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人文・思想 その14「誰もが知っている般若心経 分かる人は…?」


本 国内の旅行先で散策の途中、地元の「博物館」によく立ち寄ります。その土地土地にある博物館は中々に面白いものです。古備前の焼き物…、ではなく「槍の穂先、刀身」があったり、大太刀が飾られていたり(当然、名のある太刀ならレプリカですが)、その土地を訪れた歴史の著名人が遺した書であるとか、とにかく飽きません。どこだったか忘れてしまったのですが、その展示物のひとつに、空海の真筆と称した書がありましたけど、ちょっと眉唾ものです。

その隣には、嵯峨天皇の真筆といわれる「般若心経」が並べてありました。さすがに天皇ともなれば、黒い紙に金泥文字で、まさに楷書の手本のような文字が、まるで機械が書いたように写されていました。これも、真贋の程はちょっと怪しい…。「三筆」と称されるうちの二人(もう一人は橘逸勢)の書が並んでいるとは。達筆であることは間違いないのですけど。で、この「般若心経」ですが、写経をするシーンで見かけます。知らない人はあまりいないでしょ。正確には「般若波羅蜜多心経(はんにゃはらみったしんぎょう)」だそうですが、私の亡くした母親の遺品を整理している時に、その中からこの「般若心経」の写経が出てきました。

このようによく知られている「般若心経」ですが、「そもそもそれは何?」と聞かれて正確に答えられる人は、お坊さんや学者を除いて、あまりいないのではないでしょうか。私もそれほど詳しい訳ではありませんので、ホンのサワリ程度しか分かりません。それを真面目に語れば突っ込みどころ満載となるでしょうね。しかし、大丈夫なのです。その理由は、この「般若心経」は「大乗仏教」の「空・般若思想」を解いた経典だそうで、大乗仏教というからにはインドから中国を経ています。ということは、ほぼ間違いないのですが、大文化大国中国の「加工・脚色」にあっています。ということは、ヘタをすれば、元のものとは全く違うものになっているかもしれません。学者の中には、中国で作られた偽経であるとする説を唱える人もいます。それを盾に、好き勝手書こうという事では決してありませんので、誤解なきよう。要は、「考証の対象としての余地」が非常に広い、ということです。この点はとても魅力的なテーマとなります。
      
まず「般若」ですが、これは仏教で言う「悟り」であると捉えてまず間違いないでしょう。とは言え、我々が目にできる「般若心経」はすべて「漢訳」されたもので、元は当然「サンスクリット(Sanskrit)語」。古くは「梵語(ぼんご)」とも呼ばれた言葉で、密教で何やら記号のような文字をご覧になった方も多いと思います。その起源は造物神「ブラフマン(梵天:Brahman)」の言葉という事になりますが、梵天とはヒンドゥー経における根本原理であり、インド哲学に詳しい方は「アートマン(Atman:正確にはAの上に横線が入ります)」という言葉をワンセットで思い浮かべられると思いますが、これは「個(自己の中心:真我)」の根源であり、ブラフマンとアートマンは等価(梵我一如)であるとされます。

この辺りの事は極めて「観念的」な事ですし、あまり語っているとインド哲学の方に脱線して行きますので、サワリだけという事で。つまり、本来、経典の元は、仏教以前の世界の言葉で表されているということです。ちなみに、釈迦は仏教を起こしましたが、釈迦以前に仏教など無く、出家した先は当時のバラモン教です。バラモンはカースト世界のトップ集団であり、当時のインド世界そのものであるといってもよいと考えます。その中で経典は生まれています。

要するに、我々が目にできる、耳にできる経典というのは全てが中国を通り抜け、「漢訳」されたものであり、仏教以前の根本原理なるものがそこに残っているのかどうかが、非常に危ういという事です。更に言えば、読経で聞こえてくる今日の「音」が、そもそもの梵語の音と同じかどうか、これまた怪しい。何が言いたいのか? これは宗教に詳しい方に教えていただいた事なのですが、梵字にはそれぞれの音がありますけど、重要なのはこの「音」であるとか。例えば、例として良いか悪いか分かりませんが、あの忌まわしい事件を起こした宗教団体の「オウム」とは、人が初めてこの世に現れた時に発する「音:声」だそうです。要するに、産声ですね。その方の発音を聞きましたが、「おぉぉぉん」と聞こえました。故に、般若心経の「音」は当然「漢語の音」であり、その意味としては漢文の読み下しで理解できるとしても、あの有名な「色即是空 空即是色」は「本来どのように発音されていたのか?」ということが分かりません。今の般若心経は「お話」として描かれている訳です。ある学者の説によれば、梵語的な音も残されている、といいますが、それは梵語の発音はほとんど残っていない、という事だと考えます。
      
ここで脱線を一発。先の「アートマン=自己の中心」の語源であるサンスクリット語の "Atma(最も内側)" と、古代ギリシャの原子論で、あらゆる物を構成する最小の単位 "Atom(これ以上分解できない)" が似たような言葉であるのは興味深い事です。で、般若心経に戻りますが、経の原文(漢語)はいくつかあるようですけど、それほど長いものではなく、訳文もWEBなどにありますから、興味のある方は読んでください。この内容をムチャクチャ、テキトーに短く要約すると、お釈迦様が瞑想している横で観自在菩薩が舎利子(シャーリープトラ:釈迦の古い弟子)に「悟り(般若)」を説いています。「(不遜な訳、御容赦)舎利子よ、この世のものにはすべて実体というものは無い。だから、それに何かを感ずる事も無ければ、全ては生まれる事も無く、滅する事も無い。存在しないものに苦しみは無く、老いも死もない。その真理(悟り:般若)を知る者は恐れも抱かず、全てから解放され、静かな心の世界(涅槃:ニルヴァーナ)に至るだろう。この発見により、三世(過去、現在、未来)の諸仏は全て悟りを得る。この発見を表すのは紛れもない真言である」。その「真言」というのが、これまた有名な「羯諦羯諦」以下の言葉(呪:マントラ)です。要は「まじない」ですかね? 「羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶」、つまりこれが般若心経の肝となる「真言」です。

私の耳にはこのように聞こえました。「ギャーティギャーティ ハラギャーティ ハラソゥギャーティ ボジソワカ」です。これが真実の「悟り:般若」の教えである、という事になります。ちなみにこの「羯諦羯諦」以下の意味には諸説あり、学者の研究対象にもなっていますが、意味的には「行け!悟りの境地に!そして菩薩となれ!幸いあれ!」が、私としては一番しっくりきます。しかし、意味が分かったところで、不遜ながら「はあ、そうですか…」で終わってしまいます。ここなのです、肝心なのは! ここは、「意味」が大事なのではなく「音」だと思うのです。

しかし、本物の音は残っていません。この真言は、いってみれば「呪文」なのです。「マハリクマハリタ…(古、知ってます?)」みたいな。しかし、これを正確にサンスクリット語の発音で唱えることができたとしたら、どうなるのでしょう? 本当に「仏さん」になってしまうのでしょうか(不遜失礼)? もしかしたら、空海(弘法大師)はサンスクリット語にも通じていたと伝えられていますから、この真言を正確に唱えられたのかも…。聞いてみたいような、腰が引けるような…。

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