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科学・テクノロジー その7「零戦… 悲しく美しい 奇跡のテクノロジー」


本 零戦。呼び名としてはやはり「ゼロ戦」です。その名を聞く時、月並みな表現ですが「悲しく美しい」という形容が思い浮かびます。それだけのストーリーなら、歴史の編に書くべきでしょう。しかし、ゼロ戦という驚異的な機械の事ですからこの編です。私は決して戦争を美化したり、ましてや賛美するつもりはありませんが、悲しい事に、歴史そのもののエンジンが戦争である事も否めません…。歴史好きにとっての最大のジレンマは、まさにその歴史自体が「戦争の歴史」であるといっても過言ではない事です。戦争の度に歴史は転換し、様々な技術が飛躍に進歩し、様々な価値観を生み出していく。

確かにその結果として、民主主義なるものが広がり、「人の命」の価値は上がって行きました。しかしながら、「得るものがあれば、失うものがある」というのが物事の大原則だと考えていますので、我々日本人は今、何を得て、いったい何を失ったのか、ということを思うに、どうしても「ゼロ戦」が浮かんできます(戦艦大和も同様なのですが…)。日本人はあのゼロ戦を生み出したテクノロジー(=奇跡的な人の技)を、敗戦の代償として全て失ってしまったのでしょうか。確かに戦争の道具ではあったにしても、あれほどに美しい機体を…。ちなみに、ゼロ戦の名前の由来は、採用年次西暦1940年が皇紀2600年にあたり、その下二桁を軍用機の名称に冠する規定になっていたためだそうです。軍刀もそうですね。九四式とか九八式とか。
    
第二次大戦の戦闘機で名機と呼ばれるものは各国で生まれています。ドイツのメッサーシュミット、イギリスのスピットファイア、アメリカのマスタング…。それぞれが一時期、最強の名のもとに大空を飛び回りましたが、優劣はともかくとして、それら欧米の戦闘機は強靭な機体と高性能なエンジンで、まさに大気を引き裂いて飛んでいるようなイメージが強いのです。それに比べて(身贔屓と言われようが)、アジアの地で作り出された戦闘機、ゼロ戦は大気の中にフワリと浮かび、まさに「金属の紙飛行機」のようなイメージなのです。紙飛行機というのは「脆弱」という意味ではありません。どこまでも、空気を捉えて飛んで行くイメージです。見ているだけで大気中の「揚力」というものを感じてしまいます。確かゼロ戦の機体は、靖国神社境内に設けられた遊就館と、アメリカのカリフォルニアに個人所有で残っていたと思います(他にも各地に点在しているようですが、完全な機体かどうかは分かりません)。CATVの番組でそのゼロ戦が今でも飛んでいる姿を放送していました。それを見て、あの「動力さえも感じさせない」優美な飛行に、改めてゼロ戦の持つ、他の戦闘機にはないテクノロジーを感じました。繰り返しますが、戦争の道具である戦闘機に美しさを感じる「倒錯」は十分承知の上です。そこには人の血が大量に流れていることも分かっています。
    
ゼロ戦のテクノロジーだけを言えば、超々ジュラルミン、引き込み式主脚(尾輪も)、定速回転プロペラ、枕頭鋲、徹底的な構造的軽量化、空気力学的に洗練された機体デザイン、多重弁の気化器等々…。それらはいずれも「技術の陳腐化」原則で、いずれは一般的なものとなって行きますが、開発当時の帝国海軍の要求性能はとんでもないレベルで、端的に言ってみれば「世界中のどの戦闘機と戦っても必ず勝てる」事を要求しているようなものだと思います。中島飛行機は辞退し、三菱重工の、宮崎駿のアニメ映画で知られた天才技師、堀越二郎をもってしても「ない物ねだり」と言わせしめた要求だったようです。しかし、彼はそれを作り上げました。

私は航空技師ではありませんので、航空力学など詳しいことは当然分かりませんが、先の、カリフォルニアに残っている機体についての解説を見て、贅肉を削ぎ落とし、極限まで鍛え上げ、その打撃力の強さで骨折さえしてしまうようなストイックで芸術的な「ボクサー」の肉体を思い浮かべました。よく、戦闘機の翼に腰かけているシーンを昔の写真なんかで見ますが、ゼロ戦の主翼には「搭乗のために足を載せてもいい」箇所が、一箇所しかありません。操縦室に上がる位置だけです。そこまでは、引き込み式のバーを引き出して、それに足を掛け操縦室の下まで行きます。手のかかる枕頭鋲で徹底して機体の空気抵抗を下げ、軽量化を図るためです。そのため、ゼロ戦の機体は「モノコック」構造となっています。全ては、飛行のため。欧州の航空史家に言わせれば「こんなややこしい飛行機…」だそうです。
  
ゼロ戦のデビューは中国の重慶辺りだったと記憶していますが、確か15機が中国軍の27機と空中戦を行い、完勝だったようです。それ以来、太平洋戦争の緒戦までは無敵の戦闘機であり、アメリカ軍が「ゼロ戦とのドッグファイト」を禁止し、「ゼロ戦が現れたら逃げるように」指示したそうです。驚異的な運動能力を相手に、どの戦闘機も太刀打ちできなかったようです。しかし、ゼロ戦のいくつかある弱点、下降能力の低さから、敵機が下に逃げると追いつけません。これが当時のゼロ戦対策です。やがて、アメリカに空の重戦車マスタングと空の巡洋艦B-29が登場します。前述したとおり「技術はやがて陳腐化」します。既に日本には物資の不足(アメリカと比べれば元から)で、更なる対抗技術は生まれてきません。紫電改もベースはゼロ戦です。ゼロ戦を大気中で手足のように操った優秀なパイロットたちも消耗戦の中で空に散って行きます。ちなみに、大戦初頭の日本のパイロットたちの練度は世界トップクラスであったようです。
   
手元に、宮崎駿が語る「零戦設計者の夢」という記事(朝日新聞2013年7月20日朝刊)の切り抜きがあります。氏の「風立ちぬ」の劇場公開に合わせてのインタビューで、その映画の主人公が「零戦設計者、堀越二郎」です。宮崎駿はその記事の中で「僕自身を含め、日本のある時期に育った少年たちが先の戦争に対して持つ複雑なコンプレックスの集合体。そのシンボルが零戦です」と述べられています。私はそこに戦艦大和も加えたいのですが…。戦争には負けたけど、それだけじゃなかった! 世界に誇れる、奇跡的な技術を我々は持っていた。それはどうにも心の中で整理しきれない感情の複合体、まさにコンプレックスです。

ちなみに、私は戦争を体験はしていませんが、父親は戦争に行っています。私自身に「敗戦」というコンプレックスはありません。しかし、あの奇跡的な飛行機、ゼロ戦を作り上げたこの国の「人間臭い技術」に誇りを感じているのは事実です。戦争は唾棄すべき人類最大の暴力です。しかし、その中で生まれたものを、そのすべてが否定されるべきとは思っていません。ましてや、敗戦感情を癒すための拠り所など、私個人には必要ありません。無責任でしょうか…? 確かにゼロ戦は戦争の中で生まれました。しかし、人が「物を作る技」を持っているのは事実であり、それが究極にまで洗練されて姿を現した時、それを「美しい」と思う気持ちに何らかの矛盾があるでしょうか?そもそも戦争責任などというものを、その時の個人に、国家に問えるのでしょうか? それは全人類の大きな欠陥です。戦争は歴史の中で不可避に起きています。もし、その責任を問えるとしたら、全く戦争などが無くなった、遥か未来の人たちでしょう(余談)。

ゼロ戦は間違いなく、人の技が作り上げた奇跡の産物です。そして、この国にはそれを成し遂げる、底堅い「物作り」の遺伝子が流れていると思います。敗戦後の経済的大繁栄は経験しましたが、どうにも「物作り」に対する美意識、誠実さが、(当初はあったと思いますけど)そのテクノロジーから抜けている(抜けてきている)ような気がします。完成した技術は「美しいもの」だと思います。それを失って「効率、ビジネス」から生まれるものにはそれが欠けているような…。ゼロ戦の奇跡は、そのテクノロジーと美しさが一致したところに成り立っていると思います。

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