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歴史・地理 その23「松下村塾 狂の一字による草莽崛起 吉田松陰」


本 いきなり私事で恐縮ですが、私は大学の教育学部出身です。まあ、教師になる気は、大学1年目で無くなりましたけど。理由は、人生色々、ということで。それは置いといて、卒業前には卒業論文なる難行が待っています。みな、自分のテーマを指導してくれる教授のゼミに入りますが、殆どといっていい程(7割以上か)の学生が「松下村塾」をテーマに掲げていた記憶があります。私自身は、当時、松下村塾には興味が無く、もっぱら神秘思想の色濃いルドルフ・シュタイナーやアブラハム・マズローなどが興味の対象でした。一応、歴史好きではあるのですが、その頃の読書傾向はSF一辺倒で、歴史好きではありましたが、幕末云々にはあまり興味を持っていませんでした。

しかし、大学を出て先輩に勧められたある本を読み始めた途端、読書傾向は司馬遼太郎一辺倒。その本とは「竜馬がゆく」です。司馬遼太郎の本はエッセイや対談集を除くと、多分、全て読んでいます。氏の小説は、その時代の人間を、あたかもそこにいるように血肉を通わせて躍動させ、その姿を現してくれます。これは多くの司馬遼太郎ファン共通の想いではないでしょうか(多分…)。氏の言葉に「幕末は清河八郎が幕を開け、坂本龍馬が閉じた」というものがありますが、これに異論はないとしても、明治維新へと向かう日本の空気を一気に揮発させ、その導火線となったのは長州の高杉晋作であると私は思います。そして、日本史では珍しい存在である革命児的存在、高杉晋作の気根を練り上げたのが吉田松陰の松下村塾であるというのが私のイメージとして湧き上がる風景です。高杉晋作を無謀とも思える挙兵に走らせたのは「狂」の一字。そして、草莽崛起(そうもうくっき)。彼が作り上げた奇兵隊がまさにその産物です。
      
吉田松陰は自らを「狂愚」と称し、松下村塾の生徒たちにも「狂いたまえ」と言っていたようです。それが「狂」の一文字ということです。そのまま受け取れば剣呑な言葉ですが、その意味するところは「事を成すにあたって、狂の一文字を心中に忍ばせ、断固たる行動が無ければ何事も成就はしない」ということでしょう。吉田松陰そのものの行動がそうです。藩(長州)の許可を待たずして出国し、脱藩扱いとなったり、外国艦船見物に赴いたり、ロシアの艦船に乗りこもうとしたり、ペリーの再来航の際、密航を訴えたり(拒否されます)、幕府が独断で日米修好通商条約を締結したことを知って激怒し、幕府の重役の暗殺計画を練ったりと、全てを書くのも不要なほどにとにかく時の権力に立てつくようなことばかりします。まさに命がいくらあっても足りないほどの行動力。それらは端から見れば確かに「狂」でしょう。しかし、その信念は一度も曲がることなく、妥協すらしようとしない「愚」で、全ては「目的」のために行った直線行動です。

おそらく、吉田松陰は儒学、国学に通じ、頼山陽の影響もあって、「一貫した皇統に基づく国体」、つまり、中国のように王朝が興亡を繰り返すのではなく、「日本国は長きにわたる筋の通った国家」という意識が強かったのでしょう。という事はその国体の中心には「国家たり得る権威」である「朝廷」の存在が大きかった筈です。そして、それを守る事が日本という国を海外からの侵略から守るという信念も強かったでしょう。であれば、幕府など何するものぞ、です。吉田松陰の行動には陽明学や、近代アメリカのプラグマティズムにも似た「合理性」が感じられます。「行動の伴わぬ知識など、意味もない」と。
    
そして「草莽崛起」ですが「草莽」とは「世に隠れ住む(埋もれている)隠者」の意で、孟子の言葉ですが、「崛起」とは立ち上がる事。何のために? 革命です。松陰は、「草莽」つまり一般大衆がワラワラと行動に及ぶ事でしかこの日本を変え、守る事は出来ないと強く思っていたのでしょう。そこには武士だ公家だといった身分制度も無く、「志(こころざし)」ある者の「狂」のような行動力のみが天下を回転させることができると。吉田松陰が米国密航の失敗により投獄された時に読んだ「かくすれば かくなるものと知りながら やむにやまれぬ 大和魂」という句がありますが、これはそのマンマの意味ですけど、最後の「大和魂」とは、源氏物語で初めて登場する言葉のようですが、つまりは国学の中核をなす「日本人古来の心性」であり、戦前に軍部が勝手な解釈で乱用した事により、国粋主義的な言葉に貶められているといわざるを得ませんが、これは「大和心」であり、「あるがままに、そのまま感じる」という事です。吉田松陰は自らが思い感ずるままに行動したのでしょう。まさに「狂」紙一重の信念が無ければ不可能な事です。
    
ちなみに、吉田松陰が「松下村塾(私塾)」で、身分に関係なく教育を行ったのはわずか2年余りです。そこで、高杉晋作、久坂玄瑞、吉田稔麿、伊藤博文、山縣有朋など数えきれない人材を育成しています(維新前に死んでいる人も多いですが)。木戸孝允(桂小五郎)は塾生ではありませんでしたが、松陰の教えは受けていますし交流もあります。井上馨も塾生ではありませんが、塾生との交わりもあり、行動も共にしていました。つまり、松陰の私塾とその周辺からは明治維新の立役者と維新政府の元勲たちがこれでもかというくらいに輩出しているのです。長州の片田舎にあった私塾から、日本を大きく動かす人材が育ったのです。何故なのでしょうか?

大学時代、多くの同級生がその事を喧々諤々とやっていましたが、その時には興味の無かった私が、今改めて考えてみるとすれば、松陰は「幕府による封土建国制の日本」ではなく、欧米列強にも対抗しうる「近代国家日本」の姿を塾生たちに伝えたのだと思います。しかし、それは当時の日本人にとっては「夢」のような話でしょう。その塾生たちに向かって松陰はこう言ったのでしょう。それを実現するためには「諸君、狂え!」「身分制度なんかクソ喰らえ!」と。それが、「尊王攘夷」の古めかしい「建前」の機運とマッチし、揮発性の高い革命思想として一気に燃え上がったのでしょう。先に述べた通り、それに火を放った導火線は、塾生の高杉晋作だと私は思っています。吉田松陰は時代の巨大な壁に「渾身の一穴」を穿ち、その塾生たちが壁をガラガラと崩していったのでしょう。吉田松陰が明確に「近代国家日本」を語っているような文献は見当たりませんが、きっと狂気を孕んだような目で、熱くそれを語ったのだと思います。

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