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科学・テクノロジー その20「SF好きですが 苦手なタイムパラドックス」


本 今はそうでもないのですけど、特に学生のころから20代の時は、読む本がSF(サイエンス・フィクション)一色でした。日本の作家では、筒井康隆、小松左京、星新一、光瀬龍、平井和正、眉村卓、豊田有恒、半村良などはもとより、ハヤカワ出身の作家は片っ端から読みました。海外作品では、ジュール・ヴェルヌ、H・G・ウェルズから、アーサー・C・クラーク、アイザック・アシモフ、ロバート・A・ハインライン、レイブラッドベリ、フィリップ・K・ディック、カート・ヴォネガット・ジュニア等々、とにかく、古本屋からかき集めて、時間があれば読み耽りました。どちらかといえば、いわゆるハードSFよりも、筒井康隆や平井和正や、ロバート・A・ハインラインなどの、「情緒的」な作品を好みました。やはり、物語性の強い作品に惹き込まれます。といって、別にハードSFを嫌っている訳ではありませんが。

で、それだけSFというジャンルに傾倒していた時期でも、どうしても馴染めないというか「苦手」な作品がありました。それは、「タイムマシン」や「タイムスリップ」などの「時間をテーマにした作品」です。H・G・ウェルズの「タイムマシン」はともかく、筒井康隆の「時をかける少女」、半村良の「およね平吉時穴道行」「戦国自衛隊」、カート・ヴォネガット・ジュニアの「スローターハウス5」などなど、「タイムスリップ」的な要素は多くの作品に設定されていますが、設定がドンズバ「未来・過去へのタイムスリップ」になるものはとにかく苦手でした。読んでいて面白いのは面白いのですが、途中でどうしても物語の世界に入りきれなくなります。最近の作品で、これはマンガ&TVドラマですが「JIN-仁」は面白そうとは思いましたが、やはり物語の世界には入りきれません。どうしてそうなのかと言いますと、「タイムパラドックス」に気が回って、素直に物語が読めなくなるからです。
     
この「タイムパラドックス」、SFファンならご存知でしょうが、有名なのは「親殺しのパラドックス」」です。こんな感じです。「タイムマシンを使って過去に行き、自分の親を殺せば、自分はこの世に存在し無い筈。であれば、タイムマシンで過去に行く事も無く、親は殺せない。という事は、親は無事だから自分は生まれている。でタイムマシンに乗って過去に行き…」といった話がグルグルと永遠に続いてしまします。「バック・ツー・ザ・フューチャー」という映画、大ヒットしたようですが、私はTVで再放送になっても見ません。この「タイムパラドックス」が気になって、頭が循環閉鎖回路状態になりそうですから。もう一つ「自分殺しのパラドックス」というものもあり、他にもいくつかのパラドックスがあります。そこで、作家のみならず、学者たちも混ざってこの「タイムパラドックス」の解消に知恵を絞りますが、まず「漫画的」なのは「タイムパトロール」で、遥か未来人が過去を変えられないように「見張っている」という設定。これは、古くは「スーパー・ジェッター」がありますね(流星号、懐かしい…)。このアニメ、原作は漫画家の久松文雄ですが、アニメの脚本は、筒井康隆、眉村卓、半村良、豊田有恒他のそうそうたるSF作家が書いています。

で、もう少し現実的なものとしては、「過去が変えられる確率は0」という「ルール的」なものです。つまり、親を殺そうとして過去に行っても、絶対に殺せないという事です。鉄砲で打とうが、刃物で刺そうが、とにかく殺せないという事です。未来という「果」が決定している以上、その「因」は絶対に変わらない、という「因果」にひっくり返しは不可能というものです。更には、極めて「SF的」な「パラレルワールド(多次元世界)」の概念があります。これは、「過去に行くという事は次元の違う世界なので、その世界で起きた事は次元の違う未来には影響しない」、というものです。物理学者が、数学的にこのタイムパラドックスを数式化しようとトライする事もあるようですが、詳しい手法は置いといて、「解がない」か「解が無限に存在する」という事になってしまうようです。ハイ、申し訳ありませんが、数学的には破綻しています。どれも、決定的な解決にはなっていません。そもそもが、タイムマシン、タイムスリップというメカニズム自体がイメージしきれないのに…。
     
私なりに「タイムパラドックス」を考えてみるに、未来と過去が、カート・ヴォネガット・ジュニアの「スローターハウス5」に登場するトラルファマドール星人(他の作品でも出てきます)のように「時空連続体」の中に一体化して生きているのなら、全てが連続して決まっている訳ですので、彼らのタイムトラベルはその中を移動するだけという事で、「時空連続体」の中では「何も変わらない」のです。しかし、これは個体の中での話ですから、「タイムパラドックス」の根本解決にはなりません。もし、宇宙全体を「時空連続体」と考えた場合、その中で多少の事(過去と未来)が変わろうが、宇宙全体としての「時空・質量・エネルギーは変わらない」とも考えられます。しかし、それはその宇宙が「閉じている」場合にしか通用のしない考え方です。宇宙が「閉じていない」とすれば、「失ったもの」が「補充」されて、宇宙の様相が変わる可能性もあります。以下、妄想ですけど、もし「今」という時空から人間など何らかの物が過去に行ったとしたら、その「今」の時空は0になり、反物質状態となります。こうなると、お決まりの反応で空間の大爆発が起こってしまう、と…。で、その「今」の物が、「過去」のどこかに現れれば、時空同士が重なり合う訳ですから、ハイ、いわゆる核融合が起きて、これまた大爆発…。
    
別に私は「タイムマシン」「タイムスリップ」ものの作品を否定している訳ではありません。あくまでも「物語」の設定ですから、確かに戦国時代に自衛隊が現れたら…、とか、過去と未来を自由に行き来できる能力があれば…、とかは「面白い設定」です。しかしながら、「タイムパラドックス」があるため、物語に対して「もし、こうなったら、どうなる? ああなったら、どうなる?」と考え始め、作品をお行儀よく楽しむ事ができないのです。そもそもが、「タイムマシン」に現実的な理論を与えたのはアインシュタインです。確かにより光速に近い速度で移動するものの時間は「遅く」なるのでしょうが、果たして光速に近い速度が可能なのでしょうか。相対性理論によれば「物質が光速になれば質量は無限大になる」そうで、高速の壁というか、例のヒッグス粒子が壁となって立ちはだかるのでしょうか。アインシュタインが考え続けていたのは「光」の事です。つまり「時空」も「観察者」としての現象であって、何らかの「働きかけ(コントロール)」を目的とはしていません。あくまでも理論物理学です。この宇宙の姿を明らかにしようとしたのです。何億光年の彼方を見れば、そこには何億光年の「過去の姿」が見えるでしょう。それは「観察」できるだけで、現実にはもう「無い」ものです。

繰り返します。私は「タイムマシン」「タイムスリップ」を否定している訳ではありません。ただ、「タイムパラドックス」というオバケに取りつかれてしまうのが苦手なだけです。「過去」も「未来」も魅力的な想像の対象ですが、それを感じているのは「今」という事でいいじゃないですか。映画のカサブランカではありませんが、"As Time Goes By"。

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