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文学・評論 その38「ノーベル賞に『文学』ってジャンル、必要なんですかね」


本 このテーマは特定の文学作品に関することではないのですけど、要は文学に関わることですから、ここに書きます。ノーベル文学賞。ノーベル賞に関しては特に説明など要らないと思いますが、一応、形程度に。Wikipediaから引用させていただきます。

「ノーベル賞(ノーベルしょう)は、ダイナマイトの発明者として知られるアルフレッド・ノーベルの遺言に従って1901年から始まった世界的な賞である。物理学、化学、生理学・医学、文学、平和および経済学の『5分野+1分野』で顕著な功績を残した人物に贈られる。 経済学賞だけはノーベルの遺言にはなく、スウェーデン国立銀行の設立300周年祝賀の一環としてノーベルの死後70年後にあたる1968年に設立されたものであり、ノーベル財団は『ノーベル賞ではない』としているが、一般にはノーベル賞の一部門として扱われることが多い」

ここに加える言葉があるとすれば、「ノーベルが残した巨大な財を基金として設立された賞」「過去 1年間に人類に対して最大の貢献をした者」に授与、という事でしょうか。あと「5分野+1分野」となっている「1分野」とは「平和賞」の事でしょう。この賞のみは、スウェーデンではなくノルウェー政府が授与主体となっています。当時の両国の和解と平和を祈念してということが理由だそうです。他のノーベル賞と異なり、団体も授与対象となります。

で、2018年は文学賞の発表を見送り、2019年分と合わせて発表するそうです。今年、文学賞を見送ったのは、スウェーデン・アカデミー関係者のスキャンダルが原因のようですけど、まあ、ノーベル賞の対象者には「清廉潔白」であることが条件づけられているようですから、仕方のない事でしょう。失礼ながら、「権威」として長く君臨し続けたものは、「叩けば誇りまみれ」だと思いますけど、バレてしまったものがやり玉に挙げられた、という事でしょう。とはいえ、一世紀以上のこれだけ長い間、その「権威」を保ってきたノーベル賞はやはりスウェーデン・アカデミーの努力の賜物だと思います。物理学、化学、生理学・医学、の3分野は明確にその「功績」なるものを世に示し得ます。まあ、「平和」ってのも、普遍的な価値観として成立しますから、それに対しての「貢献」というのは、顕在し得るのでしょう。少々、恣意的な選考となるような気もしますが(つまり、政治的な意図が関与し得る)。杞憂でしょうか。

で、以上の物理学、化学、生理学・医学、および平和に関してはノーベル賞の意義というのは分かるのですが、どうにも「文学」に関してはその意義が分かりません。これって、何を基準に対象者を決めるのでしょうか? 昔からの疑問です。設立時には文学作品の価値だけで無く、作家に対して、ノーベル賞に値するようなモラルとか生活態度、また社会的な地位も大切であるとしていたそうです。それだと、別に「文学賞」じゃなくて「いい人賞」か「善人賞」でもいいような気が…。その後はその辺りを審査の対象外とし(でも、ノーベル賞自体が選考基準としてモラルとか生活態度を重要視しているようですけど)、作品自体の「文学性を審査基準」とするようになったようですが、これがますます「いい人賞」であるより分からなくなってくる原因なのです。

そもそも「文学」なるものに普遍性なんてあるのでしょうか。哲学ですら、その時代時代に「真」なるものは変化します。単純に考えても「文学」という「個人の創作物」には好き嫌いが、個性的であればあるほど強くなります。ノーベルの遺言に「理想的な方向性の (in an ideal direction)文学」を表彰の対象とするという言葉が残っているようですけど、この理想的ってのがまさにどれほど存在するのか、イデオロギーや宗教まで含めて、分かりません。やはり、極めて「政治的」となる可能性が大です。日本人として初めて川端康成が1968年(昭和43年)に受賞したとき、もう一人前に本好きな小僧にはなっていましたけど、なんで彼が選ばれたのか、子供ながらによく分かりませんでした。1994年(平成6年)に大江健三郎が受賞したときも同じような感想を持ちました。この頃はもう本好きな社会人でしたけど。今でも、この賞の受賞者の「功績」なるものが何なのか、よく分かりません。一応、彼らの作品は読んでいますけど。

ノーベル賞って、「人類への貢献」ということで表彰するのであれば、物理学、化学、生理学・医学の3分野で十分ではないでしょうか。「文学」に加えて、やはり極めて政治的になりやすい「平和」なんてのも要らないのでは。ノーベル賞を取った作家の本は書店の平台に山と積まれますが、それを読んだことはありません。人には好き好きがあるのです。まあ、ノーベル賞作家ファンってのもいるのかもしれませんけど。日本の、あの村〇〇樹がノーベル賞を取ることを待ち望んでいるファンもたくさんいるようですけど、個人的には三島由紀夫や安部公房が取れなかったのが不思議です。余談ながら筒井康隆が直木賞を落ちまくったのも不思議でした。ハイ、これは所詮、好き嫌いというものです。とはいえ、この好き嫌いは人の自由であり、勝手です。That's all. ちなみに、やはりジャンルとしてのSF作品の作者が受賞することは無いようですね。まあ2017年(平成29年)の受賞者カズオ・イシグロは「わたしを離さないで」というSFジャンルの作品を書いてはいますけど。SFに対する文学的偏見は世界的のようです。文学への評価自体が偏向していますね。故に、ノーベル文学賞なんて「権威」は偏っています。

とまあ、自分勝手な事を述べてきましたが、(悪)ノリのついでに、「平和賞」なんてものはモロ政治的である事、2010年(平成22年)に中華人民共和国の「劉 暁波(リウ・シャオポー):1955年~ 2017年」が受賞したときに時の中国政府が取った態度は記憶に新しいですけど、これも大いに???な受賞という事になります。表彰することで政治的な揉め事を起こしてどうするのかね。平和への貢献とかを謳っても、それは時代とともに評価はどんどん変わっていきますけど。

で、最後に好き勝手言いたい放題の締めくくり。「ノーベル経済賞」ですけど、これをノーベルが遺言で対象にしなかったのはよく分かります。もろ、掴みどころがないものですから。物事を理系・文系的に分けて考える趣味はありませんけど、あえて言うなら、これは自然科学と異なる社会科学の癖に、数学的な手法を好んで使います。しかし、ではどうして「リーマン・ショック」などの「恐慌」や「バブル」を明確に予測することができなかったのでしょうか。所詮、「欲」で出来上がっているものに自然科学の手法なんて通用しません。これも不要なのでは。「神の見えない手( invisible hand of God)」なんて言葉が出てくる経済より、物理の「マクスウェルの悪魔(Maxwell's demon)」って言葉の方が実体を感じますね。

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