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歴史・地理 その19「歴史が勝手に作り上げる人物像 弓削道鏡」


本 「弓削道鏡(ゆげのどうきょう)」は戦前まで「平将門」や「足利尊氏」と並び、天皇家を脅かした日本三大悪人とされていたそうです。平将門、足利尊氏はその後の研究で再評価されていますが、弓削道鏡だけはいまだに「怪僧」「悪僧」のイメージから抜け出せずにいます。その理由としては、とにかく歴史的な史料の圧倒的な不足。まず、その道鏡ですが、出自は河内国の弓削氏で、生年は700年位であるようですが、それさえ確たるものもありません。

弓削氏は河内国を本拠としていましたが、元は物部氏(もののべし)の一族とされています。全く別の氏族であるとする説もありますが、物部氏は大伴氏と並ぶ名門でともに元々は兵器の製造・管理を担っていた氏族です。その中に「弓削」という名前の氏族があっても不自然ではないと思います。例えば秦氏も名門で大陸から帰化した渡来系の氏族で、一説にはあの「秦の始皇帝」の末裔であるといわれますが、真偽の程は定かではありません。しかし、当時の日本はその技術の多くを渡来人より享受してしますので、秦氏は「技術者集団」として力を持っていたのでないかと推察します。秦氏の「秦(ハタ)」は始皇帝の「秦(Qin)」ではなく、「機(ハタ:織物などの技術)」から来ているのではないかと考えます。

ですから、同じように武器の製作を担当する物部氏の中に「弓製作(弓削)」を担当する技術者集団がいても不自然ではないでしょう。で、それが氏族の名前になったとシンプルに考えられます。物部氏は親衛隊的な軍事力を持つ大伴氏とは異なり、国軍的な軍事力を持っていたようですから、それは同時に「物資調達・管理」の力も持っていたと推察できます。ですから「物部」なのでしょう。六世紀に仏教を巡って蘇我氏と対立して起きた「物部守谷(もりや)の変(丁未の乱:ていびのらん)」でも敗れはしたものの、あわやという所まで戦える軍事力を持っていたようです。弓削氏はその一族ですから、物部氏が衰微したとはいえ、中央に近い所にいた氏族であったと考えられます。
    
その弓削氏から出たのが道鏡。若いころから法相宗(ほっそうしゅう)の高僧に師事し、梵語(サンスクリット語)にも堪能であったようですから、少なからず優秀な僧だったのでしょう。出自もそこそこで僧としての見識も高ければ、中央で重用されたとしても何の不思議もありません。特に、孝謙上皇(女性、後に再び天皇に即位して称徳天皇:重祚、ちょうそ)の病を(秘法で?)快癒させた事により、その寵を受けることとなり、その後、小僧都、太政大臣禅師、法王と位人臣を極めます。また、その弟や一族も中央での高い地位に上ります。この辺り、平清盛率いる平氏に似ていますが、そうなると当然、他の氏族との軋轢が生まれてくる筈です。764年には藤原仲麻呂の乱(恵美押勝の乱)で、孝謙上皇、道鏡と対立していた太政大臣の仲麻呂が吉備真備(きびのまきび)に誅され、政敵のいなくなった法王道鏡は仏教の理念に基づく政策を推進していきます(多分)。
    
ここまでの話では、道鏡のどこが大悪人であるのか分かりません。道鏡を歴史上の大悪人にするのは桓武天皇の治世で編纂された「続日本紀(しょくにほんぎ)」に書かれた事件の記述です。その事件が有名な「宇佐八幡信託事件(道鏡事件)」です。これは、豊前国宇佐八幡宮から「道鏡を天皇にすれば天下は太平になる」との神託があり、それを勅使として参向した和気清麻呂(わけのきよまろ)に虚偽の神託であると見破られ(?)、道鏡が皇位に就く事はありませんでしたが、称徳天皇が病死した後、下野国(しもつけのくに)に下向して、その地で没しました。これは、あたかも史実であるように伝えられていますが、個人的にはあまりにも「物語」臭いこの話をリアルなものとは感じられませんでした。陰謀に神託を使うなど、あまりにも稚拙な手法ですし、その様な偽の神託を無理やり出させた事が暴露されたなら、道鏡はその場で処刑されている筈です。
   
しかし、かつての権勢を失ったとはいえ、「還俗(げんぞく:僧侶の身分から一般人に戻される)」もしていませんし、地方で余生を全うしています。しかも、道鏡の陰謀を防いだ和気清麻呂は大功労者であるはずなのに、特に目立った褒章があった様子も無く、昇進もしていません。これは、あまりにも不自然です。最近では、大学教授の発表した「道鏡事件は捏造である」との見方が一般化していると思います。その説によれば、称徳天皇の崩御により、天武天皇系の皇統が断絶し、桓武天皇が自らの出自である天智天皇系の皇統の正統性を主張するために、称徳天皇を貶めるため、道鏡の話を捏造した、という可能性が高いそうです。私はその説を聞いて得心したような気分になりました。歴史は後の権力者によって創られ、往々にしてその邪魔者は貶められ、不名誉な世界に叩き込まれます。その典型が弓削道鏡。彼はおそらく優秀な僧侶(当時のインテリゲンチャ)であり、孝謙上皇の良きパートナーであったのではないでしょうか。そう考える方が合理的です。まあ、当時の藤原氏からも相当にやっかまれていたでしょうけど。
   
で、それだけで終われないのが道鏡です。このような話にはオヒレハヒレが付くもので、有名なのは「孝謙上皇との密通」と「道鏡の巨根」伝説です。これには確たる資料も証拠もありません。しかし、現代のゴシップ・メディアと同じような勘繰りは昔も同じなのでしょう。そして、江戸時代には「道鏡が 座ると膝が 三つでき」という川柳が詠まれたとか。「ドウキョウオサムシ」という名の昆虫(甲虫類)がいるそうですけど、その交接器が非常に大きい事が名前の由来とか…。これは創り話であると思います。下品な言い方ですけど、下半身で歴史を創った例は国内外に在りますが、この道鏡の場合は殆ど茶化しのような形で残っていますから。

余談ですが、故半村良の作品に「巨根伝説」というのがあります。ハイ、道鏡にまつわる話です。ご興味のある方はお読みください。面白いですけど、上・下巻の上の方に道鏡の話は殆ど出てきません。ネタバレにならぬよう、もう一つだけ。作品の舞台は現代です。しかし、日本三大悪人とまで呼ばれる者が、未だに下ネタでその名を残しているとは、道鏡も可哀そう…。歴史上の人物像はその殆ど(と言ってもいいのかも)後世に創られたものです。とはいえ、道鏡を再評価しようにも、冒頭で述べたように圧倒的に史料不足です。道鏡の名誉回復はなかなか難しそうです。自分の名前が千年以上も「下半身ネタ」で残るなんて、どんな気持ちでしょうね、って言っても、聞く事はできませんけど…。

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