テキトー雑学堂 タイトルバナー

人文・思想 その22「成功哲学 それは因果律? 因果律の逆転?」


本 「成功哲学」と聞けばナポレオン・ヒルですが、私自身がこの「成功哲学」という言葉に出会ったのはン十年前の若かりし頃、大学を卒業して数年のサラリーマン生活を送り、今日まで至るフリーランスへの道に一歩踏み出そうとしていた時期です。その時はまさに若気の至りとやらでしょうけど、体力はあるし、気力は充溢、今のテキトーなオッサンとはまるっきり違う生き物でした。会社を辞めて、まあアルバイトみたいな環境で色々な会社の仕事をやっていたある日、もう酒は大好きでしたから、毎夜の如く呑み屋通いをしていましたので、どこの店でかはとっくに忘れたのですけど、店のトイレに入ったら、何やら目の前に張り紙がしてありまして、ふと目をやると、「成功哲学」の文字が目に入りました。見た瞬間はどうとも思わなかったのですが、酔った頭でそこに書かれている言葉を読んだ時、頭に一発ガツンと来ました。私はトイレを出るとすぐさまに店長を探し、「トイレに貼ってあるあの紙をコピーして、俺にくれ!」と頼むと、店長、「ハイよ」と、酒の注文でも受けるかのようにレジ脇の棚からその「成功哲学」が書かれた紙を渡してくれました。

へ…? 拍子抜けた私に店長が言います。「イヤね、そう言われる方が多いから、コピーして置いてあるんですよ」とか…。どうりで準備が良い筈です。ついでに、「あれは店長が貼ったの?」と尋ねると、なんと、あるお客の一人に「いい言葉だから、貼っておいてよ」と言われたからだそうです。しかし、何でトイレに…。そこに書かれていたのはあの有名な(多分…)言葉です。

「もし あなたが敗れると考えるなら あなたは敗れる(中略)
 もし あなたが、いい加減にやるのなら あなたは失敗する(中略)
 もし あなたが脱落者になると考えるなら あなたはその通りになる(中略)
 いずれ早晩、勝利を獲得する人は”オレはできるんだ”と信じている人だ」

その最後に書かれていたのが、ナポレオン・ヒルという名前。この言葉の中核を成すのは…、
「成功は人間の意志によって始まる すべては人間の精神状態によって決まる」
というフレーズでしょう。生意気な若僧が、この言葉にガツンと一発喰らったのです。
    
正直、私はナポレオン・ヒルの著作を今まで殆ど読んだことがありません。本好きなのに、何故か? それは、ひとつには「もう、この言葉で十分」と思った事と、「もし、自分が直感で感じた事と違う事が書いてあったら、ヤだな…」という思いからです。このインパクトのある「成功哲学」の言葉から感じる事は人それぞれでしょうが、私が直感で感じた事というのは「成功の因果律」とでも表現したらよいのでしょうか。その頃は、「恐いものなし」の若僧とはいえ、正直、世の大半がサラリーマンである中、何のコネも財力も特殊なスキルもない自分が、糠床を踏むような感覚のフリーランスを社会的立場として選択するには、今一歩振りきれないものがあったのは事実です。何の迷いも無かったと言えば嘘になります。で、この「成功の因果律」のような茫漠としたものを感じた時、妙な確信が芽生えてしまった訳です。今考えればイノシシ型の単純さだと思いますけど、その時は酒の力もあるでしょうが、もう躊躇は無くなりました。それで、選択したのはいわゆる「広告代理店のプランナー」、もしくは「ナンチャッテ物書き」ですけど、まあ、確かに今の歳まで何とかなっては来ました。
   
「因果律」と言えば、「インド哲学」や「釈迦」の教えの中にあるものですが、更に拡大すれば「量子力学」や、日常生活の中での「因果応報」、刑法での「因果相当」といった言葉で使われますけど、私が感じたものに一番近いのは、単純明快、釈迦の教えにあるものです。これは単に、「原因と結果」との関係ではなく、そこに「縁」というものが絡んできます。できるだけ簡単に表現すれば「縁起」と云われるものであって、「因」も「果」もそれぞれに綾なすような「縁」によって相互に依存するものであり、極めて相対的なものであるという世界観です(私はそう理解しています)。例えば「悪」ですが、「因果応報」でいえば、それは「地獄行き」となるのでしょうが、必ずしもそうではなく、親鸞の「悪人正機説」(もとは法然)を引合いに出すまでも無く、「悪を知っているからこそ、善も知り得る」「善であるものは悪を知る事も無く、悪を行っても善とするかも」てな事です。

頭が混乱する手前で収斂すれば、その共通項は「意志」にある訳です。悪も善も極めて相対的な価値観に過ぎないとも言えます。そのどちらに身を置くにしても、その人の「意志」が前提となります。生来「悪」であるとか、「善」であるとかは、真っ白な赤ちゃんの脳味噌に何かの「価値観」がすでにあるという事になります。それは、無い。全ては成長してからの「意志」より始まります。その「意志」を言い換える言葉は「選択」です。人は何だかんだと言ってみても、全て「自分で最終的には選択=意思決定」をしています。それが確かに「何らかの縁」を呼び、「結果」を生むのですが、それは算数のように一つの答えではありません。で、その「結果」が更に別の「意思決定」を生み出し「縁」を呼び、それが前述したように「綾なす」が如く、全ての事象を相対化させていくのです。
     
ナポレオン・ヒルが、世界の鉄鋼王アンドリュー・カーネギーから、「20年間無償で500名以上の成功者の研究をして、成功哲学を体系化してくれ」と依頼され、それを了承します。その成果がこの「成功哲学」で述べられている事、というのは有名(多分…)な話です。ちなみに、ナポレオン・ヒルの名言なるものを速攻で知りたい方は、WEBで調べればその名言の数々に触れる事はできます。ただ、私自身は彼の全体的な考えにはそれほどの興味がありません。前述したように、たった一枚の紙から「直感」で得た、「この世の全ては、人の意志によって綾なし、相対化される」という事です。ですから「結果的に失敗」しても、それが「絶対的な失敗」とはならないのです。「成功」というと、お金持ちになるとか、いい家に住む、とか高級車に乗る、出世するといった「予定調和的」なことがイメージされるでしょうが、「成功哲学」でいう「成功」とは、「意志の発動により、自らが好ましいと考える方向に向かっていく」事自体が「成功」なのだと、若い頭が直感したのです。

彼が生きた時代のアメリカは「人文・思想その4」に書いた「プラグマティズム」が支配する世界であり、「成功=億万長者」の世界です。つまり、経済的な成功。確かにナポレオン・ヒルが語っている「成功」はそうであるのでしょう。そうした著作も多い。しかし、私はあの言葉から「自分にとっての成功」を直感したのです。笑われるのを覚悟で、それを超凝縮すれば、「ハッピー」です。前述の成功哲学の「もし」以降の書き出しを読んでください。全て、「ハッピーではない状態」が前提になっています。「何が何でも、俺は幸せだ」と強く思えば、予定調和的な因果律を逆転させる事が出来る可能性があります。今、自分が改めてナポレオン・ヒルを読んだらどう感じるでしょうね。それはそれで楽しみですけど。今でもA4の紙にコピーされた「成功哲学」は私の手元にあります。

人文・思想 目次へ



【商品検索】Powered by Amazon

↑「すべて表示」をクリックするとAmazon.co.jpの検索結果一覧に移動します。

■これからギターを始められる方のご参考にでもなれば。
木の音 バナー
「あれこれブログ風」サイト
「不思議」「怖い」「変」を普通に考える。 バナー
「花を楽しむ」サイト
花を飾る バナー


■サイトポリシー ■プロフィール
■お問い合わせ
ページトップへ戻る

Design by Megapx / Template by s-hoshino.com
Copyright(C) Ureagnak All Rights Reserved.