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人文・思想 その29「武士道は日本の魂か The Soul of Japan 新渡戸稲造」


本 なかなかに勇ましげなテーマを掲げてしまったような気がしますが、日本刀愛好者の端くれとして、この「日本刀」を、極めて日本的な精神の象徴、日本人の精神に影響を与え続けてきたと考えている私にとって、新渡戸稲造(1862年~1933年)の著書(英語で書かれた:Bushido: The Soul of Japan:武士道)には大いに共感すると同時に、ちょっと…、ってな気分も湧き上がってくる複雑な思いのある本なのです。新渡戸稲造は五千円札を見ればそこに彼の肖像画がありますが、紙幣の肖像になった人物としては意外とその人となりを知られていないようにも思います(そんなことない?)。私自身、彼の存在なり、その著書「武士道」について知ったのは少々遅い時期でした(大学を出た後)。で、改めてその人物像と「武士道」なる著書について色々と調べてみると、最初は「共感」、それから次第に「ちょっと、待てよ…」的な気分が浮かんできました。

それは、新渡戸稲造の比較的「落ち着かない」経歴と、当時の「まだ若い近代国家である日本、欧米には周辺国(植民地対象)でしかないアジアで生まれた近代国家」という時代の空気に原因があるのかもしれません。まあ、私だけが感じることかもしれませんが。彼は武士出身(盛岡藩)で、1867年の大政奉還、王政復古、そして戊辰戦争(1868年~1869年)の前に生まれていますが、年齢的に考えて、日本が沸騰した明治維新という空気にはあまり翻弄された形跡はありません。それよりも明治維新後の近代国家へ向かう日本の中で、比較的恵まれた環境で学問の道を歩んでいます。札幌農学校(今の北海道大学)、帝国大学(今の東京大学)で学び、帝国大学は中退していますが、その後、アメリカの大学に私費留学しています。彼の「太平洋の架け橋になりたい」という思いは、幼少時、武士の家に育ち、西洋の文物に触れた事に端を発しているのではないでしょうか。

性格は少々激烈であったようで、議論に熱くなると教授と殴りあったなどの逸話があります。しかし、そのケース・ヒストリーからは、近代日本の知識人として、誠に模範的な姿が浮かんできます。そんな彼の若い時分の精神的コアの中にはキリスト教があったようです。そこには札幌農学校のクラークの影響(新渡戸稲造はクラークが学校を去った後に入学しています)や、同期であった内村鑑三の影響が大きいでしょう。アメリカに渡った後、彼は「伝統的なキリスト教信仰」に懐疑を覚え、クェーカー派の会員になったようです。ちなみにクェーカー派といっても、その団体は色々あるようで、これがクェーカー派といえる私の認識は、ちょっと説明の難しい「内なる光」というもので、全体を括れるような教義はなく、個々人の中の「神との対峙」という、聖書至上のプロテスタントと似ているように思えます。ただ、「内なる光」というものには少なからず「神秘主義」を感じてしまいますが。

そこから何故、「武士道:Bushido: The Soul of Japan」なる著書が生まれてきたのでしょうか。そもそも「武士道」なる言葉が日本の武士の間で語られた形跡は無く、それらしい言葉は江戸期から幕末にあったように言われる事もありますが、まず体系だった中では語られていないでしょう。そもそも、武士・侍・武者とどのように表現しようが、少なくとも戦国時代の武士に一種の美学が生まれていたことは間違いないでしょうけど、それが「武士道」であるとは思えません。なんせ、功名と利益に命をはっていた連中ですから。しかしながら、江戸時代300年の太平の世の中で、戦闘の道具であった刀が「武士」という階級のシンボルとなり、「魂」とまでなったのは事実でしょう。幕末に日本へやってきた外国人は、「日本人は小柄ながら、皆、見事に剣を操る」ことに驚いたそうですが、それは侍連中を見たからでしょう。特に彼らが驚いたのは「切腹」。追い詰められて自害するというのは世界中にあるでしょうが、公式の「処罰」として、自ら自分の身体に刃物を刺すというのは類例のない事で、日本人(武士)が、さぞや不気味な民族に映ったでしょう。

現実に「武士」という存在が外国人に特異に映ったのは間違いないとして、それを「日本人の魂」として書き著した新渡戸稲造の想いとは…? これは彼がキリスト教信者であったことと複雑に絡み合っていると思います。彼は、欧米の精神・道徳観・教育の中にキリスト教という「背骨」が厳然と通っているのに対し、「では日本人の場合は…」ということに答えようとしたのだと思います。そこに、「小国といえども、アジアで近代国家を目指す日本」という矜持が少なからずあったでしょう。また、外国と比べての「日本の精神文化の特異性」というものも当然、認めざるを得ないわけで、それを具体的に伝えるため、「武士道」という概念を生み出したのではないでしょうか。「武士道」の内容はネタバレになるのは避けたいので、興味のある方はぜひご一読を。この本の意義は、兄弟サイト「花を飾る 花のお話その3」にある、岡倉天心の「茶の本」と同次元ではないかと思います。

で、私がこの新渡戸稲造の「武士道」に共感は覚えながらも、「ちょっと、ねえ…」といった違和感を覚えるのには二つの理由があります。ひとつ目は、これは彼が持っていたキリスト教の世界観を「武士道」に置き換えて書いたような感をぬぐえない事です。というより、仏教、神道、儒教などの要素がゴチャマゼ的になっているという感じです(失礼ご容赦)。それは確かに日本の思想的歴史から見て、別におかしいことではないのですが、それを「武士道」というものに集約しようとしていることに、ちょっと、無理があるような…。侍なる者が登場したのは平安時代後半ですが、もともとは朝廷に仕える官人で、院の警護要員として白河法皇が創設した「北面の武士」からでしょう。それ以前にも極めて固有な「日本的」なものはあり、今にも連綿と続いています。ここがふたつ目の理由で、そこには国学でいうところの「大和心」があり、その源泉には「万葉集」があります。つまり、後世の精神性とはやや違う「在るがままの感受性」があり、それと「武士道」に現されている「大和魂」とはかなり異質であると感じざるを得ないのです。

新渡戸稲造の「武士道」という業績を貶める意図は全くありません。事実、欧米ではそれが多くの知識人に読まれ、日本文化へのアプローチに多大な影響を与えています。実際、そこに「神道」や「(輸入物の)朱子学」などを出しても、当時の西洋社会から「日本とはなんぞや」なんて関心・興味を強くは引き出せなかったでしょう。それどころか、混乱させていたかも。その意味で、「近代国家日本」というものをアピールできた「武士道」は新渡戸稲造の大きな仕事であったと言えます。その影響で、おそらく多くの外国人(特に知識人)は日本文化を「武士道」的な価値観を持ったものとして見る筈です。現代の日本人の中に武士のストイックさが残っているのかどうかは測りかねますが、外国の方々との接触頻度が上がった今の時代(いわゆるグローバル。あまり好きな言葉ではないのですが…)、改めて「武士道」の中から、日本民族の精神性を考えてみるのは有意義であると思います。って、やっぱりこのテーマだと、少々「予定調和的」な締め方になりますね。なぜって? 私自身が「武士」の手に握られていた戦闘道具である「日本刀」に、日本人の純化された魂を感じてしまうからです。

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