テキトー雑学堂 タイトルバナー

歴史・地理 その10「鎌倉新仏教 日本で起こった仏教の突然変異」


本 よく「日本人は無神論者」、「信仰(神)を持っていない」という言葉を耳にすることがあります。確かに身近な知人・友人でも特定の宗教に属しているという意識を持っている者はあまりいません。果たして、日本人は「無宗教」な民族なのでしょうか? 全くそうは思いません。私は、突き詰めれば宗教とは「死生観」であると思っています。つまり、「生命哲学」であると。あらゆる宗教の起源には「人が生きている事、その命の在り処」を知らせる「表現・言葉」があると考えています。それは、人が進化して、万物の霊長という言葉が妥当かどうかは分かりませんが、知能(知識を蓄え、理解する能力)を持ち、知性(考える力、想像・創造する力)を持つに至った時、あらゆる生物の中で初めて「死」というものを発見し、それをどう扱ってよいものやら戸惑い始めた時に「葬儀」という死者を弔うという形式が生まれ、それが更には「死んでもいないのに、死について考え始め、不安、怯えを感じるまでに進化した」時、その対極にある「生」も発見し、この「現実であると同時に、観念の最たる対象である死生」をその知性でもって克服しようとした時に「神」が姿を現し、それが次第に体系だって「複数のものが共有できるもの(神の姿、言葉、経典、信仰の為の施設等)」が生まれた時、それが宗教となった、という考えです。何教信者と呼ばれようとも、人が持つ「生物的な進化」の果てに生まれた「死生観」を持たない民族はいないと思っています。日本人は、宗教的な歴史的にやや特殊な経緯をもった民族であるため、その社会の中に「神」が顕在化しにくいのであると考えています。
    
大雑把に、その日本の、歴史的にやや特殊な経緯を考えてみたいと思います。まず、比較として「キリスト教」を考えてみますが、これはその前提にユダヤ教がありましたから、既に多神教から一神教へと変貌していた中で、その時代の支配的な民族の宗教は依然、多神教(古代ローマ)でした。多神教を持つ権力者側から見れば一神教は「支配の拠り所」に対する脅威です。必然的に迫害の対象となり、新たな「神」は「虐げられた者たちの神」となって、その社会的弱者を「苦しみから救う」教義を持ちます。私はキリスト教の場合はそれが「愛」という概念だと思います。おそらく、「愛」「慈しみ」という概念はキリスト教が明確にしたのではないかと考えています。ユダヤ教にとっての神と人との接点は「契約」です。現在では世界三大宗教のキリスト教ですが、私はその中で一番大きな集団は「マリア信仰」ではないかと考えています。「愛」と「慈しみ」という概念を、まさに聖母として具現化していますから。どんなに苦しい生き方を強いられている人に対しても「聖母マリア&キリスト」が「いつでも私はあなたと共にあり、あなたを導き、慈しみます」と伝えれば、その人は「神」とともに生き、「神」とともに死ぬ(天に召される、神の元に行く)といった死生観を持ちます。

やがてこの教えはそれまでの支配者の多神教世界を崩し(キリスト教信徒の拡大)、むしろ支配者自ら(コンスタンチヌス帝)がこのキリスト教の教えを受け入れて行きます。それは「支配の拠り所」を変えたという事ですけど。そして、支配者の「権力」と、宗教という「権威」が手を結びます。一般民衆は権力に対抗する時、その権威を引き剥がそうとすることで反旗を上げる事ができます。故に、常に顕在化した「神」を民衆側は持つ必要があったと考えます。それは信仰を顕示させるための宗教行為です(拝礼、経典の所有等)。
    
日本の場合は少々違います。日本も古代は多神教(神道)ですが、その大きな特徴は「人文・思想その11」でも書きましたけど、「最高神が人格神(性別すらない)」ではなかったという点です。その理由は、歴史という悠久に委ねなければなりませんので、ここでは省きますが、その神と人との接点を表す言葉として、宮本武蔵が遺した「神仏は尊べど、これを頼まず」という言葉が最も適切であると思います。日本の神々は最初から権力とは結びつかず、また権力と民衆が「対等に共有」できる形を持っていたと考えます。そこへ大陸から「仏教」が入ってきますが、その位置づけは「モダンなインテリジェンス」であり、国家として発展途上にあった日本(ヤマト)としては「鎮護国家」の象徴として受け入れられた、「政治的目的」が大きなものであったと考えます。

東大寺盧舎那仏像の建立は「国家建設」の為のシンボルであったと考えています。仏教は「支配のため」の権力とはなっていません。「権威」ではあっても、この日本では「権力と権威」が手を握る事が無かったと言ってよいと思います(国家神道がただ一度の、意図せぬ過ちでしょう)。では、その「死生観」はどこにあったのか? それはまさに「無常観」という形で既に根付いていたと考えます。四季の移ろいが鮮明な国土ゆえでしょうか。命の在り処も、フェードイン&フェードアウトといった形で、自然に浸透していたと思えます。ですから、具体的な「神」が論争の対象となる事はなく、「本地垂迹説(神道の神とは仏の日本での姿)」「神仏習合」などの「文化的離れ業」が可能であったのだと考えます。仏教を神道に合わせて多神教的な世界に作り直しています。
     
その流れの中で、奈良時代の「南都六宗」、平安時代の「真言宗・天台宗」といった、都のインテリジェンスとでもいった観の強いそれまでの宗教に対して、「宗教的行為」を革命的に「簡略化」し、現代につながる日本の仏教の源が鎌倉期に、一気にとでも言いたくなるような勢いで現れます。現れるというより、不遜な言い方ですが「突然変異」を起こします。それが「鎌倉新仏教」。「浄土宗(法然)」「浄土真宗(親鸞)」「時宗(一遍)」「日蓮宗(日蓮)」「臨済宗(栄西)」「曹洞宗(道元)」。何が革命的かといえば、強引覚悟で述べるなら、仏教としての「宗教行為」を「念仏」「題目」「禅」という、修行も鍛錬も必要のないほどに簡略化し、一般民衆の生活の中に仏教を染み込ませた、という点です。時宗の「踊念仏」はその形を今には残していませんが、その他の「念仏・題目・禅」は、「唱える事」と「座禅(只管打座)」といった、これ以上分解のしようが無い位に煮詰めて集約化しています。これは複雑化させることよりも遥かに膨大なエネルギーを要します。

今でも日本人にとっては「唱える事(念じる)」「静かに考える」事は「気に留める必要も無い位」の宗教行為として生活に馴染んでいると考えます。これにより、日本は「宗教戦争(一向一揆は宗教戦争ではない)」という果てのない殺戮を、その歴史上、(ヨーロッパに比べれば殆ど)経験せずに済んだ訳です。論争の必要がありませんから。簡略化された行為により「宗教的存在」になり得るのです。ですから、キリスト教なりイスラム教の方から見たら、日本は「無宗教な国」となるのでしょうね。

日本人にとっての宗教と宗教的行為は「日常生活と変わらぬ形」で溶け込んでいます。ですから、「クリスマス(キリスト教)→大晦日(仏教)→元旦(神道)」といった「短期集中的連続改宗」が可能なのです。宗教のベースが既に日常生活の中にありますから、外的なものに全く頓着しません。信心深い海外の人たちから見たら確かに奇異に映るでしょうねえ。タイトルに「突然変異」と書きましたが、この国はよくやります。「封建制→中央集権」「全体主義→民主主義」。ウルトラD難度です。日本人が「宗教に悩まなくて良いほど宗教的」であるのは、神道という独特のアニミズムをベースとした「鎌倉新仏教」を持っているためであると考えます。

歴史・地理 目次へ



【商品検索】Powered by Amazon

↑「すべて表示」をクリックするとAmazon.co.jpの検索結果一覧に移動します。

■これからギターを始められる方のご参考にでもなれば。
木の音 バナー
「あれこれブログ風」サイト
「不思議」「怖い」「変」を普通に考える。 バナー
「花を楽しむ」サイト
花を飾る バナー


■サイトポリシー ■プロフィール
■お問い合わせ
ページトップへ戻る

Design by Megapx / Template by s-hoshino.com
Copyright(C) Ureagnak All Rights Reserved.