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科学・テクノロジー その4「学校を出てから気が付いた数学の面白さ…」


本 何故、学校で習っていた数学というのはあれほど面白くなかったのでしょうか…。ひたすら「記憶する事」と「解き方を訓練する」だけだったからでしょう。例えば、微分、積分とはいったい何なのか、という事は授業で教えてくれませんでした。連立方程式とは何なのかも然り…。それを教えてくれていたらもっと興味を持ったかも、と、自分の怠惰を棚に上げて、そう思います。大体、数学が理系で、文系は関係ない、というのがおかしいのです。ITの世界でソフト開発やシステム開発に携わっている者には文系出身が多い(もっとも、実際に作るところは理系出身のエンジニアですけど)。何故か? 「数学とは古来、哲学と同意であり、考えるための手段であった」ということです。考える事に於いては、文化系も理科系も関係ないのです。日本にも和算がありましたが、それが江戸期、大いに隆盛したのは、当時の町人の知識層がある意味「趣味的」に「遊び的」にこれを楽しみ、好んだからだそうです。その当時には理系も文系もない、です。
    
大学を卒業して社会に出て、最初に「数学とはこんなに面白かったのか」と気づかせてくれたのは「ゲーデルの不完全性定理」です。まさに、目から鱗が、ってな気分でした。当然、それまでの不勉強が祟って、本当の理解までは辿り着けませんが、その面白さは十分に分かりました。カントールという数学者が「無限は数えられる」と言う事を発見した経緯。そして、極めつけはヒルベルトの作と伝えられている「無限ホテル」の喩え。簡単に説明すれば、無限の部屋を持っているホテルが満室になって、そこに客が来たとします。満室ですから客は泊まれないと思いますけど、これが泊まれるのです。支配人が全客室に伝えます。「一号室の人は二号室へ、全て隣の番号の部屋に移ってください」と。すると一号室が空きます。で、お客はその部屋に泊まれます。同様に、無限ホテルですから、何人客が来ようとも、同様の方法でいくらでも客を泊める事が出来る。これを本当に数学的に理解しようとすれば「有限集合」「無限集合」「濃度」といった概念を理解しなければならないのですが、「部分は全体に等しい」といった何やらまさに哲学めいた言葉から考えていくと、何だか分かったような気になります。面白くて美味しいところだけを頂けばいいのです。クリームスキミング!
   
もう、つまみ食いの世界です。「論理的に正しい事」と「数学的に正しい事」とは実際違うのですが、それを脇に置いとけば文系にも数学の楽しい世界が広がってきます。例えば有名な「クレタ人は嘘つきである」ですが、結論から言えば原理的にその言葉で事の白黒をつけるのは不可能です。もし政治家がお互いを「嘘つき」と言いあったとします。それはどちらかを嘘つきにしようが、正直者にしようが、話としては辻褄が合います。同時に矛盾であり、「クレタ人のパラドックス」として、様々な形でその類型を生み出しています。ちなみに、この「クレタ人のパラドックス」に深入りしすぎて夜も眠れなくなり、自殺してしまった哲学者がいるそうです。面白さだけで寸止めしておけばよかったのに。
  
前述の「論理的に正しい事」と「数学的に正しい事」を「正しい」ではなく「成り立つ」と置き換えれば、その典型が「アキレスと亀」です。話を簡単にすれば、亀の後方からスタートしたアキレスが亀と競争します。アキレスがもと亀の居た場所に到達した時、亀は少なくとももう少しは先に行っている。で、またアキレスが亀の元いた場所に追いついた時、亀は多少なりとも先に進んでいる。故に、アキレスは永遠に亀には追いつけない、という話です。これを「論理」で覆すのはけっこう大変です。が、「数学」でいけば、アキレスと亀とを結ぶ線の上に「到達点」という点を置くとすれば、それは直線状に「無限」に存在します。これは、一本の線を折っていけば「無限」にその中心は存在する、という考えと同じです。アキレスは無限の点の集合の上を移動する訳です。しかし、これを位相幾何学的(トポロジー)に考えれば、線と点は位相的に「同じ」であり、「有限」であると言う事になります。故に、有限の距離(ゴール)までの到達時間をそれぞれに割り出せば、ハイ、亀はアッという間にアキレスに追い越されます。
 
とはいえ、「論理」と「数学」は不可分であり、思考に置いては双子のようなものと考えています。例えば「トートロジー(同義語反復)」ですが、これは「AはAである」と同じことを反復することで、例えば「戦争のない社会を作るためには、戦争のない社会を作らなければならない」って感じで、永遠に続きます。つまり、要素となる命題の真偽がどうであれ、真であるという論理になってしまいます。さあ、ここで文化系の脳みそは自由に遊び始めます。数学に公理というものがありますが、例えば「二つの点が与えられた時、その二つの点を通る直線が描ける(ユークリッド幾何学)」が公理で、その公理によって証明されたものが定理。つまり、公理は証明不可能であり、数学はそれを「無矛盾」なものである事を前提にして成立します。ということは、数学自体は無矛盾と言う事になりますが、ここでゲーデルの登場です。「公理が無矛盾であり数学が無矛盾であるとすれば、数学それ自体は自己の無矛盾性を証明できない」だそうです。

この言葉に出会った時、意味は俄かに分からずとも、頭の中で何かが弾けましたね。そもそも公理なるものはその時代に証明できないものでしたから、確かパスカルだったと思いますが、数学の出発点をそこに求めようと提唱した訳です。ハイ、もう何が言いたいか賢明な方はお分かりだと思います。この公理こそが、ヘタをするとトートロジー的な性格を持っているとすれば、どうなるでしょうか。そして、「AはAである」がもし鉄板でないとしたら。つまり、要素である命題の真偽によっては真でないとしたら。数学の土台である公理はグラ付き始めます。事実、ニュートン力学では成立したものが、量子の世界では成立しません。成立どころか、別の世界になってしまいます。「何もない所に何かが突然存在する」「そこにあったものが消滅する」。話が長くなりますからストップしますけど、ぜひ、「俺は文化系だから」などと言わないで、改めて数学の世界で遊んでください。脳が泡立ってくるほど面白いですよ。
    
最後に(比較的)真面目な話を。二桁以上の数字の位をひっくり返したものをお互いに引き算すると必ず9の倍数になる(一桁には9がありますが一つしかないし、ひっくり返せないので除外)、というのはご存知ですか(知っている人は知っている)。例えば91から19を引くと72。9×8の数字で9の倍数です。何故でしょう?答えは…。考えてみてください。簡単な数式で解けます。私、これを言われた時、意地になって解きましたが、実は簡単な事でした。パズルみたいなものです。ヒントは括った式の外に9の数字が出てくる事。誰の言葉かは忘れましたが、例えば「相対性理論」に関する本を読むとき「小説を読むように気軽に読んでください」だそうです。まさに…。

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