジュニアを始めとするSFのジャンルに入る作家たちの作品を読んでみてください。SFが空想の産物であることは間違いないのですけど、それはいずれ実体となって、人間の住む世界に決してハッピーとは言えない結末をもたらすことが、嫌になるほど分かると思います。今や "IT" と "AI" の勢いは止めようもないですけど、その先に現れる遠くない未来の姿をイメージしてください。それはまもなく現実となりますから。SF小説は、今は難解な理論であるものを、未来の現実として教えてくれます。

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