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歴史・地理 その27「明治新政府が最も恐れた幕臣 小栗上野介」


本 司馬遼太郎が某テレビ局の番組「明治という国家」の中で次のような事を語っていました。「維新を躍進させたのは、風雲児坂本竜馬、国家改造の設計者小栗上野介、国家という建物解体の設計者勝海舟、新国家の設計助言者福沢諭吉、無私の心を持ち歩いた西郷隆盛の5人であり、明治の偉大なファーザーである」と。しかし、です。氏は作品の中で小栗上野介を中心に据えた作品は書いていません。他の4人に比べて、確かに小栗上野介(小栗忠順:おぐりただまさ)は一般にはあまり知られていない人物かもしれませんが、その存在は「近代国家日本」の設計図を描いた、幕末・維新という時代の変わり目で最も早くから世界を知っていた人物かもしれません。司馬遼太郎は妙な所(失礼)があって、あれだけの群像英雄の姿を歴史の中から掘り起こした作家ですが、「(ちゃんと)書かない」ものがありました。ご本人もそのような事は話されていたと記憶していますが。それは「応仁の乱」「南北朝」です(背景としては出てきますが)。大正や昭和を物語として書かなかったのは、あまりに近い時代で、凄惨な結末・現実を自らが体験し、創作意欲の対象とはならなかったのでしょう。他の対象にも同様の事が言えると思っています。つまり、書けば書くほど、躍動感のある人間像を掘り起こすことはできず、心が冷えていくものを感じられるからではないでしょうか。小栗上野介もそうなのでしょう。

氏の作品では「十一番目の志士」に出てきますが、他は背景の一人くらいの扱いです(ちなみに「十一番目の志士」はフィクション)。小栗上野介の事を書けば書くほど、心が冷えていくのを感じるのではないでしょうか。彼の頭脳には「近代国家日本」の設計図があり、新政府はそれを知っていながら、彼を武士としてではなく、罪人として斬首しています。ろくな詮議も無しに。近藤勇も斬首されていますが、これは「恨み」故でしょう。しかし、幕臣の中でこれほどに無残な「報われない」最期を迎えているのは、小栗上野介だけです。明治新政府は、もはや恭順に近く、隠遁している小栗を引きずり出してまで「殺害」する必要があったのでしょうか。しかも、小栗上野介の功績と共に、歴史から抹殺している風さえあります。
     
その理由は、明治新政府が最も彼を「恐れていたから」だと思います。小栗上野介は幕府の旗本出身であり、いわば旧体制のエリートです。幼少の頃より文武に優れ、その物言いが率直過ぎて疎まれはしますが、出世街道まっしぐら。というか、当時の「制度疲労」を起こしている徳川幕府の中にあっては、異彩を放つほどに先鋭な感覚の持ち主に思えます。例えば、彼の言葉にこのようなものがあります。「一言で国を滅ぼす言葉は『どうにかなろう』の一言なり 幕府が滅亡したるはこの一言なり」。これって、今の、特に大企業と呼ばれる会社に当てはまると思いませんか? いわゆる「問題の先延ばし」でその場を凌ぎ、やがては大火事で丸焼けになるような…。まあ、それはさておいて、小栗上野介は1860年、幕府の遣米使節の一員として渡米します。この時小栗は目付として同行しますが、米国では小栗が使節の代表であると勘違いされたようです。その理由として、彼には異国船との交渉経験があり、佇まいに落ち着きがあったという事かもしれませんが、要はもっと単純に、他の幕臣がオタオタしていたためだろうと思います。

小栗がそれほど高い語学能力を持っていた形跡はありませんが、彼は常に物事の本質を見抜く力を天賦の才として持っていたのだと思います。主目的であった日米修好通商条約批准における、金と銀との交換比率が不利な事に気付き、小判と金貨の「金含有率」分析を要求します。不利な状況を改定するまでには至りませんでしたが、万事につけての彼の立ち居振る舞いはアメリカ人にも一目置かれたようです。日本を東洋の小国と侮っていたアメリカ人には少なからずの驚きだったのではないでしょうか。しかし、そうはいっても日本は間違いなく小国です。小栗はアメリカの工業力、技術に瞠目し、日本に帰る船上で、その手には「ネジ」が握られていたと言います。小栗に「日本は、このネジ一本も作れない」という現実への痛烈な思いがあった事は想像に難くありません。その一本のネジから、彼の思い描く「近代国家日本」の姿がその脳裏に、確固たる思いとして浮かび上がり始めたのでしょう。
   
その後の小栗上野介は、外国奉行(献策が容れられずに辞任)、勘定奉行を歴任し、着実に「日本の近代化」を計っていきます。一例を挙げれば「造船所建設」「鉄鉱山の開発」「洋式陸軍制度の採用」「フランス語学校設立」「日本初の株式会社組織設立」「製鉄所建設」等々等々。「株式会社設立」は、奇しくも、坂本竜馬が「亀山社中」を立ち上げたのと同じ時期ですが、よく「商社」の先鞭をつけたのは坂本竜馬という事を聞きますけど、あまり異存はないとしても、総合的な構想としては、それは小栗上野介に譲るべきではないかと思います。かように、小栗の「日本近代化」は着々と進むかのように思えますが、時代はキナ臭い「討幕」へと傾いています。幕臣である小栗上野介と榎本武揚、大鳥圭介らは倒幕勢力である長州・薩摩との徹底抗戦を主張しますが、肝心の大将である徳川慶喜が恭順の意を頑なに示します。その理由があの岩倉具視と大久保利通が画策した「錦の御旗」によるものなのか(朝敵として歴史に名を残したくない)、勝海舟の意を汲んでのものなのかは分かりません。

余談ですが、錦の御旗が実は「芸子の帯」という説には説得力があります。何せ、記録はあっても、それがどのような意匠であったかは伝わっていません。それが俄かに出てくる訳ですから。話を元に戻しますが、小栗上野介は、江戸に近づいてくる官軍に対抗するため、箱根の険峻を利用し、そこに官軍を呼び込み、東海道を榎本武揚の海軍に艦砲射撃させ、分断して撃破するという戦略を立案しますが、頑なに恭順を貫く慶喜はその策を採用しません。個人的に思いますが、その時点での幕府の軍事力を以ってすれば、その戦略は相当に官軍に対して打撃を与えたと思います。事実、官軍の大村益次郎はその小栗上野介の策を後に聞いて、「その策を実行されていたら、我々の首はなかったかも」と語っています。
  
また、大隈重信は、「明治の近代化はほとんど小栗上野介の構想の模倣に過ぎない」と語っています。明治新政府とて人材は欲しい筈です。旧幕臣の榎本武揚や大鳥圭介は明治新政府に仕えています。しかし、小栗上野介はアメリカへの亡命もあり得たのに、上州に隠遁します。その小栗を明治新政府は、罪人扱いも同様に斬首します。なぜ、小栗上野介は殺されなければならなかったのか? 前述した「歴史から抹殺」するがごとき「謀殺」です。明治新政府は恐れたのだと思います。小栗の才覚を。それは「取り込む」対象ではなく、下手をしたら、自分たちがやられていて、幕府が中心となって「近代国家日本」を作り上げたかもしれない可能性を持っていた男が小栗上野介です。実は、自分たちがこれから目指しているものは全て小栗上野介が考え出したものだったのです。

分かりやすく言えば、そこに「嫉妬」に近いものがあったように思えます。人間的な感情ゆえに厄介です。明治新政府にすれば、これから何をやっても小栗の手柄になるかもしれない、という気持ちがあったとしても不思議はないと思います。全てから退いた小栗はいきなり刑場に引き出され斬首。司馬遼太郎でなくとも腹の冷える思いのする、無意味な行為です。その時に、明治新政府のあまりの理不尽さに、部下や、民衆までが口々に抗議しますが、小栗上野介の最期の言葉は「お静かに!」。そこには、一切を受け入れた、嘗ての幕臣としての矜持のみがあったのでしょう。そして潔く部下と共に斬首を受けます。

歴史に「もし」は禁じ手ですが、私はそれゆえに歴史は面白いと思います。「もし」小栗上野介の策で幕府が動いていたら、今の日本は「徳川幕府の作った近代日本」であったかもしれません。意外と、チョンマゲが残っていたりして…。軽口、失礼。

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