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人文・思想 その9「岡倉天心 プロデューサーとはこのような存在」


本 岡倉天心の、日本を野蛮国という西洋人に対して「日本が満州で大殺戮を始めると、文明国と呼んでいる」「ならば、野蛮の国で構わない」といった日露戦争後の言葉に、時代は違いますが、「何でも見てやろう」の著書で有名な故小田実が、戦後の敗戦気分がまだ残っていたであろう1950年代に、今でいうバックパッカー(リュックサックを背負っての低予算国外旅行者)でアメリカを回った時、泊まった宿に各国の若者が集まって「徴兵制度か傭兵制度」かの議論となり、外国の若者から興味津々で、かつての軍事国家日本から来た若者に「君は徴兵制度についてどう思う?」と聞かれた時の答えを思い出します。小田青年はハッキリと答えます。「徴兵制? そんな野蛮なもの、日本はとっくに捨て去ったよ!」。

両氏が背負っていた時代の空気は違うにせよ、その共通点は、日本という国の持っている「滅びる事のない文化」のコアのようなものを、たとえ西洋に野蛮国扱いされようと、戦争に負けようと、それで形を変える事のない精神、美意識として堂々と臆することなく主張したという事でしょう(小田実の場合は、多少、政治的な気分もあったと思いますが)。いわゆる欧米的な考え、価値観に染まらない「凛とした日本」を感じてしまいます。
     
岡倉天心に関して驚くのは、自身は美術の専門的な教育を受けている訳ではない(東大文学部から当時の文部省へ)のに、西欧化で台頭してくる洋画に対抗して、単に日本美術の保護者たらんとするのではなく、むしろ積極的にその技法を取り入れ、日本の伝統美術を進化させる原動力となった、という事です。明治維新後、当時、欧化政策を積極的に取り入れる新政府の方針(神仏分離令)に従って、廃仏毀釈の機運が旺盛な中で多くの仏像等、美術品が破壊されたり、海外に流出する状況の中で天心は、日本美術の行き先を憂い、古美術の保護に対して強い危機感を持ったのでしょう。そのキッカケとなるのが、東京大学の在学中の、アーネスト・フェノロサとの出会いでしょう。それは運命としか表現できない事だと思います。フェノロサは、父の自殺という放心状態の中にあって、ハーバード大学で「東大の求人広告」を目にし、日本に渡る決意をしたようです。この時代、日本は積極的に欧米の技術、知識を取り込むために多くの知識人を外国から日本に招いて、国家の近代化を貪欲に進めていました。
   
そのフェノロサが日本美術に関心を持ち始めます。彼も、専門的な美術教育は受けていません。東京大学では政治学、経済学などを講じていたようです。それが、次第に日本美術に惹かれていきます。そして、文部省から近畿地方の古美術調査を依頼され、その時、フェノロサの助手としての通訳を務める事となった天心が同行します。その中で天心は日本の古美術に対する造詣を深めていき、日本美術の行く末に強い問題意識を持ち始め、古美術の保護に深い関心を抱き始めます。フェノロサもまさに同じく、日本の古美術に更に惹き付けられて行きます。そして二人は法隆寺夢殿で、救世観音像を拝し、その時の心情を天心は、「一生の最快事なり」と述べています。天心の感動は彼が薬師寺金堂の薬師三尊像を拝した時の言葉にも現れています。「この三尊像をまだ見た事が無い人は幸いである。これからこの感動を得る機会をまだ持っているのだから(確か、そんな言葉だっと思います)」。こうした、天心とフェノロサとの接点、そして同じような思いに行きつく、そうしたすべての流れは、まさに運命としか言いようがないと思います。そんな、シナリオをいったい誰が書いたのでしょう。
  
その時代、日本の文化が日本人の手に拠って破壊されるという狂気じみた愚行、廃仏毀釈、それに伴う日本古美術の衰退に強い危機感を覚えたフェノロサは、「保護」だけではなく、日本の美術を新しいものに息吹かせることを日本画に求め、滅亡寸前だった日本画家たちに訴えます。西洋画にはない日本画の素晴らしさを。日本人は外国人であるフェノロサのそうした言葉に驚きます(このあたり、日本は伝統的に「黒船的カルチャーショック」が体質になっているのでしょうねえ…)。フェノロサによって救われた日本美術…。彼は「日本美術の恩人」と称すべきでしょう。そのフェノロサと歩を一にした天心。彼も日本美術復興の「巨人」として、その強力なエンジンを猛烈な馬力でブン回し始めます。その功績は、よく知られている「東京美術学校」、後の「東京芸術大学」や「日本美術院」の創設への寄与。そして、狩野芳崖、横山大観、下村観山、菱田春草ら、近代日本画の至宝を生み出します(狩野芳崖の才を世に引きずり出したのはフェノロサでしょう)。
   
「日本画」という言葉は、明治になって台頭してきた「洋画」に対抗して生まれた言葉です(開校当初の東京美術学校に、西洋画科はなかったようです)。西欧化という大きな歴史のウネリの中で、その優れた慧眼をもってして、日本美術を守るだけでなく、更に世界に通じるものとして育て上げた天心の気概と能力はまさに「近代日本美術のプロデューサー」、大観が称したように「筆を持たない芸術家」でしょう。フェノロサとの運命的な出会いによって触発されたのかもしれませんが、「事を成す」プロデューサーとは、現代のあちらこちらでそんな肩書を徒に名乗っている輩とは、遥かに次元の違う存在です。彼がプロデュースした「朦朧体(本来的にはネガティブな非難の言葉)」は日本で非難され、海外で称賛を浴びました。朦朧体とは、日本画の伝統である「描線(輪郭を明確に描いた表現)」に対する新し表現へのチャレンジです。

私の個人的な考えですが、「描線」とはいわゆるエッジ(Edge)であり、対象を「記号化」してしまう手法だと思います。それが悪いという訳ではありませんが、往々にして類似を生み出し、奥行きや深みを阻害してしまう事があります。朦朧体はその描画に頼らず、色の組み合わせによる表現であり、西洋の印象派や、文人画(南宋画:技法のみに頼らない)にも通じる、画期的なムーブメントであると考えます。日本の文化が欧米に飲み込まれず、それどころか伍するほどの存在感を持ち続けているのは、旧時代と新時代の間に現れた「岡倉天心」という天才プロデューサーによる、鮮やかな手腕により実現した「価値観の昇華」であると言わざるを得ません。余談ですが、今の時代よりも、岡倉天心が生きた時代はとんでもなく「多情多感」、感情の量が圧倒的に多かったのだと思います。

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