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人文・思想 その34「一休 暴れる感受性と才能の大浪費 大丈夫、なんとかなる!」


本 良寛さんのことを「その33」で書いたときから、次は一休禅師のことが書きたい、と思っていました。が、この一休禅師なる人物を書こうと思えば、喩えは陳腐ですが、大きな魚を与えられた猫がどこから食べてよいのか、魚のあちこちに嚙みつきながらもここからと決められず、グルグルと困ったように魚の周りを回り続けているような状態になってしまうのです。余談ですが、釣りが趣味なものですから、漁港でたまに、釣り師が猫に釣った魚を与えている場面に出会います。しかし、大きすぎる魚は猫にとって悩ましい存在となるのです。ここも美味しそうだ、あそこも美味しそうだ、でも、どうにも大きすぎて噛みつきにくい、さて、どうしたものか、ってな感じです。私にとって一休禅師とはそのような存在なのです。

てなことで、思い悩んでいても仕方がないので「つまみ食い御免」で食い散らかします。となれば、トンチ話(一休咄)も有名ですが、私の一番好きな話から。これは「兄弟サイト:不思議、怖い、変を普通に考える」の「プロフィール」に書いた一休の逸話ですけど、禅師が亡くなる前、弟子たちに「本当に困ったときにはこれを読みなさい」と一通の書簡を残したそうです。で、いよいよその弟子たちが困ってその書簡を開いたら、そこに書かれていたのは「大丈夫。心配するな。何とかなる」だったとか。まあ、心配や不安を感じたところで、どうなるわけでもなし。この「何とかなる」の言葉が好きです。心配や不安はどこまでも心にへばりつき、時には拡散し、周囲に巻き散らされることもあります。そしてドンドンと増殖して、人の心はその中に囚われてしまいます。「囚われる」。まさに人が閉じ込められている「字」です。一休のこの言葉は、それを払拭してくれます(これは作り話という説もありますが…)。

一休は天皇(後小松天皇)の実子でありながら、政争に巻き込まれるのを恐れた母親が幼い時に臨済宗の安国寺に入れて、出家させます。事実、一休の墓は、天皇の子ということで宮内庁が管理しているそうです。一休が生まれた時代は南北朝が統一されたとはいえ、まだ政治的な生臭さの残る室町時代。生きるために出家して隠遁の人生を送るなど、歴史の中では枚挙にいとまもないことです。決してハッピーな人生は約束されないと思います。一休もそうした歴史の理不尽さに見舞われた一人ですが、どうにも穏やかな一生とは無縁な存在だったようです。確かに若いころは生活に困窮し、自殺未遂さえ図っているようですけど(壮年期にも一度図っています。躁鬱の気があったのか…)、一休が一休となるのは、宗純(一休のそれまでの名:そうじゅん)が24歳になった時。瞽女(ごぜ:盲目の女芸人)が語る「平家物語」を聞いて無常観を感じた一休が、それを歌に詠んだ時でしょう。その詩は、「有漏路(うろじ)より無漏路(むろじ)に帰る一休み 雨ふらば降れ 風ふかば吹け」。意訳すればこのような意味でしょうか「(人の一生は)煩悩(漏)の世から来世までのほんのわずかな一休みの出来事。雨が降ろうが風が吹こうが大したことはない)。その詩の中から「一休」の号を、その時に師事した禅師から授けられたそうです。

一休、24歳の時。彼は無常観の中で、(不謹慎ながら)開き直り、そこに沈みこまなかった稀有な精神の持ち主だったのだろうと思います。その、(太宰治風に言えば)真綿でも傷がつく感受性と、決して内に籠らぬ揮発性の高い才能が彼の中で化学反応を起こして生まれた個体ではないでしょうか。「暴れる感受性と才能の大浪費」とはそんな一休に私が持つイメージです。冒頭で、「良寛について書いたとき、次は一休禅師…」と書きましたが、私は良寛と一休が対照的な存在であるとは思っていません。両者は非常に近しい存在であり、わずかに角度が違い、出来上がった姿にコントラストができただけ、と考えています。良寛は「一衲一鉢:いちのういっぱつ」で生き、一休もやはり一か所に留まらず「一蓑一笠:いっさいいちりゅう」、良寛は「知」を求め、一休は「仏教の教理」を説き続けます。両者の生き方は、角度を変えてみれば、ほぼ一致するように思えます。

一休は僧でありながら、親鸞のごとく自由奔放です。応仁の乱が勃発する時期、盲目の美人旅芸人にベタ惚れし、76歳の時、20代の女性と同棲生活に入ります。まあ、一言でいえば酒肉はもとより何かにつけて、破戒僧です。しかし、とんでもなく人気があったそうです。戦乱で炎上した大徳寺の復興を図るため、勅命でその住職にされてしまいますが、再建費用の当てなどありません。しかし、です。一休が豪商の集まる堺に出向くと、莫大な寄進が集まり、わずか5年程度で大徳寺は復興を果たします。トンチで世に名を残し、また機智と、ニヒリズムとさえ思える目で多くの書画や歌を残し、良寛と同じくそれは現代でも愛されています。当然ながら一休の作風は良寛と異なりますが、当時はその奇行さえも愛されていたのでしょう。正月、杖の上に髑髏を載せて、「めでたくもあり めでたくもなし」と歌いながら歩いたことも。

論より証拠で、多くの逸話を持つ一休禅師ですが、その歌の中にある彼一流の「実存的な景色」を眺めてみるのが一休を「鑑賞」する分かりやすい方法だと思います。では…

「持戒は驢(ロバ)となり 破戒は人となる」
「生まれては死ぬるなりけり おしなべて 釈迦も達磨も猫も杓子も」
「女をば 法の御蔵と 云うぞ実に 釈迦も達磨も ひょいひょいと生む」
「釈迦という いたづらものが世にいでて おほくの人を迷わすかな」
「南無釈迦じゃ 娑婆じゃ地獄じゃ 苦じゃ楽じゃ どうじゃこうじゃと いうが愚かじゃ」
「世の中は 起きて箱して(糞して) 寝て食って 後は死ぬを 待つばかりなり」
「門松は 冥土の旅の 一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」
しかし、こういった歌ばかりではなく、味わいのある歌も残しています。
「花を見よ 色香も共に 散り果てて 心無くても 春は来にけり」
「秋風一夜百先年」
「分け登る ふもとの道は多いけど 同じ高嶺の月をこそ見れ」
「花は桜木、人は武士、柱は桧、魚は鯛、小袖 はもみじ、花はみよしの」

そして、辞世の句として残した歌は…
「一休の禅は、一休にしか分からない」
「朦々淡々(もうもうたんたん)として六十年 末期の糞を晒して梵天に捧ぐ」
それぞれの歌に解説は不要でしょう。最期の歌は強烈…。

一休の最期の間際の言葉は「死にたくない」だそうです。その真偽は別にして、そう言ったのであれば、その言葉は「無常観」が「受け入れること」であり、受け入れたがゆえに口にした一休の言葉だったのではないでしょうか。生きている身で「死にたい」などという痩せた精神よりも、今際の時まで「死にたくない」というのは、この上なくポジティブな精神と思えます。一休はひねくり回した難解な言葉は発していません。そのままです。まさに自由奔放で、囚われずありのままの精神。その背後に戦国へと向かうキナ臭い煙が上がっていた時代を飄々と生きた一休に、今の時代はどのように映ったのであろうかと、陳腐な興味を禁じ得ません。

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