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歴史・地理 その3「春秋戦国時代の覇者 中国二千年の歴史の始まり」


本 中国の春秋戦国時代の時期については諸説がありますが、大まかには「歴史・地理その2」で記したように、紀元前八世紀から三世紀位までの時代としてとらえます。で、その時代を書いたなら、やはり「秦の始皇帝」について書かなければ区切りがつかないと思い、「その3」として書いてみたいと思います。今、漫画(キングダム)でも流行っているようですし。ですが、正直、秦の始皇帝そのものにそれほど興味がある訳ではなく、興味があるのは「歴史のダイナミックなカタストロフィー的変化」にあります。ここでいう「カタストロフィー的」とは破滅、破局、クライマックス的な意味ではなく数学的な「安定状態からの突然の大変化」といった意味です。余談ですけど「カタストロフィー理論」というものがありますが、数学者でなくとも、マーケティングに携わった事のある方ならご存知かと思います。いずれは書いてみたいと思っている面白い理論です。要は「連続的な安定から起こる急激な位相変化」とでもしておきましょう。まさに秦の始皇帝の登場、そして中国全土の統一は、歴史の生み出したカタストロフィー的展開だと思います。
 
秦は「韓・魏・趙・燕・斉・楚」と並んで「戦国の七雄」として広い中国に割拠していましたが、比較的まだ礼節の重んじられていた春秋時代と違って、各国とも戦に明け暮れ、ちょっと油断をすれば国を乗っ取られてしまう状況の中で広く人材を求め、技術革新に努めていたのでしょう。その中で秦は一番西に在り、いわば辺境の弱小後進国。ちなみに秦の発音はQinで、Chinaの語源はやはり清ということですね。だから、中国を日本が「支那(シナ)」と呼ぶのは全く理に叶っている事で、世界中がそう呼んでいます。なんで、中国は日本だけに目を剥くのでしょうか。

と、それは置いといて、戦国の七雄は表現は悪いですが元は豪族の大親分がド派手な大出入りの果てに縄張りを占拠し、その地域の覇者が「王」を名乗っていた訳で、この辺りは日本の戦国時代と似ているように見えますが、各国ともに制度や文字や、恐らく言葉も違っていたのではないでしょうか。現代の中国語は「簡体字」で表記され、標準語というよりも江戸期に各地の方言同士で意思疎通が図り難いので「浄瑠璃言葉」でコミュニケーションを図っていたというのに近いのでは? いずれにしてもこの時代、「中原の覇」という概念はあったのでしょうが、「中国」という統一国家の概念があった訳ではないと思います。辺境の国、秦が何故その覇業を成し遂げ得たのでしょうか。しかも、後の始皇帝「政」が13歳で秦王に即位してからたったの四半世紀余りで…。
  
秦王となり、やがては始皇帝となる「政」の出自や生い立ちは物語にはなりますが、歴史のダイナミズムから見ると極めて些末な事ですので省略しますけど、父親である子楚はその父親が皇太子になったとはいえ、兄弟は二十数人、継承権とかがどうなっていたのかは知りませんが、競争率二十倍以上の中で秦王になった訳ですから、強運も持っていたのでしょう。その子である政は趙の人質暮らしで、何時殺されてもおかしくない環境にいたようですけど、それがまた秦王となるとは、親子ともども余程運の強い人物だったのでしょう。もちろん、才にも恵まれていたのでしょうが、それだけでは秦が中原を制した力の理由は分かりません。ここからが楽しい楽しい仮説の世界、空想の世界です。

私の仮説は「辺境の国で何も無かったからこそ、他国から頻繁には狙われず、腰を据えて国力を強める事が出来た」という事と「中途半端に先進的でない事が、国としての伸び代を大きくした」という点です。事実、秦には人材が少なく、外国人(秦以外の国の人)を積極的に登用したようで、他の競争が高い先進地域で「冷や飯」を喰わされた者が、たとえ辺境といえどもその力を認められれば、余すところなくその能力を発揮するというのはよくある事で、そういった人材は100%以上の力を発揮した事でしょう。もっとも、周辺諸国が秦の力を削ぐために土木工事で国力(経済力)を疲弊させようと水利技術を売り込んだ策謀が、逆に秦を肥沃な土地に換え、その生産力を増大させたという皮肉もあるでしょうが、結果的には「法(法家による統治システムの採用)」「技術革新(積極的な他国の技術移植)」「生産力増大による余剰人員(=兵員の拡大)」により、他国が想像するよりも数段の速さで富国強兵が実現したのだと考えます。
 
その中でも「法」、即ち戦国時代の六雄を呑みこんだ秦が国家として機能したのは所謂「法家」を重用したためであると考えます。それまでは、孔子を始め、孟子、荀子などの「徳」や「礼」「仁」といった思想で国家としての意思統一を図ろうとしたのでしょうが、思想での統治には物理的な限界があると考えます。まず、その思想を「理解」させなければなりません。そして、それに従わせるとなると同じ「価値観」を何万という人々に等しく共有させなければなりません。自ずと限界が出てきます。孫子にしても、軍事もまた「勝つ」という物理的な限界を持っています。墨子に至っては殆どユートピア思想に近く、共感でしか人を惹きつけられません。それに比べ「法」はひとたび決めてしまえば、是非もありません。法律のみではなく法に基づく「行政」「組織・制度」「命令系統」「度量衡」「文字の統一」等々。黄河領域の中原のみならず、遍く広大な領土を支配しようとすれば、これほど共有が(思想に比べれば)容易で、ある意味、決めてしまえばオートマチックに機能するものはないと思います。事実、あれやこれやと考えを述べる者たちを封じるために「焚書坑儒」を行い、法治主義を徹底させています。実際は「法治国家」というより「全体主義国家」と言う事になりますけど。
  
皇帝の名は伝説上の中国古代王朝「三皇五帝」に拠るという説ですが、ここから現代につながる中国の歴史が始まったと考えます。二千年に及ぶ王朝の興亡と、一刻の光芒を放つ皇帝たち。今の中国があるのは秦の始皇帝がその元型、基礎を作ったからであると思います。紀元前に現れた空前の大帝国。「もし」は歴史のタブーですが、私にとっては「もし」こそが歴史を楽しむためのお道具です。もし、秦の始皇帝が現れなければ、今の中国もあのような形では無かったと思います。少なくとも、5つくらい(?)の国になっていたのでは。

想像は妄想に近く、楽しく駆け回ります。ちなみに「夏(か)」は紀元前21世紀ごろの伝説上の中国最古の王朝とされていますが、遺跡の発見によりその存在が現実味を帯び、少なくとも「殷(いん)」は実在が確認されていますので、となればまさに中国4千年の歴史ではあると思いますが、やはり、中国史と言って皮膚感覚に及ぶのは春秋戦国時代を終わらせた「秦」の始皇帝からです。ちなみに、始皇帝の次は二世皇帝で次が三世皇帝という呼称の制度だったようです。千だろうが万だろうが続いて行く、分かりやすい呼称ですが、残念ながら三代目(三世皇帝は名乗らなかったようです)で終わりました。百四十五世皇帝というのはありませんでした(今も続いていたらこれくらいでしょうか?)。

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