テキトー雑学堂 タイトルバナー

文学・評論 その8「予言者? ジュール・ヴェルヌ H・G・ウェルズ」

この編の「その3」でハヤカワSFについて書いた中で、ジュール・ヴェルヌは「冒険小説にサイエンスを取り込み」、H・G・ウェルズは「ファンタジーにサイエンスを取り込んだ」と書きました。ヴェルヌは1828年、フランスに生まれ、ウェルズは1866年にイギリスに生まれて、世代的にはヴェルヌが亡くなる1905年まで、約40年間、同じ時代の空気を吸っていた訳ですけど、その時代には「人類が初めて経験する世界大戦(第一次:1914年~1918年)」が勃発。両者はヨーロッパに流れ始めたキナ臭い空気を共有していたと考えられます。ヴェルヌは幸いにそれを目の当たりにはしていませんが、ウェルズは1946年に亡くなっていますから、第一次だけではなく、それよりも凄惨な第二次世界大戦(1939年~1945年)のどちらも体験しています。

ウェルズにとっては当然その戦争の時代の経験が大きく影響していると考えられます。事実、彼は、直接・間接を問わず、戦争後の平和回復の運動に対して積極的に動いています(国際連盟樹立への尽力等)。ただ、ウェルズは「新世界秩序(New world order)」で、一見、博愛主義的な事を訴えているように見えますが、その実、社会主義(正確には、国家さえ認めない世界統一政府?)に傾倒し、優生学(恐ろしいほどの生命に対する差別学:私見)支持者であったという「負」の側面も示しています。そこへ至った経緯は複雑でしょうから歴史学者に任せるとして、ここでは彼を、戦争の凄惨な風景の中から、あれだけの作品を生み出したSF小説家の巨人として位置づけます。
  
ヴェルヌはその生涯で世界大戦を直接経験する事はありませんでしたが、欧米列強の角逐は目の当たりにしてきたことでしょう。また、戦争の度に技術は「大量破壊兵器」を生み出し、「如何に効率よく敵(人間)を殺せるか」を国家レベルで考え出す「近代国家」なるものを十分に目撃していた事でしょう。1815年のワーテルローの戦い(ナポレオン最後の戦争:フランス軍vsイギリス・オランダ連合軍&プロイセン軍)で、一度の軍隊同士の戦いで約5万の兵士(人間)が死んでしまうという事実は知っていたでしょう。そんな時代の中でヴェルヌとウェルズは「SFの予言者」とでも称したくなるほど、数々の「(未達の)科学」「未来」の世界を作品として残し、特にヴェルヌの作品は、その多くが現実の科学として実現しています。ウェルズの「タイム・マシン」や「宇宙戦争」「透明人間」はちょっと…、ですが、これとていずれは実現するのかもしれません(宇宙戦争はやめてほしいのですけど…)。彼らは、科学技術がもたらす「戦争」という大量殺戮を眺めながら、「科学」「未来」に対して希望を持っていたのでしょうか。日本では、手塚治虫の「アトム」などを見て育った世代の一人として、「科学が拓く夢のような未来」を疑う事も無く、私は信じて大人になりましたけど…。
   
今ではその「科学が作るきらめく夢、未来」というものは少々ぐらついていますけど、このヴェルヌとウェルズが時代のキナ臭い空気の中でも「未達の技術」に着目して、きらびやかな「未来」という領域、「SF」という領域を拓いたのはどれほどのモチベーションによるものなのでしょうか。科学技術が「凄惨」な戦争というものによって禍々しいほどの進歩を見せ、「実質的に殺人の技術」であった時代、彼らにはそれでも「未達の技術、科学力」が、あるべき「人間の未来」を築いていく事を信じていたのでしょうか。日本の漫画家、手塚治虫は、そのような事を言っていたように記憶しています。事実、ヴェルヌは平和主義者、進歩主義でありボナパルティズム(ナポレオンの帝政復活:当時はナポレオン3世)に対して、批判的であったようです。少なくとも、ウェルズは「負の側面」を持ちはするものの、両者とも「平和な未来を科学が実現する」という事がその思考の中に間違いなくあったのではないかと思います。
      
まずヴェルヌの作品から考えれば、「二十世紀のパリ」を見ると、夢ばかりではない科学のもたらす未来に対する懐疑が見受けられます。交通渋滞や大気汚染…。しかし、それは問題提起、警鐘に至るものであるというより、まさにその慧眼故の想像であると思います。後の名作「海底二万里」「月世界へ行く」「八十日間世界一周」などで描かれる、気球、水上飛行機、潜水艦、月ロケットはその後の科学で実現するものを「未達の技術」を「想像の力」で補い、まさに「予言」といいたくなるほどの精緻さで描き、実際に現代で実現している科学技術を作品上で具現化しています。特に「潜水艦ノーチラス号」では「電気による居住空間(電化)」「電気銃」、そして、当時は誰も見た事のない「深海」の世界を冒険しています。「月ロケット」はその発射の軌道、月に到達するための発射位置(確かフロリダ州)もかなり正確に表しています。

当時はロケット噴射という技術が無かったため、月へ行くのは「ロケット型の砲弾を大砲で発射」という設定になっていますが、現在、ロケットよりも経済的な技術として「発射型の宇宙船」がかなり現実的なところまで考えられています。「十五少年漂流記」のようなジュブナイル(少年少女向け小説)も手掛けていますが、子供のころに、まだ「冒険」という言葉がみずみずしさを持っていた時代、(個人的な経験では)子供の想像力を科学という手法でかき立ててくれました。一部に、子供たちに「誤解」を与えるとの批判もあったようですが、彼の描いた世界が現実の科学技術をリードしたのは事実です。ちなみに、ヴェルヌが描いた「歯車と蒸気機関で動く未来都市」という風景は現代のSF的表現に取り入れられ「スチーム・パンク」という、マニアックな世界を作り上げています。宮崎駿の「ハウルの動く城」のシーンもその影響を受けていると思います。
     
そしてウェルズですが、アイディアという事に関してはまさに「巨人」です。彼は驚くべき想像力で「人が考え付きそうなもの」を全て先行して独占的に出し尽くしたような作家です。まずは有名な「タイムマシン」、「透明人間」「宇宙戦争」「月世界」「航空機による戦争」「タコ型の火星人」「戦車の元型」「原子爆弾の予見」「世界政府」「細菌兵器」「反重力」「人工食品」等々、上げればキリがありません。あるSF作家が閃いた時、そのアイディアは既にウェルズが考えていた、というような感じです。1938年、アメリカのラジオドラマで放送された「宇宙戦争」が、本当に火星人が攻めてきたと勘違いした聴衆のパニックを引き起こしたという話は有名です。この放送をプロデュースしたのはあのオーソン・ウェルズです。名前が同じというのは面白いのですが、こちらはWellesで、G・H・ウェルズはWells。ちょっと違う(どうでもいい事ですけど…)。しかし、20世紀は戦争の世紀とはいえ、本物と勘違いするほどのリアリティが両ウェルズによって作り上げられたのでしょう。時代的に日本が攻めて来るというのではなくて、火星人ですよ…。ウェルズは自らの作品を「科学ロマンス」と呼んだそうですが、どう解釈してよいものやら…。既存の器には収まりきらない、という事でしょうか…。
  
いずれにしてもこの二大巨人が描き上げた世界は、その殆どが実現しています。戦車、潜水艦は言うに及ばず、透明人間でさえ、強力な磁場での光の屈折を利用して敵の目から姿を隠す「ステルス(戦闘用)スーツ」もまったくの絵空事ではなくなっています。タイムマシンでさえ、理論的には可能…(作れるかどうかは別にして)。タコ型火星人とて、科学的検証(重力等)の産物であり、実際にいるかどうかは別にして、長く宇宙人のイメージを代表してきました。彼らは、それらが全くの「未達の技術、想像しか方法が無い」時代に、鮮やかな姿で切り出しています。手触り感さえあるほどに。両氏は小説家ではありますが、まさに「SFの予言者」でしょう。いや、現在の科学技術を生み出した人間の「想像力」の先駆け、「預言者(神の言葉を預かる者)」であったともいえるかもしれません。夢中になれる作品群を生み出してくれると同時に、人間の未来が「人間自身の想像の中から生まれる」事をヴェルヌとウェルズが証明してくれたのなら、さて、これからはどちらに向かうのでしょうか。夢? 悪夢?

文学・評論 目次へ



【商品検索】Powered by Amazon

↑「すべて表示」をクリックするとAmazon.co.jpの検索結果一覧に移動します。

■これからギターを始められる方のご参考にでもなれば。
木の音 バナー
「あれこれブログ風」サイト
「不思議」「怖い」「変」を普通に考える。 バナー
「花を楽しむ」サイト
花を飾る バナー


■サイトポリシー ■プロフィール
■お問い合わせ
ページトップへ戻る

Design by Megapx / Template by s-hoshino.com
Copyright(C) Ureagnak All Rights Reserved.