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科学・テクノロジー その12「支配者のいないメディア? インターネット」


本 私自身がインターネットなるものと初めて出会ったのはいつごろか、と思い出せば、もう二十余年前になります。比較的パソコンにしてもインターネットにしても早い段階で「カルチャーショック」を覚えた方だと思います。パソコンはアップルの「マッキントッシュ(Plus)」インターネットは、マッキントッシュ(SE30)を、当時8bitのビデオカードでマルチモニタにして、モデム(電話回線のモデムですよ、2,400bps~9,600bpsのダイヤルアップ接続…、ご存知?)でトライしていました。インターネットの前に、今や懐かしい「パソコン通信」を利用して、メールやフォーラム(今のSNSですかね?)を楽しんでいました。

で、インターネットなるものが登場して、それに接続するにはブラウザが必要とかで、これまた今や懐かしい「Mosaic(モザイク)」、それから「Netscape(ネットスケイプ、略してネスケ)」を使っていました。1990年代後半には、仕事での必要性もあってマッキントッシュからウィンドウズに宗旨替えして、それからのブラウザは「Internet Explorer(IE)」です。モデムの規格も「K56flex」「X2」から「V.90」に統合され、通信速度も56kbpsとなった時は、ようやくインターネットもダウンロードに堪えられる速さになったように記憶しています。今では隔世の感がありますが…、それでも新しい「通信技術(形態?)」の出現にワクワクとしたものです。
   
1970年代後半に某NECがパソコンで市場を独占し始めだす中、「C&C(Computer & Communication)」というコンセプトを掲げ、かなりの注目を浴びましたが、今やその「パソコン98シリーズ(98シリーズは1980年になって登場)」の姿は市場にありません。しかし、そのコンセプトの「先見性」は卓越したものであったといわざるを得ません。WEBの概念自体は1980年代に遡るようで、その技術が公開されたのは1991年。その時まで「C&C」なる概念には正直、ピンとこなかったし、パソコンにも興味は無かったのですが、そこからわずか10年も経たない時間の中で「マッキントッシュ→パソコン通信(モデム)→インターネット→光ファイバ→ディバイスの多様化」と、目まぐるしく変わって行く「道具」たちの進化に、ホットとしか言いようのない時代を過ごしました。「カルチャーショック」と前述しましたが、まさに「自分の考えを目に見える形にしてくれて、他人の考える形を即座に目にできる」電子技術・通信技術はエキサイティングでした。余談ですが、相当、その時代に先行投資しました。マッキントッシュは高かった…、ソフトも…。しかし、その投資に見合うだけの「時代の空気」はシコタマ吸う事ができたと思います。
      
で、今、オヤジにはなりましたが、自分がWEBサイトを制作して、運営し、インターネットの世界の中に浸っているとは、時代の「必然」であるような思いもありますけど、数年前までは全く個人的にそんな事、考えてもいませんでした。一体何故、「いまや個人サイトは衰退の道へ…」と言われる中で、私はサイト作りを始めたのか? とりあえず簡単な理由を言っておくと「やって見たらできた。で、面白い!」からです。その前提として、比較的早くからパソコンや、そのパソコンによる通信を経験し、何と、やがて仕事でもWEBの案件に絡まざるを得なくなり、挙句の果てはISP(インターネット・サービス・プロバイダー、接続事業者)に数年、就業し、その猛烈な事業バトル、大競合の時代を経験する羽目になり、更にはWEB制作会社にもいました。

ですから、インターネットには(望んだわけではないのですが…)自分自身がかなりの親和性を持っています。とはいえ、ビジネスの世界という事で、個人的には正直な所、それで「自分(個人)が何かを発信してみたい」とは全く考えていませんでした。しかし、たまたまとしか言いようのない事なのですが、あるWEBサイトにあった簡単なHTMLとCSSのソースコードを参考に、ウインドウズ標準装備のテキストエディタ「メモ帳」で遊んでみたら、自分のローカル(PC)にサイトの「ようなもの」ができたのを見て、ハイ、オヤジがハマってしまいました。
      
これまでインターネットはROM(リード・オンリー)だったのですが、サイトがそれなりにできるとなれば、当然上げてみたくなります。ハイ、上げました。さあ、こうなると面白くてたまりません。皆さん、それぞれに「何か表現したいもの」をお持ちだと思います。絵でも、写真でも、音楽でも、フィギアでも、お話でも、自分の考え・意見でも、様々にあると思います。それを、自分自身のもの、趣味的なものだとして引き出しの中に閉まっておくとしてもそれは人の自由なのですが、やはり、何がしか「自分が言いたい事、好きなもの、考えている事、作ったもの」は、それに対する反応がどうであれ、世の中に「晒してみたい」欲求というものがあると思います。カッコよく言えば「世に問うてみたい」ということになります。

まあ、個人的にはそこまで高尚なものではないのですが、とにかく今のインターネットの世界では「それが(簡単に)できる」のです。同人誌とか、同好会とか、個展とか、投稿とか、そういった方法もありますが、パソコンとソフト、回線(&無料・有料サーバ)があれば、誠に簡単にそれが「個人」でできるのです。そのための「メディア」をわれわれは手に入れる事ができたのです。これまでのメディアは、言ってみれば「中心を持ち、支配され、事業(採算)性が必要」という制約によって個人が自由に発信できるものではありませんでしたが、インターネットにはそれがありません。誰もがその「中心となれるし、支配もされない(良識・マナーは必要ですが)、事業性は個人レベルでは勝手」なメディアが「人の前に初めて現れた」のです。しかも、規模的には既存のマスメディアに匹敵する(今や凌駕しているのでは)個人のメディアが。
     
匿名性ゆえの「なりすまし」や「炎上」「ヘイトスピーチ」、そして「詐欺」や「出会い系によるストーカー事件」など、当然ながら、様々な問題も抱えていますが、それはインターネットだから「起こりやすい」という側面は持っているでしょうけど、インターネットの世界独自のものではありません。リアルとバーチャルという二元的な分け方には与したくありません。どちらも、現実です。強調しますが「インターネットはメディア」であるだけです。問題は「良識・マナー」や「ルール」に帰結するもので、あくまでも一般社会で起こるものと同じです(というより、インターネットも一般社会です)。とはいえ、兄弟サイトの「不思議・怖い・変を普通に考える」の中の「思いその13:Web社会 ネットワーク切断のススメ」で書いたことですけど、「マクルーハンのメディア論」からいえば、インターネットは「人間の能力を拡張するメディア」でもあり、不可逆的な「依存」をもたらす事が容易に考えられます。依存により、「主」であるはずの「人」が「従」となる可能性もあります。そうなれば、考えたくもない事ですけど、新たな「支配の形」が現れてくる事も否定はできません。

中国や、「アラブの春」の事例を見ても、インターネットが無視できないほどの「政治的な力」を持っていることは証明されています。一見、個人個人の意見として散見されるものが、ある一方向へ流れて行けば、あまり好ましくない事も起こり得ます。そうならないためには、あくまでもインターネットは「個人のメディア」として、日々の生活から「入り込む世界ではなく」、ただの趣味的な「手段」「道具」として、時にはネットワーク回線を切断する事も必要でしょう。PCだけではなく、スマホでも。決して「行ったきり」にならないように。余談ですが、ガラケーやスマホを眺めながら歩いている人を見ていると、何かに操られているように見えて…。

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