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人文・思想 その6「丼もの&おにぎり 無常・漂泊の食文化」


本 余談ですが「カレー」は「外来のものを取り込み、更に昇華させる日本社会の特性」という、社会科学的(「社会・政治」のカテゴリー)な位置づけで行きましたが、「丼もの」「おにぎり」は日本社会の特性に同じく連なるものとは思いますけど、やはり、「形態、在り方」としての「文化」ですので、同じ「食」ではあっても人文科学の領域と考え、こちらのカテゴリーで行きます。

「日本文化を一言でいうと…」などという大風呂敷を広げれば、(学者ではないので無責任ご容赦)その根本は「無常」「漂泊」、と答えます。「無常・漂泊の食文化」などという、これまた「ちゃんと畳めるのか…」といった不安を感じなくもない大風呂敷なタイトルを掲げたのですが、日本の食を考える上で前提としたいのはまず「割り箸」です。昨今は資源保護という事で少々分の悪い割り箸ですが、世界中に携帯用の食器、食事用具はそれぞれにあると思いますけど、これほどにシンプルで携帯の楽な(というより、どこでも適当に作れます)食の用具は世界に比類がないと思います。タイトルに実は「お弁当」も加えたかったのですが、これはこれで大きなテーマですから別の機会にまとめてみたいと思っています。「割り箸」と、この「お弁当」。まさにここが日本文化の本質を表しているのではないかと考えます。故に「無常」であり「漂泊」なのです。それはネガティブなものではなく、身軽で機動性抜群の生き方の基本ではないかと思います。その辺りの詳細はスッとばして、「丼もの」から行きます。
  
「丼もの」はある意味、実に妙な食べ方です。もともとは別の食器に盛っていたものを同じ器に一緒にしただけですから。よく「一汁一菜」と言いますが、王侯貴族は別にして、それが日本の(今にも通じる)基本的な食の形と思います。ここから丼物が生まれたのは、表現は良くありませんけど、俗にいう「猫マンマ」がきっかけではないかと思います。一説には江戸期に、忙しい時、手っ取り早く食べる事が出来ると言う事で丼ものが広まったようですが、「一汁一菜」を、ご飯を盛った器に全部入れてしまうという食べ方は存外、もっと早い時代に生まれていたのではないかと考えます。

理由は二つ。一つはまず日本人の主食がご飯(米、もしくは五穀)である事。食事の中心に「お茶碗(丼)」があります。もう一つは、一般庶民がそれほど多くの食器を所有してはいなかっただろう、という事です。陶器類はかつて高価なものでしたでしょうし、江戸時代には「お茶碗(陶器)」が壊れると金継ぎ職人に修理してもらい、長く使っていたという事で、皿などに金をかけるより、ご飯を盛るお茶碗がその主役であったと考えます。とすれば、そのご飯の上におかずを乗せてしまえば丼ものですし、汁をかけてしまえば猫マンマです。このように、一つの茶碗で済ませてしまえば、洗うのも楽ですし、手間もかからない。江戸時代の都市(江戸)が「ゴミの少ない」エコ社会であったのはそうした合理性を持っていたからでしょう。
    
大森貝塚で有名なエドワード・S・モースの言葉だったと思いますが、「江戸時代の(都市部の)日本人は、木と紙の長屋に住み、家財道具も多く持たず、美しい食器(ご飯を食べるお茶碗の事?)で食事をし」、大多数が貧乏ではあっても貧困は少なかったとか。要するに「余計なものは持たず、一番大事な食事のためのお茶碗を大切にしていた」という姿が彷彿としてきます。まさに、不必要なものを極力排して、生活で大事な器の中に必要な物(食)を一点成立させる…。それこそが「丼もの」であると思います。箸と茶碗があれば、食事ができる。そうした、軽やかで拘らない生活が、前述した「無常」と「漂泊」を根本に持つ日本人本来のスタイルなのではないかと考えます。長屋にしても、家財道具の少なさにしても、そこが「定住」の地とは考えず、どこでもコンパクトに生きていける、そういったスタイルが「箸と茶碗(丼)」に象徴されているように思います。それは中世で世界トップクラスの都市であった江戸の地であったからこそ生まれたのではないでしょうか。農村部ではなく、絶えず人が流動し、様々な生き方がある都市部に「丼もの」の合理性が生まれる下地があったと考えます。
  
「丼もの」はそのシンプルさ故に、何でも呑みこみ、成立させてしまいます。思いつくままに挙げただけで、「カツ丼」「親子丼」「他人丼」「開化丼」「タマゴ丼」「ヅケ丼」「天丼」「牛丼」「ネギトロ丼」「中華丼(日本生まれです)」「麻婆丼」「天津丼」(中華系は皿か…)「鉄火丼」「焼き鳥丼」「ウナ丼」「海鮮丼」「ヤマカケ丼」「トロロ丼(ご飯)」「ステーキ丼」「カレー丼」「唐揚げ丼」「アナゴ丼」「生姜焼き丼」「豚丼」「すき焼き丼」「焼肉丼」…。これくらいにしておきますが、バリエーション(天ぷら系等)も入れたらいったいどれくらいの数になるのでしょうか。つまりは何を乗せても成立する訳です。このようにシンプルで多彩な料理のジャンルを他に知りません。これに「猫マンマ」系を加えれば、丼と箸だけの世界にどれほどの「美味しさ」が広がるのでしょうか。この丼ものを支えているのはその下の「ご飯」です。「どんな副食でもその味を引き立てる」、日本人の主食です。長期保存の可能な「米」と「お茶碗(丼)」、そして「箸」。無常と漂泊の上に成り立つ日本人の食文化は、まさにその原点が「丼もの」にあると考えます。この機動性の高い生活様式は、マイホーム、しゃれたインテリア、食器の多さといった現代の日本人の生活様式より、遥かに自由で身軽な生き方であったのではないでしょうか。
   
次は「おにぎり」です。この「おにぎり」も丼もの同様、いや、さらに上を行く身軽さと機動性を日本人の生活に与えてくれています。もう、箸もお茶碗もいらない訳ですから。せいぜい、携帯用の「経木」位でしょうか。あとは風呂敷に包もうが、バッグに入れようが、いつでもどこでも、丼もの並みの食事が楽しめます。ちなみに、「おにぎり」と「おむすび」はどこがちがうのでしょうか? 諸説あります。例を挙げれば「西日本がおむすびで、東日本がおにぎり」「おむすびは三角だが、おにぎりは形を問わない」、その逆の説もあり、あまりの説の多さに正直どうでもよいような…。まあ、私は西日本出身ですが、確かに「むすび」と呼んでいました。

とにかく、「おにぎり」は、ご飯の中に具を入れて、それを「握って固めたもの(形を整えたもの)」という事で十分だと思います。これも「ご飯」が成立させるものであり、その「具」は丼ものに負けないくらいのバリエーションがあります。これまた思いつくままに挙げれば「梅」「シソ昆布」「焼き鮭」「おかか」「エビ天(天むす)」「佃煮」「ツナマヨネーズ」「エビマヨネーズ」「ネギ味噌」「焼肉」「納豆」「漬物」「豚の角煮」「鳥そぼろ」「いくら」「明太子」「マグロ(ヅケ)」…。これくらいにしておきますが、コンビニでのメニュー、バリエーションまでいれたら、これまた、丼ものと同じくらい、どれくらいの数になるのでしょうか。「おにぎり」は丼ものよりも遥かに機動性が高い。なんせ、歩きながらでも食べられるのです(丼もの、歩きながら食べている人、見た事ない)。しかも、食器などの洗いものも出ない。西洋にもサンドイッチやハンバーガーという好敵手がいますが、メインの食事となり得るのは「おにぎり」です。
  
「おにぎり」に関しての余談ですが、われわれ日本人は「おにぎり」が冷たくなっても別に気になりません。しかし、中国の人は「冷たいものを食べると体に良くない」ということで、温かい食事しか食べないそうです。確か、中国国民党の蒋介石の言葉だったと思いますが、「日本兵が強いのはあのおにぎりがあるからだ。彼らはどこでも、銃を撃ちながらでも食事ができる。しかし、わが中国兵は…」と嘆いたそうです。中国兵は、戦闘地域でも火を起こして食事の用意をするので、機動性に欠け、火の煙で居場所がすぐに分かってしまうとか…。以前、台湾の故宮博物館で、春秋戦国時代の発掘品を見ましたが、武具や武器よりも青銅製の鍋や食器類のほうが多かった…。中国人のガイドの人が言っていましたが、「中国人は二千年の昔から、戦場でも料理をして食べる事ばかり考えていた」そうで…。同じアジアでも、お向かいさんとは真逆といってもいいくらいの食文化を形成してきた日本。「無常」と「漂泊」が類のない合理的で機動性の高い食文化をもたらしたのか。ハイ、もちろん個人的な考えですが…。

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