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文学・評論 その4「男性が文学から離れていく…? 文士は何処に…」


本 もしかしたら(多分)、ここではかなり偏向した事を書いてしまうのかもしれません。非常に歯切れの悪い出だしですが、いかんせん、統計がある訳ではないので自分の身の回りで感じる事を論拠に思う事ですから。それに、タイトルで一目瞭然ですけど、女性が読まれたらムッとするような内容になるかも、です。しかし、かつて「物書き(定義:文章を書いてお金をもらっていた)」の端くれ(ヒエラルヒーの底辺…)としてどうしても感じざるを得ない事なのです。「男性が文学から離れて行っているのでは…?」という懸念。ある方に言われましたが、「男性は一定の年代から小説ではなく実用書を主に読み始める」とか。確かに我が身を振り返ってもそうだと思いますけど、それは仕事と時間の関係で、どうしても実用書を読む頻度(割合)が高くなってしまうという事情もある訳でして。

私の世代は、学生時代(在籍した大学の特徴かもしれませんが)、周りには作家志望と役者志望の連中がゴロゴロしていました。私自身、演劇にはあまり興味はありませんでしたが、活字が好きで一度だけチャレンジしてみました。まあ、一応、お金を貰えるところまでは行きましたが、あまりハッピーではありませんでした。理由その1。自分の書きたいものが書ける訳ではありませんでした。理由その2。編集者とウマが合いませんでした(失礼)。
 
「物書き」と名乗ればそれはそうなのですが、その中で高みを望むとすれば屍累々の世界に飛び込むと言う事です。その世界で成功できるのはホンの一握り。私はその世界から離脱し、企画屋の方に戻りましたが。別に何の未練も後悔もありませんでした。個人的な事はさておいて、確かに「男性の文学離れ=男性の小説離れ」、「男性の作家志望者の減少」といった、偏向と言われようとも、身の回りに感じてしまう事は事実であると思います。その一番の原因は「社会が安定していた期間が長く、食べていくためには勤め人の方が無難(氷河期ではあっても)」であるという背景があると考えます。その中で、実用的なものの方が重視されて、本来的には娯楽である「小説」なるものが、娯楽自体の多様化の中で選択機会が縮小していったのではないのか…。まだまだ、サラリーマンの世界では男性が圧倒的に多く、女性の社会進出は飛躍的にその機会を増やしていますが、未だ「喰っていく社会」は男性中心です。となると、男性が小説をあまり読む機会とモチベーションが無くなってくる、と。
  
「読み手」が少なくなっていくと当然「書き手」も少なくなっていくというのは市場原理の「供給」だけの理屈から言えば分かりますが、「潜在需要」はどうなのでしょうか? 大江健三郎の「小説の方法」という本の一説に「書く事と、読む事は本質的に同じ」という言葉がありますが、これはその通りだと思います。書く事も「生みの苦しみです」が、読む側にも「同等か、それに近い力」を要求するものだと考えます。昔懐かしい週刊プレイボーイで今東光が「極道辻説法」なる「人生相談コーナー」のようなものを担当されていましたが、今東光の考えが非常に面白く、楽しく読んでいました。その一つをご紹介すると、ある相談者の青年が「僕にはランボーの詩が理解できない。と言う事は、僕にとってランボーは意味がない」といった事を投稿していたのに、今東光の答えが奮っていました。「べらんめえ! てめえなんかにランボーが分かってたまるか。ランボーが分かるやつは、ランボーに近づこうと必死になっている奴だけだよ!」。

まさに。先の大江健三郎の言葉と相通じるところがあります。私見ですが、この極道辻説法に投稿された方の意見、私は特殊だと思いません。妙な達観主義とでもいいましょうか、このような考えをする人は私の周りにも多かった(増えた?)気が、当時していました。今でもそうですけど。つまり、分からないから「分かろうとしない」。ということは、他者の考えから生み出された小説なるものの需要も当然ながら減っていく、と。作家と読者のコンビネーション、「高め合い」のような仕組みが縮小しているのかもしれません。念を押しておきますが、あくまでも私見です。
  
で、ここからが本格的に「女性をムッとさせる」事になるような気がしますが、前述した事が男性を中心に起きているとしたら、少々社会的に割を食っている女性が、「書き手」となり、「読み手」となり、その「高め合い」の仕組みを作り始めているのではないでしょうか(仮説)。男性は日々の仕事の中で、やれ資料作りだ、やれマーケティングだ、やれ企画書だとか、全てを「数値化・客観化」することに一生懸命になっています。会社とやらで。当然「喰っていくため」なのですが、これを続けていると、結果的に、「想像の世界で遊ぶ」力がどんどんシュリンクしていくのではないでしょうか。女性は比較的その埒外にいて、人間に対しての観察眼、生活感覚や、感受性、主観的な思考形態を新鮮なままに温存している…。とすれば、小説に限らず、大方の創造的な領域は次第に女性が主役になっていくのでは…(くどいですけど、仮説)。現に、例えば小説家への登竜門、芥川賞の受賞者もここ三回連続、女性です。かつて、初代受賞の石川達三から数えて、女性の受賞者が出るのは九人目です。五十回目の田辺聖子が受賞するまでの女性の受章者は五人です。男性は四十四人です。今では、ここ十回で見ると、男性三人、女性五人です(該当者なし二回)。
    
個人的な経験から言って、小説はマーケティングや企画なんかから生まれないのです。とにかく、ハチャメチャではあっても、馬力のある感受性と想像力の中からポンと生まれてくるのです。物書きをやっている時、よく「どうやったら物書きになれますか」という質問を受けました。正直言って、そういう事を人に聞く方には無理です。書く人は人に聞くより、エンジン全開でとにかく「書いて」いますから。ハウツーなんてありません。タイトルに「文士」と書きましたが、女性に対する差別では決してないのですが、「士」とは騎士とか武士のように事実上、男性を指すニュアンスの言葉で、かつては生活の破綻など顧みず、「ペンと紙で、人間の内面、社会、森羅万象、等々と対峙する」文士なるものに憧れていた男性が多いのも事実です。そういう方たちは「生きていく」ために文学の道を志し、「喰っていく」ということは別の次元にあったのでしょうね。今の男性はその殆どが「如何に喰っていくか」を突きつけられているのでしょう(ちょっと悲しい…)。いずれ、創造的な世界は女性に牛耳られていくのかもしれません。いや、既にそうなっているのかも…。「がんばれ、男!(自分も含めて)」。本ページはこのサイトのコンセプトから逸脱しているような気がしますが、気にしない事にします。何と言われようが個人的な「仮説」ですから。

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