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人文・思想 その30「鍛造された鋼の魂が生む哲学 エリック・ホッファー」


本 哲学者の中で、燦然と輝く歴史上の人物には枚挙に暇がありません。古代哲学では、タレス、デモクリトス、ソクラテス、プラトン、アリストテレス。そして、近代へと通じる道を開いたベーコン、デカルト、カント。人間の実存を哲学の中心に据えたニーチェ、ハイデッガー、ヤスパース、そしてサルトル。当然、中国に数多存在した思想家たち、老子、荘子、孔子、朱子等々もその系譜に名を連ねるでしょう。日本語の「哲学」という言葉は明治期の啓蒙思想家である西周(にしあまね:1829 - 1897年、元幕臣)が命名したものですが、では、その哲学なるものをできるだけ簡略に理解しようとするとどうなるのでしょうか? 私は「考えることを体系化した学問」としますが、これには異論・反論、おありの方がいらっしゃると思いますけど、行き着くところ、私はそう思ってしまうのです。哲学のご先祖というか、原型は数学であり、その当為は「思考の体系化」だと考えます。

では、その「哲学」はわれわれにとって、いかなる恩恵をもたらしてくれるのでしょうか。これまた、できるだけ簡略に理解すれば「あらゆるもの(森羅万象)の本質へとアプローチする思考力」を鍛えてくれるものであると思います。そう考えれば、哲学はあらゆる場面で「必要」となり、例えば、政治哲学とか経営哲学、宗教を生命哲学とよぶ教団もありますね。「それが俺の哲学だ」なんて言えば、「哲学=信念」となる場合もあります。ですから、生活のあらゆる場面で「哲学」はかなり「身近」に必要性のあるもので、図書館や本屋で出会ったり、書棚に飾られたりするだけのものではないでしょう(皮肉っぽかったら、ご容赦)。つまり、われわれが日常で考える価値観、意味、方法等、全てが哲学だと思っています。大学で哲学を専攻しても「就職活動」には役立ちませんが、人生を豊かにしてくれることは確かです(ニーチェみたいになるかもですが…)。

とはいえ、ややもすれば哲学とは高尚な学問、アカデミズムの牙城の中に鎮座するようなお堅いイメージが付きまといますけど、それを粉々にしてくれるのがエリック・ホッファー( 1902年 - 1983年)です。日本にも、柳田國男に「日本人の可能性の極限」とまで言わせしめた南方熊楠がいますが、熊楠は博物学者であり、哲学者ではありません。しかし、在野で、独学の「知の巨人」という面ではエリック・ホッファーとイメージが重なります。

エリック・ホッファーの生い立ちは、これでもかという程の不幸続きで、恵まれていたとはいえません。ドイツ系移民の子としてアメリカで生まれ、7歳にして母親と死別し、その年に視力を失います。しかし、15歳の時に奇跡的に視力を回復したそうです。正規の学校教育は一切受けておらず、18歳で、唯一の肉親である父親を失い、天涯孤独の身となってしまいます。それ以来、ロサンゼルスの貧民窟でその日暮らしの生活となり、28歳の時、自殺を試みますが未遂に終わったようです。しかし、彼は15歳で視力を回復した後、再び視力を失うことを恐れ、貪るように本を読んだといいます。その背景には、7歳で視力を失う前に「本好き」であったということがあったのでしょう。ちなみに、これは推測ですが、激しい精神的なストレスから視力を失ったり、話すことができなくなったり、歩けなくなるなど、身体的なダメージが現れる事があるようです。機能的には問題が無いのに、「見えなくなる」などの障害が現れてしまうというものです。エリック・ホッファーは母親の死によって、そのような症状に陥ってしまったのではないでしょうか。15歳以降、再びそのようなことはなかったようです。

ホッファーは長く放浪と日雇いの仕事を続け、40歳を過ぎたころからサンフランシスコで沖仲仕の仕事に就き、60歳を過ぎてもその仕事を続けており、その事から「沖仲仕の哲学者」と呼ばれています。ホッファーはその様な生活の中でも、暇な時間を読書と思索に費やし、図書館に通い、独学で大学レベルの物理学と数学をマスターします。農園の生活を通して、植物学の勉強にも没頭し、またもそれを高いレベルでマスターすることになります。そのことが彼を世に出すきっかけとなります。あるレストランで偶然出会った大学教授が頭を悩ませていたドイツ語の植物学の文献を、ホッファーが翻訳したそうです。それがきっかけで、研究員としての職を得て、当時のカリフォルニアで流行っていた「レモンの白化」という現象の原因を突き止め、正式な研究員として迎えられますが、ホッファーはそれを辞退し、また放浪の生活へと戻ってしまいます。時にはお金と食糧が尽きて、皿洗いをすることで食事をさせるという条件でレストランで働いていた時、「皿洗いを教えてくれる人がいた」と語っています。そこに深い意味が無くも、常に人と人との関わりの中でも「感じ」続けていたのでしょう。本のみでなく。

おそらく、ホッファーには既に自分の「生き方」というスタイルができていたのでしょう。働いて体を動かし、頓着の無い生活という日常の中で読書と思索に浸るという。それは、その生い立ちの中で鍛造された鋼の魂。その彼に「書く」という衝動が起きたのは一冊の古本からのようです。その本の作者はモンテーニュ、タイトルは「エセー」。モンテーニュは16世紀フランスのルネサンス期を代表する哲学者で、人間の生き方を探求して綴ったのが「エセー」。ホッファーは沖仲仕を続けながら思索し、それを文章にする生活を送っていたようです。天涯孤独の彼にとっては自分の境遇さえもうどうでもよいことで、とにかく「再び視力を失う恐怖」が付きまとい、それが彼を限界までの読書と、そこからの知識獲得に駆り立てたのでしょうか。そんな彼の生き方に興味を示した雑誌の編集者が現れます。人にはどのような境遇であれ、一つの「流れ」があると思います。偶然と必然が織り成すような。どれひとつが欠けても、ホッファーという存在が世に知られることはなかったかも…。

彼の哲学の底流には、底辺であろうとも広い社会とそこでの様々な人との出会いから得たものがあるようです。ホッファーの最初の著作は『大衆運動』。彼が言う「大衆」とは、彼自身が長い放浪生活の中で出会ってきた様々な人たちのことであり、そして、まさにその「大衆」が作った国が、移民によってできたアメリカであるとホッファーは考えます。エリック・ホッファーの哲学は、一歩間違えればアメリカで危険視される思想につながったかもしれないと思います。それはアメリカが第二次大戦後に恐れた「共産主義」。その思想は、肉体労働とは無縁な「頭だけ」で考えた知識人には辛辣です。そういう知識人には、様々な人と人との巡り合いで育まれる「思いやり」を持ち得る事(機会)が無い、と。また、大戦後の、豊かなアメリカ社会の中での若者の反乱を「彼らは努力しないことが自由であるとしている」とバッサリ。働くことを軽視している若者の風潮(60年代のヒッピーか?)に対して手厳しい。60年代の豊かなアメリカで「反体制運動」を起こした若者たちを「甘やかされた子供」と一蹴しています。彼があのベトナム戦争を肯定的に見ているのはその「勇み足」でしょうか…。しかし、人と人との「愛」の大切さを説くホッファーは、この時代の若者に強く支持されていたという側面もあります。

ホッファーは後に大学教授となり、アメリカから受勲し、その名声は一種の「知的カリスマ」となっていたようですが、それは彼の「成功物語」として語られるべきではなく、彼の居場所はあくまでも「沖仲仕」であり、暇なときには古本を朝から晩まで貪り読み、思索を続けるという、肉体と不可分の知、そして人々(大衆)から離れることのない知、それを全うした哲学者がいた、と記憶されるべきと思います。そうした「哲学者」たちは世界に数多く存在するでしょう。何かのキッカケで世に出る事はあるかもしれませんが、多くの者は、生活(=生きる事)から決して乖離することなく、その「知」を育み続けているのだと思います。たとえ、「雑学者」であろうとも、私もホッファーのようにありたいと、オヤジが憧れてしまいます。

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