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人文・思想 その13「ディオゲネスの樽 鴨長明(方丈記)の方丈庵」


本 「ディオゲネスの樽と、鴨長明の方丈記…? 何の関係があるんだ?」と思われるかもしれませんが、私の頭の中では両者が同じ次元で並んでいます。どちらの方を先に知ったのかは忘れましたが、「ディオゲネスの樽」と「鴨長明の方丈庵(便宜上の呼称としてそう呼びます)」は私にとって「ちょっと憧れてしまう」ライフスタイルなのです。かといって、私は禁欲主義者という訳ではありません。どちらかといえば「煩悩の塊オヤジ」です。しかし、だからこそ「憧憬」に近いものを感じてしまうのです。もちろん両者の具体的な背景は違いますが、至った所は非常に似通っているのではないかと考えます。

まず、どちらかといえば「ディオゲネスの樽」の方が馴染みが薄いのではないかと思いますので、そちらから。ディオゲネスは紀元前5世紀から4世紀(没年は紀元前323年)の古代ギリシアの哲学者で、系譜から行くとソクラテスの孫弟子になるようです。ディオゲネスの師であるアンティステネスがソクラテスの直接的な弟子であったかどうかは分かりませんが、同時代人であり、ソクラテスの影響を強く受け、禁欲主義を掲げる「キュニコス派」を創始します。ディオゲネスはその弟子。

ちなみに「キュニコス」とは「犬の」という意味で、その一派は乞食に近いような、必要最低限の生き方を理想としていたようです。その姿は素足にボロ布をまとい、ズタ袋に必要最小限の生活用具を入れて持ち歩いていたといいます。ディオゲネスはこの「キュニコス派」で最もよく知られている学者で、「犬のディオゲネス」とも呼ばれています。彼を有名にしたのは、その棲家としていた「樽」です。ディオゲネスは人生で最も大切なものは「徳」であり、欲望から解き放たれて「自足する事」が重要であると考えたようです。知識や教養さえ無用のものとして、プラトンに「狂ったソクラテス」とまで言わせています。有名な話に「プラトンの雄鶏」の逸話がありますが、プラトンが「人間とは二本足で体に毛が無い生き物」と定義したのに対して、ディオゲネスは雄鶏の羽根を毟って、「これがプラトンのいう人間だ」と揶揄したといわれています。
    
で、ディオゲネスは「樽」を棲家として、まさしく乞食のような生活ですが、れっきとした学者です。余談ですが、ディオゲネスが知識や教養を批判したというのはおそらく「教条主義的な」ものに対してだと考えます。同じような考えの人物としては、「人文・思想その12」に書いた日本の本居宣長や、「社会・政治その8」で書いた中国の王陽明がいます。ディオゲネスの「徳」とは東洋でいう所の「道徳的」な性格のものではなく「均整のとれた精神」であり、個人的な解釈としては「何物にも囚われない」という事だと思います。彼の著書は残っていませんが、その多くの逸話が伝えられています。例えば、昼間にランプを燈し、「何をしてるんだ?」と聞かれた時、「人間を探している」と答えたり、音楽や論理学を蔑んだりしたようです。

しかし、偏屈であった事は間違いないでしょうけど、意外と人には好かれていたようです。棲家にしている樽が壊されたら、別の樽を市民から用意してもらったり、あのアレクサンドロス大王がディオゲネスの生き方を「羨ましがって」いたとか。ディオゲネスはまさに何にも束縛されず、素のままの自分で生きたのでしょう。もし自分が死んだら、「その辺に投げ捨ててくれ」と言っていたそうです。私が最初にディオゲネスの名前を知った時の別名は「樽の中の賢人」でした。一個の人間として健全な精神を保ち、物や環境に執着せず、自らを「コスモポリタン(私はこれを世界主義者とは訳さず、「地球人」と訳したい)」と史上初めてコスモポリタニズムという語を造った人物です。見事な「生き方」であると、私もアレクサンドロス大王同様、それを羨ましく思います。
    
次は鴨長明(1155年~1216年)ですが、こちらはディオゲネスのように偏屈といった評価は見えません。むしろ、「現生の夢に破れて」と言いたくなるようなケースヒストリー(生い立ち)を持っています。18歳くらいまでは有力な父親の保護のもとで、不自由のない生活をしていたのでしょうが、父を亡くした後は和歌と琵琶の道に進もうとし、その才を認められ、恐らくは秀才として歌の道に進みますが、後鳥羽院第二百首の歌人に選ばれ「新古今集」の編纂にも関わりながら、父親と同じ神職に付けず、また、将軍源実朝に近づく機会を持ちながら、その和歌の師範に迎えられる事も無く、言ってみれば「才はあるのに、思うように行かない」不運(?)の連続で、50歳頃、世捨て人のように京の郊外に一丈四方の庵を結んで隠棲します(ちなみに、将軍源実朝との接触はそのあとのようで)。

「一丈」とは約3m。およそ畳2~3枚程度の小さな庵です。いきなりですが、まず、この庵の大きさで「ディオゲネスの樽」と最初に結びついてしまいます。鴨長明も不運とはいえ、時代の才人、賢人です。この景色がまず両者をダブらせます。ディオゲネスが求めたのは「均整のとれた精神」であり「何事にも囚われない自足した生き方」です。鴨長明は哲学者ではありませんが、文人として一丈四方の庵の中で、まさに日本文化のコアである「無常」を自らのテーマとして生きたと考えます。一丈四方の庵はその生命を全うするための必要最小限の「住まい」。まさに、「ディオゲネスの樽」ではないですか。
  
別に「形」から考えている訳ではありません。鴨長明は50歳くらいからですけど、まず、ディオゲネスとの共通点は「それだけの棲家の中で生きた」事と、「その中で内省的に世界を捉えようとした」という事です。鴨長明の「方丈記」は「徒然草」「枕草紙」と並んで日本中世文学の三大随筆とされています。その有名な書き出しは、「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮ぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例(ためし)なし。世の中にある人と、栖(棲みか)とまたかくのごとし」。大意としては「ゆく川の流れは絶えることがなく、しかもその水は以前の水ではない。水の淀みに浮かぶ泡は、こちらで消えたかと思えばあちらに浮かび出て、いつまでも同じ形でいる事はない。世の中の人と、その住みかもまた同じだ」、です(意訳しなくてもそのママですけど…)。方丈記には「安元の火災」、「治承の竜巻」「養和の飢饉」「元歴の地震」などの史実も記述されており、歴史資料としても一級品です。もちろん文学作品としては言わずもがな、です。

しかし私は、方丈記の文学的な価値そのものよりも、鴨長明が「方丈庵」の中で、飾らず、持たず、望まず、囚われず、自由に自然に「無常の世界」を捉えたその姿勢にディオゲネスを被せてしまうのです。人の一生は、まさに人それぞれですが、その中のひとつの生き方として、人間が持っている精神そのままに生きる事ができた人はどれくらいいるのでしょうか? 様々な物、例えば「家」とか「家具」とか「宝飾物」とか「豪奢な衣類」とか…。そういった「物」に囚われず、世界と対峙して生きる力を人は持っていることを、鴨長明とディオゲネスは「樽と方丈庵」の中で証明していると思えるのです。あえていうなら「凛として身軽」な生き方です。現代人には可能でしょうか? 「ホームレス」、とか言われてチャンチャン、ですかね…。本音は、「何とも二人が羨ましい」のです。

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