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歴史・地理 その18「ピカレスク・ロマン 中世日本の悪党 楠木正成」


本 いきなり私事で恐縮ですが、私は仕事でその時々に応じたスローガンを立てます。例えば、フリーランスの身ですから仕事が追いつかないくらいに来た時には「馬車馬」、逆に仕事が来ない時は「独楽鼠(こまねずみ:動き回れ)」、で、かなり政治的な駆け引きが必要な時は「悪党」、ってな感じで。けっこう、お呪いのようにそれを唱えると局面が打開出来たりもします。

それは置いといて、この「悪党」ですが、「悪漢・悪い奴」の意味ではございません。中世日本を跋扈した歴史用語の「悪党」で、その大スターはあの「楠木正成」です。12世紀に確立した荘園公領制の世で、荘園領主(本所)を悩ませた、荘園への侵入者・侵略者です。要は山賊・海賊なのですが、「悪党」というのは本所側からの呼び名で、彼らからすれば誠に困った盗賊集団ですけど、その集団に、時として強いリーダーシップを持った人物が現れ、義侠心に厚く、多くの手下を引き連れて「天下御免」の自由人集団が現れます。相手が「権力」ですから、梁山泊のように「義賊(ぎぞく)」ともいえます。権力から無法者扱いされようが、一般民衆からは喝采を浴びる事もあるのです。私も政治的に立ち回る事が必要になった時、この「悪党」に倣い、したたかに立ち回ろうと思ったのです。

しかし、生来、正直者で嘘のつけない私は(ホンマか?)、世の中の理不尽・不条理には太刀打ちできませんでした(それで?)。「悪党」にはなれませんでしたが(ホンマにホンマか?)、この「悪党たち」には憧れます。何にも頼まず、自らの力で生きていく…。フリーランスの鏡、生き方のお手本です。
     
「侠客(きょうかく)」という言葉があります。「ヤクザ」という言葉で片付けられる事もありますが、「強きを挫き、弱気を助ける」漢気(おとこぎ)の代名詞です。何時の世も社会には、時の権力が描いた「正義」があり、それに反するものは「悪人」です。しかし、「正義」の在り処などは誠に曖昧で、観念的なものが多い。しかし、「悪党」は行動で時の権力(=正義)に立ち向かい、社会の中ではじき出されている者たちを束ねて一大勢力となります。人が山賊・海賊にどこか憧れてしまうのは、そこに「ピカレスク(Picaresque)・ロマン」、つまり悪漢小説の痛快さを覚えるからでしょう。言ってみれば「時の権力」という巨悪に立ち向かう悪漢が「正義の味方」として立ち回る、「小説的な面白さ」です。

このピカレスクは小説のジャンルとして「ピカレスク小説、悪漢小説」と呼ばれていますが、元は15~16世紀のスペインで流行したようです。その時代のスペインは大航海時代の繁栄の中にあり、国家権力は途方も無い位強力です。しかしそれは繁栄と引き換えに多くの社会的矛盾(富の独占、格差など)を生み出し、そこにニヒル(冷たく醒めた)な目を向け、巨悪に立ち向かう…。そして民衆の喝采を受けるのです。日本のピカレスクは西洋と違い、宗教的・文化的な背景は希薄ですが、それが逆に日本独自の「侠客」を生み出したのでしょう。現代では「高倉健」「菅原文太」が演じるヤクザがその最たるものです(個人的好み)。ダンディズムにも通じるその生き方にはまず男が痺れました。女性も、いわゆる「ワル」や「不良」に惹かれる所があるといいますが、要は「強い相手と闘う男の覚悟・姿」という事でしょう。
     
話を本来の「悪党」に戻します。歴史的な流れの中で語るより、人物として語る方が分かりやすいし、面白いと思います。先にも書きましたが、そのトップスターは「楠木正成」です。他にも多くの「悪党」が存在しますが、正成ほどにその名を馳せた人物はいないでしょう。悪党を山賊・海賊と書きましたが、楠木一族は、奈良県と大阪府の境にある金剛山一帯を根拠として、地元特産の水銀により経済的には独立していた「新興地方豪族」であったようです。が、その経済的基盤があれば、その利権を廻り、幕府側と対立します。幕府打倒を目指す後醍醐天皇が京都で挙兵しますが、衰えたとはいえ鎌倉幕府軍の軍事力は強大で、倒幕勢力に加わる者は少なかったようです。この時に駆けつけた数少ない武将の中に楠木正成の姿がありました。挙兵といっても正成の兵は500。これに対して幕府の差し向けた軍は数万。まあ、とても勝ち目はないと思えます。しかし、それが勝ってしまうのです。幕府軍は数万とはいえ、古式ゆかしい一騎打ちを基本とします。武士の名誉として。ところが、楠木正成軍はそういったものにはこだわらない地侍達です。山城から石を落とし、木を落とし、藁人形でカモフラージュするわ、熱湯をかけるわで幕府軍を翻弄します。幕府軍は死傷者多数でついに力攻めを諦め、兵糧攻めに入ります。さすがに大軍の包囲網で正成軍は兵糧が尽き始めます。

その時、京都で後醍醐天皇が捉えられたとの報が入り、正成は城に火を掛けます。それに対して、幕府軍は「敵とはいえ、立派な武将であった」と楠木正成を褒め称えたそうです。その時代の武将の常識では、負けた時は自刃するのが当たり前でしたが、正成はなんと、城を焼いたドサクサで逃れていたのです。それまでの武将の常識など屁のカッパで、ペロリと舌を出して、次の戦いの準備に向けて動き出していたのです。ここが、まさに「悪党」の悪党たる由縁でしょう。次の戦いでは、幕府軍に抵抗せず、城を明け渡しますが、毎晩毎晩、その城の周りに数千の篝火を焚いて、幕府軍を「正成はいつ攻めてくるのか…」という心理戦で追い詰め、ついには自軍の兵を一人も失う事無く幕府軍を撤退させます。この篝火の正体は、近隣の農民が協力したものです。楠木正成は、おそらく民衆に人気があったのでしょう。
    
楠木正成の戦い方は、のちの真田昌幸・幸村父子の戦い方に似ています。合理的な集団戦法、ゲリラ戦、稀代の戦術家。それよりも二世紀半も前に、策略を廻らせ、武芸に勝る関東武士団を翻弄したのです。今度こそ正成を斃そうと幕府が送り込んだ8万に近い大軍を、正成は千人の兵力で破った事があります。幕府軍は正成の策略を十分に知っているので、いきなり持久戦の兵糧攻めに入りました。しかし、大軍であることが災いして、包囲している幕府軍の方の兵糧が先に尽きてしまうのです。正成軍は農民の協力で山の抜け道から兵糧を運び込み、ピンピンしていました。また、その抜け道を利用して、幕府の補給部隊を叩きます。これにより、正成の名声は世に轟き、「幕府軍、何するものぞ!」という機運が各地で高まり、「建武の親政」へと向かいますが、最期は足利尊氏に討たれてしまいます。尊氏は正成の賢才武略を惜しみ、敵将ながら、丁重にその首を故郷の親族に送ったという事です。

この後がややこしいのですが、尊氏が北朝を正統とする中で、その北朝に逆らったという事で楠木正成は永く「逆賊」の汚名を着せられます。しかし、江戸時代以降、後醍醐天皇のために忠誠を尽くした武将という事で「忠臣中の忠臣」として、新田義貞と並んで讃えられます。これは「忠誠心」を道徳の中心に据えるための国策でしょうけど…。逆に足利尊氏が「逆賊」となります。しかし、楠木正成は「悪党」なのです。「忠臣」などというのは似合いません。己の思うままに生き、自分より大きな力とその知略を尽くして戦い、民衆からは愛された。まさに「ピカレスク・ロマン」じゃないですか。

余談ですが、昔、「悪党」というタイトルの本を買って読んだ記憶がありますが、作者もストーリーも忘れてしまいました。その本はまだ本棚のどこかにあるかもしれませんが、私の本棚は横に縦に「本を詰め込んでいる」状態で、多分、探しても出てくるまでには相当な時間がかかります。覚えているのは冒頭のシーンだけで、やはり12世紀の中世で「自分は何者なのか…? 何のために戦うのか…?」と悩み、「悪党」として生きていく道を選ぶという出だしの話です。自由奔放といえばそうですけど、この「悪党」の存在は「歴史・時代の節目」に、何にも媚びず、自らの価値観で生きることを選択した人々がいたという証でしょう。私もなりたや、悪党に♪

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