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人文・思想 その15「民俗学 地域が失うもののあまりの多さを知る」


本 イベントやキャンペーンの仕事を請け負うと、出張が多くなります。今ではあまりそんな仕事はしませんが、体力があり余っていた頃は、喜んであちこちへ飛び回っていました。余談ですが、1日で4つの県を新幹線や飛行機で移動した事もあります。そんな時によく思ったのですが、「今、自分がどこの地域にいるのか?」分からなくなる事があります。まあ、気にもしていない時の方が多いのですが、どういう事かというと、時間に追われていますから、お得意さんの支社に行って打合せし、近くで食事をとり、ホテルに帰ってから夜は一杯、そしてまた次の地域へと動いている中で目にする景色が「殆ど一緒」なのです。個人での旅行なら、時間に余裕がありますから、「人文・思想その14」で書いたように地元の博物館や○○記念館のような場所に立ち寄ったり、土産物屋を見て回ったりと、それなりに土地土地のものを楽しめるのですが、それにしても「目にする光景」「もの」、その殆どが似通っています。典型は、居酒屋、ファミレス、コンビニ、スーパー、書店などのチェーン店、地元の方々の住まいも、今や工業製品となってしまったハウジングメーカーの建てる同じような趣の家。会社の中やホテルの中などは全く同じ造り。せいぜいが地域を感じさせてくれるのは、自然の風景くらいでしょうか。

それにしても、最近の流行なのか、同じような造りの「道の家」などが旅の風情をスッ飛ばしてくれます。まあ、広域流通や効率化ゆえの致し方ない事なのでしょうが、土地土地の趣など、年々、消えていってます。経済性優先の立場からいえば、それでいいのでしょうが、釈然としません。逆に一極集中が進み、交通網が発達すればするほど「ストロー現象(地域から人や物が中央に吸い上げられる)」が加速していくだけでしょう。街の商店街を見れば、どこでも同じように「シャッター街」…。「地域起こし」とか「地域キャラクター」が目立つのは、逆に、その「地域」の存在が薄れているからだと思います。それが好ましい事である筈がありません。
     
地域の多様性が無い国に、人の多様性、価値の多様性、それゆえの活力というものが生まれるのでしょうか。効率と画一の先にあるのは文化的な衰微であり、それは人とその国の衰微でもあるのではないかと考えます。と、批判的な事を書いても話になりませんので、それに歯止めをかける方法として「民俗」の研究、「民俗学」があると思います。日本での「民俗学」といえば、「南方熊楠(1867年~1941年)」、「柳田國男(1875年~1962年)」、「折口信夫(しのぶ:1887年~1953年)」の3人が思い浮かびます。この3人は殆ど同じ世代を生き、相互に交流し合い、影響もしているでしょう。この三人はともに「碩学(大学者の漢語的表現)」として知られ、ややもすれば個人として「先生」的になってしまいますが、共通するのは、日本の「民俗学」を学術レベルにまで高めたその業績です。特に、具体的な成果としては柳田國男の「遠野物語」が上げられます。漫画家の水木しげるには「民俗学」の影響を強く感じます。
  
で、肝心の「民俗学(Folklore)」とは何でしょうか? 「民族学(Ethnology)」なるものもあるようですが、これは「文化人類学(Cultural Anthropology)」の領域に内包されるでしょう。「民俗学」は比較的新しい学問領域で19世紀に欧米でその学問領域が誕生しているようです。主に当時の先進国で生まれていますから、背後には近代的なナショナリズムの存在を感じます。事実、そのような位置づけをしている考えもあるようですが、あくまでも学問領域の事ですから、ここでは「日本の民俗学」として考えます。「民俗学」を一言で言おうとすれば、「現代の生活のその源流を、民間伝承を主な手掛かりとしてその歴史を明らかにする学問」という事になるでしょう。では、それによって何がもたらされるのかといえば、それが先に述べた「地域の多様性を明らかにする」という事です。更に言えば、「急速な近代化、都市化によって失われようとする文化の再評価」です。故に新しい学問領域な訳ですけど、個人的には本サイトの「人文・思想その12」で書いた「国学」がその早い段階での動きではないかと思っています。いずれにしても、「民俗学」はその重要性にも関わらず、一般には関心の低い学問領域であるような気がします。やはり「民俗学」の「俗:ゾク」という語感ゆえの事でしょうか…。
    
「民俗学」はその重要性のみならず、その学問領域のあまりの広さ、細かさ、アプローチ角度の多彩さ故に、相当クロスオーバーした知的好奇心を要求されますが、本質は「フィールド・サイエンス」、つまり「現場」と「行動」抜きには成り立たない学問だと思います。柳田國男の「遠野物語」ですが、そこには天狗、河童、座敷童、神隠しの話が出てきます。そのような話で、本編で119話、続く「遠野物語拾遺」には299話が収録されています。文学的にも価値のある資料で、当時、芥川龍之介などが興味を示したようです。この辺は「小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)」の「怪談」を彷彿とさせます。雪女とか、耳なし芳一とか…。土地土地の中に入って行かなければ、とても知る事の出来ない伝承ばかりでしょう。「行動」力に関しては、最近、博物学や民俗学での功績を顕彰する「南方熊楠賞」を受けた石毛直道氏も、世界の食文化をテーマに「現地で食べなければ絵に描いた餅だ」と、アジア、アフリカの食文化を「鉄の胃」で制覇したようです。友人の故小松左京がつけた雅号が「大食軒酩酊」であるとか。お酒も相当いける方のようで…。まさに地域地域の内懐に飛び込んでいける「好奇心」と「行動力」がなければ成立しない学問でしょう。

考古学にも似ていると思います。折口信夫は「万葉集」の研究で知られていますが、古代の日本人の多情多感さは、現代の日本人が失ってしまったものの最たるものではないかと思ってしまいます。日本人が持つ「発想力」「想像力」「創造力」の源には、そうした地域地域に息づいている「日本の源流」がとてつもなく大きく影響していると思います。それ故に、その反動(日本各地の知識層、文化力は「保守」に留まず、もっと大きな世界に一斉に関心を持った)で明治期以後の、疾走するような近代化が起こってしまったのでは。そうした事を理解しないで下手な「画一化」「効率化」を更に行えば、今の我々日本人の文化力は窒息してしまうのではないでしょうか。ふと振り返ると、何も見えない、とか…。失ったものがあまりに多い事だけを知って…。リニアカーや新幹線も悪くはありませんが、どうでしょうかね、真ん中に偏った国よりも、江戸時代の封建制のように地域地域に知識人が育ち、中央と並立して成り立つような国の形を模索してみては。文化的「道州制」なんて、訳の分からない事を言ってみたりして…。

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