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人文・思想 その20「石原莞爾 稀代の軍事戦略家か? 思想家か?」


本 石原莞爾(いしわらかんじ:1889年~1949年)という人物に永く、「天才参謀」「帝国陸軍の至宝」「満州事変の首謀者」といったステレオタイプの認識しか持っていませんでした。戦前の日本の軍人としては山本五十六が傑出しており、どちらかといえば石原莞爾は「権謀術数」の人であるとのイメージが強かったものですから。しかし、石原莞爾について改めて興味を持ったのは、その著書である「最終戦争論」を知った時です。私はてっきり「アルマゲドン(終末戦争)」的な預言書のようなものかと思っていました。石原莞爾が日蓮宗の信者であるという事は何かで読んで知っていましたから、その線での「預言」の類だと思っていました。確かに、そうしたものがベースにあるとは思いますが、これは「日本の戦略構想となるべきだった筈のもの…」と、それまでの勘違いもあったため、少々驚きました。これは石原莞爾が1940年に京都で行った講演内容を元に立命館大学教授の手によって筆記され、冊子として刊行されたものだそうですけど、日本の旧帝国軍人にこれだけの「構想力」を持っていた者がいたとは…。

簡単にいってしまえば、原爆を開発したロバート・オッペンハイマーの「使う事を躊躇する程の強力な兵器が存在すれば、その兵器は使われる事も無く、平和が実現する」という考えに近いのですが、石原莞爾のそれには希望的確信ではなく、「歴史観・世界観」があります。それはどういったものであるかといえば、「戦争」そのものが歴史の中で姿を変え、戦闘隊形や戦闘方法、その在り方、そして武器などが「進化(?)」し、高性能な航空機や大量破壊兵器の登場により、最終戦争では極めて短期間のうちに戦争は終結する事となり、その決戦を行うものは「東亜連盟」と「アメリカ合衆国」である、としています。
     
石原莞爾も山本五十六同様、太平洋戦争は絶対に勝ち目はなく、不可であるとしていたようです。彼の「世界最終戦論」では、その時のアメリカとは、いずれやるにしても時期尚早だったという事でしょう。彼の考える最終戦争の当事者の単位は「ヨーロッパ」「ソビエト連邦」「東亜」「南北アメリカの連合国家」です。しかし「ヨーロッパ」はイギリス、フランス、ドイツの大国が上手くまとまるのが難しいとし、ソビエト連邦はいずれ内部崩壊するとしています。ある意味で「EU(欧州連合)」と「ソビエトの崩壊」は的中しているかもしれません。しかし「東亜連盟」となると、「日本の天皇の元に…」となっていますので、これは難しいかと…。アメリカ合衆国が「金融」を武器に、その経済圏を拡大しているのは「南北アメリカの連合国家」に近いものと捉えられます。なんとなく、この辺りは図式としてサミュエル・P・ハンティントンの「文明の衝突」に近い考えだと思います。石原莞爾の世界観からは「アフリカ」「南アメリカ大陸の勢力」「インド」「中近東」が抜けていますが、当時の情勢から考えれば、そういう世界観になると思います。現実的には今や「東亜連盟」というのは無理でしょう。

が、中国がここまで台頭している事を考えれば、「東亜」を「中国」とも置き換えられます。余談ですが、そういう構図の中で今の日本はどちら側になるのでしょうね…。で、石原莞爾の「最終戦争論」で行けば、「中国」対「アメリカ合衆国」というのが、事実、現在の世界情勢を考えると、現実味があるではないですか。しかも、石原莞爾がその前提としていた「高性能な航空機」と「大量破壊兵器」が既に存在しています。世界は「最終戦争」に勝利した国が盟主となり、世界平和が実現するとなっていますが、第二次世界大戦の段階では世界の軍事バランスは「多極化」しており、一見「枢軸国」対「連合国」といった形が出来上がっているように見えますが、この時点で「高性能な航空機」と「大量破壊兵器」はまだなく、戦争も「持久戦」的な様相で時間が相当にかかっています。第二次世界大戦の段階は、石原莞爾のいう「最終戦争」の状況ではなかったのでしょう。ヨーロッパをまとめるのがヒトラーだと考えていたようですけど、戦況分析から、「ドイツは絶対にソ連には勝てない」と予測していたようです。
     
私が石原莞爾に関して新たに知った事は、「彼は満州を日本に併合するのではなく、日本の同盟国として独立させる」事を考えていたようです。その辺りで、満州を植民地化したい日本の軍部、特に東条英機とは抜き差しならぬくらいに険悪な仲だったようです。また、太平洋戦争を避けるために策定した方法は、奇しくもあのアメリカからの最後通牒「ハル・ノート」の要求と、ほぼ同じであったそうです。石原莞爾には、「見えていた」のでしょう。まだ戦う時期ではない事が。そして、戦況が思わぬほど悪化している事に危機を募らせ、何とか戦争を止めさせようと東条内閣を倒すために、東条の暗殺まで考えたようです。直接、手を下そうとした訳ではないにしても、その意を汲んだ者が実行しようとした矢先に東条内閣が総退陣となり、その様な事態には至りませんでした。そして、終戦を迎えますが、東条英機との確執が有利に働いたようで、戦犯の指名からは外され、極東軍事裁判にかけられることはありませんでした。余談ですが、この点は「東京裁判」の是非は置いといて、何とも不思議な事です。彼は、最終的な階級は陸軍中将で、満州事変の首謀者ですから。

仮説ですけど、彼が「対アメリカ開戦」に反対であり、戦線縮小にも努力した事が、アメリカの諜報活動で筒抜けになっていたのではないでしょうか。軍事的にはお粗末ですけど。石原莞爾は「帝国陸軍の異端児」のあだ名を持ち、子供のころから、その奇行の逸話は数知れず持っていますが、Wikipediaで面白い逸話を見つけました。一つは、東条英機が支配する憲兵隊や特高警察に常に監視されていたようですが、その中には石原莞爾の見識の深さに感化され、尊敬の念を持ち、東条への報告書を加減していたとか。もう一つは、陸軍大学校の口答試験で「機関銃の有効な使用法」を問われた時、「飛行機に装備し、酔っ払いが歩きながら小便をするように、敵の縦隊を連続射撃する」と答えたそうです。機関銃を飛行機に装備する着想はまだ無かった時代に、です。山本五十六同様、優れた戦略家としての片鱗を持っていたという事です。二・ニ六事件の「無意味さ」を看破して、これを鎮圧し、たとえハル・ノートを受け入れていたとしても東南アジアを拠点とした「不敗の戦略」を持っていたようですが、その詳細は(多分)残っていないでしょう。多少、オカルトじみた「霊力」などという言葉も吐く人物(ネガティブには見ません)ですが、改めて知ると、こうした軍人がいたのに、何故、日本はあんなバカな戦争に突入したのか、つくづく不思議に思えてなりません。思想家にして戦略家。人材を生かし切れないのは、日本の持病?

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