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文学・評論 その39「森鴎外 『寒山拾得』 文学に解釈で臨むと…」


本 テーマに森鴎外の名を挙げましたが、ここで「森鴎外論」なるものをやるつもりはありません。メインとなるのは「寒山拾得(かんざんじっとく)」というその作品についてです。お読みになられた方も多いと思いますけど、この「寒山拾得」は森鴎外の創作ではなく、一応、実在した人物のようで、寒山寺という寺も残っており(日本に拾得寺もあるそうですが、未確認)、寒山作とされる漢詩も残っていますから。「寒山拾得」については他の作家の作品もあり、宋代以後のようですが、彼らの奔放な生き方に憧れる禅僧や文人によって画題とされ、実際、多くの絵が残されています。「寒山拾得」は一人の人物ではなく「寒山」と「拾得」という二人の人物で、その人物画は二人並んで描かれ、ご覧になった方も多いと思います。けっこうポピュラーな画題のようですから。

「寒山拾得」について、一応、その概略のようなものを簡単に記しておきます。一般的なものです。寒山と拾得は、唐代の非僧非俗の人物。両者とも在世年代は不詳のようです。寒山は寒巌幽窟と呼ばれる場所に住んでいたため寒山と呼ばれ、大きな木靴をはいて樺の皮をかぶっていたとされています。拾得は国清寺の「豊干(ぶかん)」という僧に拾われて拾得と称し、国清寺の行者となります。豊干はふたりを悟りに導いたといわれています。相交わるようになったふたりは国清寺に出入りし、その食事係となって衆僧の残した残飯や野菜クズを拾って乞食同然の生活をしていたようです。時には寺の中で奇声・叫声・罵声を発し、時に放歌高吟したり、手を打ち鳴らして呵々大笑しておもむろに立ち去ったりして、寺僧たちを困惑させます。しかし、仏教の哲理には深く通じていたらしく、両者とも詩作をよくし、ことに寒山は「寒山子詩」と呼ばれる多数の詩を残しています。寒山は文殊菩薩、拾得は普賢菩薩の再来と呼ばれることがあり、また師の豊干禅師を釈迦如来に見立てることがあったようです。

森鴎外の「寒山拾得」は短編ですが、上記のような伝承に若干のストーリー性を持たせて描かれています。主人公となる役人が、頭痛もちで、その頭痛を乞食坊主の「豊干」に治してもらい、さぞ名のある僧と見込み、これから赴任する先に会うべき名僧がいるかどうかを尋ねます。「豊干」は国清寺の「寒山と拾得」の名を告げます。そして「実は、寒山は文殊で、拾得は普賢である」と言います。役人は自分が赴く任地から国清寺に「寒山と拾得」を尋ねます。国清寺で出会ったふたりは実にみすぼらしい姿でした。しかし、自分の頭痛を直してくれた「豊干」の「実は、寒山は文殊で、拾得は普賢である」という言葉を聞いたため、礼を尽くして挨拶します。すると二人は顔を見合わせて笑いながら逃げるように去っていきました。以上…。

森鴎外の「寒山拾得」を読んだ方は、この展開に拍子抜けることと思います。私は、そのあとの話があるのでは、と思いました。が、話はそこで終わりです。コロンと膝の皿が落ちたような感じでした。皆さまはいかがでしたでしょうか? おそらく同じような感じであったかと…。まだお読みでない方は、多少のネタバレをやってしまいましたが、ぜひお読みください。寒山が最後に口にした言葉と、役人の反応については書いていませんので。

で、そのご感想をお知らせくださいなどと言いたいわけではありません。文学への接し方は人ぞれぞれですし、鴎外には他にも西洋の印象派のような「突き放されたような」感じのする短い作品があります。しかしその本質は「阿部一族」や「山椒大夫」「高瀬舟」のように、「歴史其儘と歴史離れ」といった、ある種の形式的な古典主義から近代的な「文学」の在り方を実践するかのような作品を残した、明治の持つ近代化の空気を押し固めるような、まさに知性の巨人、月並みながら「大文豪」というにふさわしい作家であると思います。では「寒山拾得」とは、不謹慎な表現ながら「お遊び」のような作品なのでしょうか。そうではないでしょう。とはいえ、例えば「阿部一族」を読んだ後にこの「寒山拾得」を読めば、その感覚的な落差に「眩暈のような戸惑い」を覚えてしまします。何故…?

私なりの考え方です。森鴎外でなくとも、文学というものは「明確なメッセージ」「明確な意味性」を持って創作されたものとは限らないのです。そうしたものもあるでしょう。しかし、娯楽小説(これも当然文学です)のジャンルに入る作品のように、大円団を以て本を閉じるものばかりではありません。どうにも、落ち着かない気持ちで本を閉じる作品もたくさんあります。「寒山拾得」などは私にとってその典型です。落ち着かないというよりも、読後感として頭が「閉鎖循環回路」になって、いつまでもグルグルと回り続けてしまうのです。その辺りの事は森鴎外の「寒山拾得縁起(かんざんじっとくえんぎ)」に書かれています。

それは次のような文章で始まります。「徒然草に最初の仏はどうして出来たかと問われて困ったというような話があった。子供に物を問われて困ることはたびたびである」。で、実際に我が子から寒山詩について質問され、説明を続けているうちに追い詰められ「最も窮したのは、寒山が文殊で拾得は普賢だと言ったために、文殊だの普賢だののことを問われ、それをどうかこうか答えるとまたその文殊が寒山で、普賢が拾得だというのがわからぬと言われたときである」と述べている。しかし、森鴎外はその時に子供にした話を作品としてまとめます。そして、こう述べています。「子供はこの話には満足しなかった。大人の読者はおそらくは一層満足しないだろう」。

話を「文学なるもの」に戻します。まあ、そこに万人が満足する作品が無いとは言いませんけど、人ぞれぞれに異なる思いで本を閉じる作品も多く存在すると思います。この「寒山拾得」は何かの機会に読み返すと、そこに数十年前に感じた、頭の「閉鎖循環回路」がまだグルグルと回っていたことに気付かされます。で、ここはひとつ「解釈」を以てこの「寒山拾得」に臨むことをスッパリと諦める、というか「止めてみる」ことにしました。これは森鴎外の、忌憚なく言えば「お茶目」な創作に自分が振り回されているだけなのだとして。これは「開き直り」のようにも思えますが、意外と本質かもしれません。「寒山が文殊で、拾得は普賢」「文殊が寒山で、普賢が拾得」はイコールであり、歴史の中に伝えられているそのままの事なのです。そこで頭を「閉鎖循環回路」に入れてしまったのが間違いで、これを掛け軸に描かれた一幅の絵として眺めればよいのです。言葉に対して言葉を以て臨まなくても良いのです。そんな結論で、スッキリしたとは言い切れませんが、ある程度得心して、改めて森鴎外の「歴史其儘と歴史離れ」を読んでみると…。

そこで目にした最後の一文…。「兎に角わたくしは歴史離れがしたさに山椒大夫を書いたのだが、さて書き上げた所を見れば、なんだか歴史離れがし足りないやうである。これはわたくしの正直な告白である」。やはり私は「振り回されていただけ」であったと妙な確信をしました。「寒山拾得」を初めて読んだン十年前から…。

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