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文学・評論 その6「どこからどう捉えればいいのか… 安部公房」


本 今までの読書体験の中で、最も読書量が多かったのはやはり大学生の時でしょう。とにかく、ジャンルにこだわらず、本サイトのコンセプトである「乱読」「斜め読み」、その都度何かが分かったような気(開眼?)がしていた記憶がありますけど、今(オッサン)となっては、それらが一体どこまで我が身の血肉になっていたのやら…、疑問。とはいえ、活字は好きで、時間のある時は近くの古本屋で本を買い込み、ひたすら読み漁ったものです。その勢いで自ら「筆で飯を食う」こともささやかに体験しました。意外と面白くなかったのでそれは数年でやめましたが…。私の読み方は「乱読」と書きましたが、一人の作家を気に入ると、ズッとその作家の作品をとにかく読み続けます。安部公房もそうでした。ちなみに、安部公房は昔の東京府北豊島群滝野川町の生まれという事を最近知ったのですが、学生時代、私が住んでいたすぐ近くです。今の北区滝野川でしょう。余談です。
    
安部公房の作品(小説。戯曲は「幽霊はここにいる」を読みましたが)は殆ど読んだつもりなのですが、今思い返してみると、様々なシーンが浮かんでは来るのですけど、それがどの話のどこら辺りであったかが混然としてしまいます。単に記憶が曖昧という事(オッサンには多少ありますが…)よりも、その作風というか、その時に感じた読後感がフワフワといっていいのやら、混じり合ってしまうといっていいのやら、とにかく作品群全体が溶解したようなイメージになって、境目がなくなっているのです。それこそがまさに安部公房の作風なのでしょうか。最初に読んだのは、お約束ですが「砂の女」です。安部公房を読むより先にカフカを読んでいましたので、確かに似たような感覚は覚えた記憶があります。カフカを読んだのは(無謀にも)中学生の頃で、「変身」や「城」「審判」などを読んで、カミュと並ぶ「不条理」の世界に脳味噌が相当に泡立った記憶があります。その時の感覚と似ているのです。確かに文字を読んでそのストーリーを追ってはいるのですが、読後感が簡単に言えば「狐につままれた」様な、明確な世界が掴めないのです。私の読解力の限界かとも思いますが…。それとも、それがまさに不条理なるものなのか…。
  
比較などすると失礼なのは承知で、例えば筒井康隆の「乗越駅の刑罰」に感じる不条理は、安部公房の「砂の女」に比べて、かなり「感情的」な部分に訴えてくれるので作品世界に入りやすく、読後感もボディーのあるものが残ったのですが、「砂の女」の読後感は「なんとも…」で言葉が止まってしまうような「流体」、誤解を恐れずに言えば「淀み」のようなものが頭の中に残ってしまいます。妙な感覚です。ですから、安部公房を語ろうとすると、どこからどう捉えればいいのか、戸惑ってしまいます。「R62号の発明・鉛の卵」や、「第四間氷期」「水中都市・デンドロカカリヤ」などは、もとがSF好きの私としては比較的スッと入っていけました。

しかし「けものたちは故郷をめざす」を読んだ時、これは本当に安部公房の作品なのかと少々驚きました。「こんなのも書くのか…」って感じで。決して、悪い意味ではありません。戸惑ったのです。改めて、安部公房を単に小説家として捉えていいのか(それで間違いないのですけど…)、劇作家、演出家、実業家(自動車のタイヤチェーンの発明をしているようです)、前衛文学の旗手、趣味人、エンジニア(氏はいち早くシンセサイザーに興味を示したり、ワープロの開発スタッフでもあったらしい)、様々な側面から捉えなくてはならないのか、そこが本質ではないと分かりながらも、そのキャラクターに目が及んでしまいます。同じような作家に三島由紀夫がいますが、氏と安部公房は仲が良かったらしい。なるほど…。
    
繰り返しになりますが、作品を時系列に沿って読もうと、ランダムに読もうと、恐らくその作品群に対する感覚は変わらないと思います。試しに「終わりし道の標に」と「燃え尽きた地図」を読んで、「榎本武揚」を読んでみてください。順番はどうでもいいのですが、「これが安部公房の世界だ!」とそのボディーを捉えるのは難しいと思います(あくまでも個人的な感想です)。「砂の女」と「箱男」を続けて読むと、安部公房なる作家が何となく分かるような気もしますが、その後に「方舟さくら丸」を読むと、また捉えどころがないような感覚に陥ります。まあ、読者としては「実に楽しませてくれる作家」という事なのですけど。
     
しかし、安部公房がノーベル賞を受賞できなかったのは惜しい。ですが、氏は既に世界で相当に高い評価を得ていますから、もう少し長生きをされていたら、間違いなくノーベル賞は取っていたでしょう。一読者としては、もう少し長生きしてほしかった。三島由紀夫もそうですが、何故あのような最期を望んだのかは誰に解説されようとも、納得はできないと思います。惜しい、の一言です。ここで三島由紀夫の名を成り行きで出してしまったので、私自身が感じる安部公房と三島由紀夫の「興味的には同じようにアトラクティブなキャラクター」ではあるのですが全く違うものを感じるという事を(偉そうに)書いてしまいます。三島由紀夫には「神秘主義」(の影響)のようなものを(かなり強く)感じるのですけど、安部公房には全く感じません。考えてみれば本来、逆ではと不思議な感じです。三島由紀夫は元官僚ですから、よりプラクティカルであってもいいと思うのですけど。

いずれにしても、「安部公房ワールド」なるものに(私は)未だそのイメージを明確に持つ事ができません。本来、作家のキャラクターと作品は切り離して楽しむようにしているのですが、この安部公房と三島由紀夫の両氏に限っては(特に)その作品世界が、作家という個人を理解しなければ今一つフワフワとした状態のままで、「読む」という楽しみが地に付かないように思えます。くどいようですが、個人的な感想です…。

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