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人文・思想 その12「大和魂 国学 日本のルネサンス」


本 右翼だ、左翼だ、という言い方がありますが、こうした両極的な分け方は「分かりやすい」反面、鉄板な先入観や妙な常識で「色眼鏡」となりやすいものです。右翼だと言えば「国粋主義、軍国主義」のように思われ、左翼だと言えば「革命思想、共産主義」のようなイメージで見られます。しかし、この二つのものは殆ど同質で、そのコアにあるものが違うだけだと思います。更に言えば、右だ左だなんて車のウインカーじゃあるまいし、そもそもが相対的な方位なのになぜそれがまるで水と油のような絶対的な思想の呼称に使われるのか? 元は英国の議会で保守勢力が右側の議席に陣取り、革新勢力が左側の議席に陣取って議論を交わした事に由来することだと記憶していますが、それこそ「歴史・地理その13」「赤勝て、白勝て! 源平合戦」で書いた、歴史的な経緯が実体を失って単純な形ばかり残っているという事になります。実際にはどちらも都度都度の事情であっちこっちになっています。

学生の頃、酒を飲みながら「自分の考え」を同級生に話していたら、いきなりその相手から「お前は○○か!(○○というのはその当時の学生運動の一派)」と指差されました。その友人は、実は「○○勢力と対立する一派の△△」の人間だったようです。さすがに温厚な私も訳の分からない事(○○が何であるのか知らなかった)に、「○○って何? 食べたことないけど、美味しい?」とボケをかましそうになりました。その同級生は決して変な男ではなく、見識も人物も一目置けるヤツでした。しかし、そのような者でも、相手にいきなり身に覚えのないレッテルを張るような事をします。とりあえず、テーマとして掲げた言葉に違和感をお持ちの方はどれくらいいらっしゃるでしょうか? 右? 左? どちらでもありません。
   
「大和魂? 国学? それとヨーロッパのルネサンス(ルネッサンス。現在の表記としてはルネサンス)と何の関係があるんだ?」と思われるかもしれませんが、私の頭の中では日本の「国学」というものと、そこに生まれた「大和魂」というものが「日本のルネサンス」であると、全く違和感なく鎮座しています。ルネサンスの定義自体は学者や対象によって異なるようですが(定義が難しい)、おおよそ間違いない事としてシンプルに解釈すれば「古典古代への回帰」であるとともに「中世の権威から人間性を取り戻そう」とした一連の思想的&実践的ムーブメント、であると考えます。この潮流はまさに「国学」が提唱したものと殆ど同じなのです。

ただし、若干の説明が必要になりますが、ヨーロッパでの「古典古代」とは「キリスト経以前の古代ギリシャ・ローマ」であり、国学の場合は「仏教・儒教の影響を受ける以前の日本」です。ヨーロッパのルネサンスは「こうあるべき」という形式から人間を解放し、古典の教養を持ち「人間の生き方」について思索する知識人を生み出し、建築に於いては、中世の職人ではなく、高い知識と教養を持つ建築家を生み出し、芸術表現に於いてはキリスト教が罪とする「裸体」をモチーフとします。「人間はあらゆるものになる可能性を持っている」とし、様々な方面で才能を発揮したのが、ミケランジェロ、レオナルド・ダヴィンチ、ラファエロ等、この時代の巨人です。ルネサンスに関して詳細を書けば、本一冊どころではなくなりますので、この辺にします。
     
で、このルネサンスを、江戸中期に起こった「国学」に重ねると実に同じような景色が見えるのです。国学は儒教や仏教の古典研究が主となる学問傾向を批判する事から生まれ、「人間らしい感情」を押し殺す儒教道徳、仏教道徳をも批判し、そして「人間のありのままの感情を自然とする」表現を評価し、「万葉集」「古事記」の古典研究を「実証主義的な姿勢」という、高い水準の学問へと引き上げます。ここはヨーロッパと少々異なりますが、ムーブメントとしては「研究・思想」が中心で、絵画や建築物などとして顕在するような成果物は見てとれませんが、大きく見れば平安の「国風文化」同様に日本独自の精神風土を生み出し、その後の日本文化のベースとなっていることは間違いありません。江戸時代以後の日本の文化を考えれば、それが同じ東アジアの国々とは趣を大きく異にしているのは確かでしょう。

その重要な核となったのは、支配せず、教えも押し付けない「神道」です。戸惑われるかもしれませんが、ここに日本、そして日本人の「受け入れる力=取り込む力」「受け入れつつもそれを日本的なものに変容させていく文化」の原型があるのだと考えます。神道により、日本人は「あらゆる教条的な権威から解放されている」のであって、ここがまさにルネサンスとの相似点であると思う訳です。朱子学や陽明学も背景にはあるでしょうが、それらは教養として認められますけど、その日本的ルネサンスから生まれた「大和心(=大和魂)」こそが、東アジアで唯一、西欧列強の侵略を受けなかった(許さなかった)国の屋台骨であるのです。
   
前述した事を詳細に説明し始めるとヨーロッパのルネサンスと同じくらいの「大ネタ」になりますので、ここは「国学の四大人(しうし、したいじん):荷田晴満、賀茂真淵、平田篤胤、本居宣長」の代表格である本居宣長(1730年~1801年)にご登場いただきます。まず、宣長の提唱した「漢意(からごころ)」がキーワードになります。その意味の、思い切り簡潔な説明を試みます。「漢意とは、中国(的教養)かぶれの者の事だけをいうのではなく、物事の善悪や是非、物の道理にこだわる考え方、それをする者全ての事である」。相当にぶった切って書きましたが、宣長は「何故?」「どうして?」「何?」は永遠に答えの出ない堂々巡り(質問の再生産)に陥ってしまうとして、いちいち理屈をつけねば実体化しないものを排しているのです。では、その対比となるのは? それが「大和心(大和魂)」です。

彼の研究のベースには「古事記」がありますが、その半生をかけて古事記注釈の集大成である「古事記伝」を著しています。本居宣長は「源氏物語」の中に見られる「もののあはれ」こそが日本固有の情緒であり、古来からの自然情緒、「あるがままに受け入れる心」を第一義的なものとして、儒教などのレトリカル(修辞的)なものを自然に背くものとして非難しています。まさに「人の心を解き放った」のです。それは明治期になっても岡倉天心らに引き継がれる精神です。

と、いう事で私は日本の国学が、ルネサンスの潮流と似通っていると考えているのですが、この「大和心、大和魂」は国粋主義や皇国史観にも影響を与え、悲しい方向(大日本帝国)へと変貌してしまいますが、「大和心、大和魂」はあくまでも文化の領域のものであって、政治・軍事とは関係ありません。日本が東アジアの中で唯一、西欧の侵略を許さなかったのは「強い文化」を持っていたからです。政治家や軍人が「大和魂」と騒ぎ出した時に、本当の「大和心」は委縮し、「無理強い」のための枕詞のようになってしまったのです。結果は歴史が示す通り…。宣長の言っている事とはまったく違う意味になってしまいました…。

教会の力が息を吹き返して終焉を迎えたヨーロッパのルネサンスと、やはり何となく似ています。吉田松陰(1830年~1859年)の「草莽崛起(そうもうくっき)」はこの精神文化が無ければ起こり得なかったでしょう。米国密航が失敗し、獄中で吉田松陰が死を覚悟して詠った詩です。「かくすれば かくなるものと知りながら やむにやまれぬ 大和魂(こうすればこうなると分かっていたが、思い立てばどうしようもない 自分の心には背けない これが日本人の心だ)」。ちなみに吉田松陰が図ったのは、政治亡命ではなく、知的好奇心からの密航です。

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