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人文・思想 その19「茶聖 千利休 遺偈(ゆいげ) 美学の武人」


本 千利休を語ろうとするとき、その実像をどこから掴めば良いのか、ふと迷います。もっとも通じが良いのは「茶聖」としての利休でしょう。信長、秀吉の天下人に仕え、戦国の世の中で、特段の槍働きも武功もない人物であるにもかかわらず、その名声は天下人に匹敵、いや、凌駕するまでに高まり、その存在は数多の戦国武将と並び称せられ、今に伝わる日本の文化「わび、さび」という「美学の世界」を練り上げた人物として、その精神は「日本の美」そのものの中で未だに息づいています。歴史を眺めるに、世が乱れている戦国の時代、往々にして「武人」は「文人」を軽んじ、乱暴狼藉を働いたとて何の不思議も無く、事実、大乱の度に「焚書坑儒」などが起き、文化人、知識人は権力、暴力に擦り寄る以外に生きる道を往々にして失います。

まあ、「焚書坑儒」は必ずしも武人が文人を迫害するものではなく、新しい世の中を作ろうとする新支配者が、旧来の価値観、陋習を葬ろうとする事から起きる訳ですが、いずれにしても、戦国の世では、当然、武力、暴力が大きな力を持ちます。その時代を剣も携えずに生き、権力や武力にも追従せず、歴史に名を残す巨人として生きた千利休とは…。ただの「茶聖」では、その袖くらいしか掴めそうもありません。
    
そんな事を思っている時、「利休の遺偈(ゆいげ)」なる言葉を知りました。遺偈とは、禅僧が末期に残す辞世の偈頌(漢詩)で、遺誡偈頌(ゆいかいげじゅ)の略だそうです。恥ずかしながら、長らくそのような言葉を知りませんでした。で、改めてその遺偈なるものを見ると「人生七十 力囲希咄 吾這寶剱 祖仏共殺 提ル我得具足の一太刀 今此時そ天に抛」。読み下しは「じんせいしちじゅう りきいきとつ わがこのほうけん そぶつともにころす ひっさぐるわがえぐそくのひとつたち いまこのときぞてんになげうつ」。この遺偈には様々な訳がありますが、当然、本来が禅僧の言葉ですから「寓意」の塊だからでしょう。しかし、この遺偈、とても70歳の老人が書いた詩とは思えぬほどの「気骨、気概」に満ち溢れています。「武人」の気迫を感じる詩です。

その意味を探ろうと調べていると、中国の「三国志」の時代の禅僧の遺偈に似たようなものがありました。「人生七十力囲希 肉痩骨枯気未微 這里咄提王宝剣 露呈仏祖共殺機」。確かに似ています。むりやり読み下してみれば「じんせいななじゅう りきいき にくやせてほねかれきはいまだかすか このさとをいで おうのほうけんをとる そぶつをともにころしつゆとなるとき」。正確な読み下しは時代が時代(紀元三世紀)なので元の字も音も違うと思いますから、少々意訳的にトライしてみました。意味している所も、四行の意味的な配置も同じです。この詩は禅僧の教養として伝わっていたのでしょう。禅は鎌倉の時代から日本の武士たちの基本的な教養として備わっていた、と考えれば、当然利休がこの時代、それを知識として持っていたとしても不思議ではありません。真似たというより、和歌でいうところの「本歌取り」のようなものでしょう。この遺偈の訳は様々な書籍の中に書かれていますが、それらを参考にして、私なりの訳(解釈)をしてみたいと思います。
    
「七十年の人生であったか このように生きてきたが ここに至っては是非も無し 今、悟りの声を発する 今こそわが生涯の宝とする剣を取り 祖仏と自らも共に斬り 活殺自在の心(と剣)を引っ提げて 迷いも無く曇りもない天に我が身を解き放つ」。正直、その寓意を読み取るのは難しいです。が、「祖仏共殺」とは臨済宗の「臨済録」の中に見られる表現で、「人文・思想その17」にも書きましたが、「一切合切を受け入れる」と理解できます。また、「我得具足の一太刀」とは、得意の武器(=太刀)と考えれば、「活殺自在の心(と剣)」の意と読み取れます。「剣」は象徴的なものでしょう。最後の「天に抛」は、斜めに読めば「どうにでもなれ!」といった「開き直り」とも取れるのですが、文脈に従えば「思い残す事も無く解き放たれる」という心境と読み取るべきでしょう。これは「闘ってきた者」が最期に至る境地ではないでしょうか。千利休は「茶聖」といっても、ただの趣味人として世を生きてきた訳ではなく、この遺偈からは、身を押し潰しそうな天下人と「身一つで闘ってきた者」の矜持を汲み取る事ができると考えます。まさに「自分の美意識」を曲げる事無く、それに殉じた「美学の武人」ではないでしょうか。それが千利休。

1591年、千利休は秀吉から切腹を命じられますが、実際は「ただの蟄居を命じられただけで、それなのに利休が何の申し開きもしなかったために、面子のためにやむなく切腹を命じた」という説もあります。秀吉も晩年、利休を失った事を後悔している様子を見せていたようです。ハッキリとは分かりませんが。如何せん、秀吉が何故利休を疎み、その命まで奪ったか、には、様々な説がありますけど、「大徳寺三門改修」で楼門の二階に利休自身の木造を置き、その下を秀吉に通らせ、秀吉の勘気をかった、などの話もありますが、それで天下の茶聖に切腹を申し付けるでしょうか。これはもう、秀吉という権力者と、利休という美学の巨人との争いです。権力者である秀吉が利休の存在感に危惧を覚えたのでしょう。しかし、利休がいくら隠然たる力を持っているとしても、所詮、時の絶対権力者には勝てません。聚楽屋敷内で切腹する利休を、利休の弟子である大名たち(細川忠興、織田有楽斎ら。前田利家も利休の助命に奔走)が利休奪還を図る事に備え、上杉の軍勢で屋敷を取り囲んだという話まで伝わっています。事の真偽は別として、利休の「力」も垣間見ることのできる逸話です。
     
茶道、侘び茶、茶室、利休ごのみ(利休の茶器コレクション)、どこからアプローチしても教科書のような利休像しか浮かび上がってきません。利休とは、血生臭い戦国の世の中で「自らの美意識」を練りに練り上げた「美の武人」である、といったイメージが「遺偈」から伝わってくるように思います。秀吉と利休との逸話で有名なのは「一輪の朝顔」でしょう。庭の朝顔が見事であるから、と、利休に誘われて、秀吉が「あの利休が言うのであるから、さぞかし見事な朝顔であろう」と楽しみにして利休宅に赴くと、そこにはすべて花を刈り取られた朝顔の姿が…。秀吉はガッカリするとともにその光景を訝しがりますが、茶室に入ってみると、そこには一輪の見事な朝顔が床の間に飾られています。利休の示した「これ以上そぎ落とせない究極の美しさ(=わび)」。秀吉はこのように千利休に言われているように感じ取ったのではないでしょうか。「この侘びた部屋の中にある一輪の花の美しさをどうお思いでしょうか。分からないとすればおかしな事。多くの花の首を刈り取り、ひとり咲いているのはあなたですから。ただし、黄金の間に…」。私は、この話を聞くたびに茶室の中で時の権力者と一騎打ちをしている千利休の姿が浮かびます。己の信ずる「美学」と矜持をかけて。

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