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歴史・地理 その2「皮肉な事実 戦いの時代に作られる歴史と秩序」


本 私個人としては断固として「反戦主義」です。が、歴史を眺めるとこの戦争が人の世に新たな思想と秩序を生み出しているのは皮肉な事に事実です。テクノロジーなどはまさに戦争の申し子。戦争を通して飛躍的に進歩します。大きな戦いの時代といえば、対象として中国の「春秋戦国時代」「三国志」、日本の応仁の乱以後の「戦国時代」、第一次世界大戦、第二次世界大戦でしょうが、これらはどれも不謹慎ながら「人を惹きつけて止まない魅力」を持っている時代です。そこに数多の大悲劇がある事は皆が承知している事なのですが。今回は中国の「春秋戦国時代」を眺めてみたいと思います。いずれ、それぞれの戦いの時代について書いてみたいと思いますが。余談ですが、ヨーロッパは年がら年中戦争している地域なので、どこを切り出してよいか分かりません。で、世界をリードする近代文明を生み出した、と。近代国家とは「行った戦争の量」で決まるのでしょう。

春秋戦国時代ですが、如何せん、紀元前の事ですから「絶対正確無比」という訳にはいかないのでしょうが、そこは中国。文字(漢字)の国です。紀元前ではあっても、誠に文字の記録が多く残っている訳です。そして多くの物語となって二千年以上の時代を記憶として生き延びています。春秋戦国時代という背景をバックリと教科書的に言えば、古代王朝周の力が衰え、秦が中国を統一する紀元前八世紀から三世紀位までの時代で、周はまだ完全に滅亡してはいないので東周時代とも呼ばれるそうです。で、春秋ですが四書五経(儒教の経典)の紀元前五・四世紀に関する「春秋」に記されていることが語源のようです。私は「春秋」ですから「年がら年中」の意味かと思っていました。そして、その後の、秦の統一までが戦国時代。もう、それまでかろうじて残っていた秩序が崩壊して、グチャグチャな時代になったのでしょう。この時代は多くの「逸材」と呼ぶべき奇跡の人材が輩出しています。往々にして歴史に名を残すのは「乱世の雄」です。まあ、ド派手な時代だからでしょうね。中国の春秋戦国時代「諸子百家」の中で特に惹きつけられるのは、定番の孔子、孫子、韓非子、そして孟子、荀子、もう一人が墨子。ちなみに、「子」とは先生の意で、それぞれに名前を持っていますが、とりあえずそのままで行きます。
  
ではまず孔子から…、と行けばいいのでしょうが、私が一番目を惹かれるのは孫子です。一般に孫子といった場合は呉の孫武を指しますが、孫子というと「孫先生」および、あの有名な「孫子の兵法」の事を指すようです。ただ、「孫子の兵法」を書いたのが孫武であるというのが鉄板な定説な訳ではなく、異説もあるようです。とりあえずそれは置いといて、何故、孫子に目が行くかというと「あの時代にあれだけの近代的な考え方ができたのは奇跡」だと思っているからです。孫子の兵法とは、ハッキリ言って近代のマーケティングの手法です。マーケティング自体が戦争から生まれたノウハウの体系ですから、殆ど同じものが二千年以上の昔に「あった」というのは瞠目すべき事実です。戦術面に偏っているようには思いますが。孫武は、それまで「戦いは時の運」とされていたものを分析し、「負けた理由」「勝った理由」がそこにある事を見出し、それを体系付け、また、自らが実践して練り上げて行き、それを「孫子の兵法」に結晶させました。この「孫子の兵法」は現代にも通じ、未だに知識層を惹き付けています。
    
孫子がどう考えていたかは別にして、もし戦いを可及的速やかに進めて覇業を成し遂げれば、それは悲劇と引き換えに新秩序を素早くもたらす結果になります。これはどの「戦争」でも悲しい事ですけど、事実です。これに対し、孔子はご存知の通り「礼」「仁」「考」といった良くも悪くも「形式」を重んじる思想ですけど、孔子は批判も多く、要は「冠婚葬祭」の儀礼作法ではないか、とも取れますけど、孟子と同じく「上に立つもの、王、国家」が「礼」なり「徳」なりを以って「人の規範」を示せば、人身はそれを見習って収まる、という考え方でしょう。方法は違いますが、皆、新しい時代の秩序を求めての事。目的は同じでしょう。「孫子の兵法」と並んで、この「儒教(孔子の教え)」も二千年の時を生き抜いています。支配者が代わる時に「焚書坑儒」がしばしば起こるのは、これが新しい為政者(支配者)にとっては邪魔であり、そこまでしなければならないくらい孔子の考えは大きな価値観(規範)として浸透していた証拠でしょう。ちなみに焚書坑儒の「坑儒」は儒者を穴に生き埋めにするという意味です。「抗儒」ではありません。
    
韓非子はいわゆる法家で、孔子が「礼」によって国家を収めるのと違い「法」によって収めるというのがその思想。韓非子は秦への就職は叶わなかったようですが、秦には既に李斯という法家がいて、秦が「法」を以ってあれだけの大国を収めた事を考えれば、今も昔も「法」というのが一番成功例の高い、国家を収める手法なのでしょう。実をいうと一番面白くはない思想なのですけど…。ちなみに韓非子の事は多く記録が残っていないようで、一説にはその才を妬まれて李斯に殺されてしまったという事です。
   
「孟子」と「荀子」については単純な所に目が行きます。孟母三遷といった逸話よりも、皆さんご存知の「性善説(孟子)」と「性悪説(荀子)」です。それぞれに論があり、どちらも間違ってはいないと思います。学者ですから根本原理を説きたいのでしょうけど、私は(茶化す訳ではないのですが…)こういった二元的な考えが苦手で、どちらとも言えず「生まれつき、悪い人もいれば良い人もいる」となってしまいます。この二人の思想で特筆すべきは、「人の心性」というものに立ち入った事だと考えます。その時代に心理学が成立していたかどうかはわかりませんが(いないでしょうね)、善や悪を「そもそも人とは」といった、個人の心性として説いたことは、孫子や孔子のようにややマクロではなく、個人を認めたうえでの「教育」の必要性、といったミクロで実践的な考えが本質にあると思います。もっとも、今のような「教育論」でなく、「訓練して、鞭打って教える」に近いものだと思いますけど。
      
そして墨子ですが、実は墨子は「防御、戦争技術」のプロとしての側面しか最初は知らなかったのですが、彼の思想の根本には「兼愛説」と「非攻説」があるそうです。「兼愛」とはすべて人を等しく、同心円のように愛せよ、ということで、無差別にも通じます。故に、孔子が「考」と説くものに序列(親、兄弟、祖父母等)がある事を批判していたようです。「非攻」を唱えながら「戦争技術」に長けていたというのは一見矛盾のようですが、時代背景を考えれば、ガンジーの「非暴力・不服従主義」とは行かない訳ですよね。まあ、ガンジーとて「無抵抗」を提唱はしていませんけど。孫武とて「好戦的」には思えません。戦争というド派手な暴力は、とどのつまり「疲弊」をもたらす、という事を理解していたのでしょう。
   
いずれにしても「乱世」には様々な人間が現れ、あらゆる考えを体系付けて行き、新しい秩序を確立していこうとするのは間違いないです。まさに諸子百家。数多の「先生」が出てきて、幾多もの「学派」が形成される大実験場が生まれてくるのでしょう。戦争の時には…。所で、「中国という国を理解するには道教を学べ」と言いますが、これは老子、荘子ですけど、いずれ書くつもりです。重要な人物を忘れている訳ではありません。ただこの「神仙」的な思想は捉えにくいので、改めて。

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