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歴史・地理 その24「戦国の世に現れたモード へうげもの 古田織部」


本 手元に、伊賀焼の大ぶりな「湯呑茶碗」があります。ある陶芸作家から頂いたものですが、これで毎夜、だらだらと酒を呑んでいます。自然の土の重厚さそのままの地に歪みを加え、おそらくは「自然釉(ゆう)」か、その緑がなかなか良いポイントになっています。といって、別に私は陶芸ファンではありません。ただその器が気に入っただけです。雑学的には伊賀焼なるものや信楽焼等々、テキトーには語れますが、深い所までは知りません。ただ、ある時にその伊賀焼がどうも「織部焼」の影響を受けているのでは、と何となく思って調べてみると、確かに織部焼が盛んに作られた時期と伊賀焼が作られていた時期は安土桃山時代で、重なります。しかも、伊賀焼と信楽焼きは特に違うものとして扱われてはいなかったのが、この時代に「伊賀焼」として一つの作風のようなものを主張し始めます。やはり、何らかの影響を「織部焼」から受けていたと考える事に不思議はないと思います。

しかし、織部焼はとにかくぶっ飛んでいます。よく知られている「織部好み」というのは、戦国の世に突如現れた「モード」としか言いようがありません。ここでいうモードとは、「ファッション」であり、「非日常的」「非凡」「超俗的」な意味としてのものです。司馬遼太郎が、古田織部を指して「おそらく世界の造形芸術史のなかで、こんにちでいう前衛精神をもった最初の人物ではないかとおもう」と語っています。つまりは「芸術家」であると。古田織部は武将であり、また、千利休が大成した茶の湯の継承者でもあります。武将としての古田織部はあまり知られていないような…。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康に仕え、武功も上げ、領地も持っていたメジャーな武人です。しかし、TVアニメで知られた「へうげもの」で、古田織部はやはり、茶人としての存在がクローズアップされるのではないでしょうか。
     
古田織部の一番の面白さは、千利休の後継となりながらも、利休とは全く違う、まさに「モード」の世界、自由闊達な造形の世界を作り上げた事でしょう。TVアニメのタイトルになった「へうげもの」は「ひょうげもの」と発音するのでしょうが、要は「おどけたもの」という意味です。戦国の血生臭い武将に与えられる呼称としては似つかわしくありませんけど、「傾く(かぶく):歌舞伎」に似たようなものでしょうか。「数寄者(すきもの)」という言葉もありますが。とにかくその作風は、「黒」を好んだ千利休とは全く違って、奔放な作風。歪んでいたり、酔狂な形をしていたり、柄も現代にも通じるような「モダン」なものです。千利休の「静」に対して、古田織部の「動」とでもいえばよいのか。「織部焼」とは焼き物の名称ではなく「プロデュースド・バイ・オリベ」と言った方が正しいでしょう。
 
織部好みと言えば「緑の釉薬」というイメージが強いのですが、そこに描かれている絵は、一体何をモチーフにしたのやらと思えるような「前衛性」を確かに持っています。そして、彼がプロデュースしたその茶室も、利休の「幽玄」をブッ飛ばすような、窓を大きく取った「明るい」茶室。茶の湯などに縁はありませんが、その部屋にはこれまた現代的な「モダン」さに溢れています。彼は安土桃山時代の超売れっ子デザイナー、スーパースターです。しかし、一時代を席巻した「織部好み」も彼の死と共に、というよりも、戦国の世の終わりと共に消えてしまいます。その作風はその後メジャーとしては生き残っていません。それはおそらく、戦国という大緊張の時代、ある意味で人の感覚が研ぎ澄まされた中で突然変異的に花開いた「モード」だからでしょう。
     
古田織部の「織部」という名は官位に由来していますが、元は古田重然(ふるたしげなり)。彼の武人としての経歴にはあまり興味はありませんが、確かに「へうげもの」であったようで、相当の人脈を持っていたようです。一説には秀吉の下で、交渉事も務めていたともいいます。あの「人蕩し」と呼ばれた秀吉の下でそのような仕事をしていたという事は、実務的な交渉力があっただけではなく、「へうげもの」として人の心を捉える愛嬌があったのでしょう。この時期の茶室は「サロン」であり、古田織部(重然)は、そこで朝廷、貴族、寺社、経済界とつながりを持ち、その影響力は絶大なものとなってきます。大名への影響も大きい。この辺りは千利休と同じですね。天下への影響力が増せば、時の天下人(権力者)からは警戒され、果ては危険視されます。そもそも、豊臣秀吉は千利休が大成させた茶の湯のコアにある「侘び、寂び」など理解できなかったでしょうし、それを芸術性にまで高めた古田織部の思想など、徳川家康には分からなかったでしょうね。人間国宝クラスの者も、自分の存在を脅かす敵、となってしまうだけです。

結局、古田織部は豊臣方への内通の濡れ衣(であると思います)を着せられて、切腹を申し付けられます。彼は「かくなる上は、申し開きも見苦し」と、弁明を一言もすることなく切腹しています。この辺りの受け入れ方は千利休の最期を思わせます。価値観の違う相手にものを言う事さえ拒絶しての最期なのでしょうか。千利休もそうですが、戦国の世に渾身の美意識を持って生きた古田織部が、現代に生まれていたら、やはり売れっ子のデザイナーになっていたのでは…。意外と、ただの「へうげもの」、愛嬌のあるオッチャンで生きていたのか…。時代が人を創るのか、人が時代を創るのか、などと予定調和的な思いが浮かんできます。

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