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歴史・地理 その30「史上最大の帝国 元 本当に国として存在したのか?」


本 これはもう最初から破綻「ご容赦」宣言です。世界史に関して色々考えていたら気になり始めて、雑学脳がグチャグチャと動き始めて止まらなくなり、色々と????が頭の中に飛びかよい始めたので書きます。本当はあっちこっちに跳ね回っている????なのですが、とりあえず、史上最大と称される「元帝国」について考えることで、できるだけ破綻を最小限にとどめたいと思います(無理…?)。実に実に素朴な疑問から始まったのです。それは、世界史の年代記、各国の勃興に関する資料を眺めている時に湧き上がったものです。まあ、世界史をシンプルに言えば「国の興亡、ドンパチ戦争の記録」ですが、その「国と戦争」について考えていた時、「帝国って、何?」という疑問がフワリと浮かんできました。極々簡単に考えれば、「帝国とは、皇帝によって納められた国」でしょう。では、その「皇帝」とは何でしょうか? 由来から言えば「自(はじめ)と王」が合体した文字のようですが、では「帝」とは? これは「三本の横線を縦に束ねる」の意を持つ文字のようです。では、この三本って何? 普通に考えれば、多少予定調和的ですが、「天、地、人」。それを以って森羅万象とすれば、「皇帝とは、全てを支配する者」ということになるのでしょう。

皇帝の「皇の字の自」の「はじめ」というのは「初め」の意ではなく「最初にゴールに辿り着いた者」という意味に思えます。秦の始皇帝も、項羽と劉邦の劉邦も「皇帝」を名のっていますから。ですから「皇帝」とは「王の中の王(トップ)で天上から地上まで全てを支配する者」ということでしょう。しかし、「天子」を名のっている場合もあります。これは「天帝の子」という意味になりますが、子であるなら次の天帝となる筈で、皇帝と同じ意でしょう。ちなみに「皇帝」を英語では "Emperor"、ドイツ語では "Kaiser" 、その他いろいろな呼び名が各国にありますが、現代でその称号を持つのは「日本の天皇」だけであるそうで…。これには反論したいのですが、それやると話がどこに行くか分からなくなるので、控えます(天皇はアメノスメラミコト。英訳するなら "Mikado")。で、さらに????の連鎖は収まらず、ではその「皇帝」が支配する「帝国」とは? 一般的な認識(一応国際法上…)としての「国」とは「領域と人民を排他的に支配する単位」とでもいえばとりあえずの定義にはなるでしょう。ハイ、疑問の連鎖が「元」の方に戻って来ました(話がどこへ行くのかと思った…)。

では、その領域とは? 国境と云えばいいのでしょうが、そこには領有が及ぶゾーンがあります。これがややこしい。排他的経済水域(はいたてきけいざいすいいき:EEZ)を例に挙げれば分かりやすいのでしょうが、これは200海里(370.4km:1海里=1,852m)とされていますけど、どこが起点となるかと云えば沿岸国のその沿岸ですが、今の中国のように海を埋めて領有権を主張すれば、アチコチの海を埋め立てて、ハイ、全世界の3分の2(海)を手に入れるのも夢ではない(深海までは埋められないけど…)。そーなんです。この辺りに私の????のコアのようなもの(?)があるのです(話が戻って来そうでよかった…)。世界帝国と呼ぶにふさわしいのは、アレクサンドロス帝国、ローマ帝国、ヒトラーが夢想した第三帝国…。しかし最大と云えば、世界の陸地の25%、四分の一を支配した「元帝国」。あのチンギスハーンが辺りをなぎ倒し、もと「遼」の耶律楚材(やりつそざい)が行政組織を整え(ちょっと怪しいけど)、第五代皇帝クビライハーンの時代には帝国の体裁を持つにいたりましたが、その後はキプチャク、チャガタイなどいくつかのハン国(それぞれの支配者がハーン=皇帝を名のる国)に分かれ、最終的には衰微し、反乱軍の頭目である朱元璋(しゅげんしょう)に滅ぼされ、「明」へと時代は移って行きます。「元帝国」は史上最大の帝国でありながら、100年ももっていません。中国王朝の中でも「短命No.1」。

チンギスハーンのモンゴル帝国は遊牧民族の連合国家であり、彼はその盟主です。で「大ハーン=皇帝」であるそうで、その子孫が世界中を走り回って拡大したのが「元帝国」です。お気づきの方もいらっしゃると思いますが、遊牧民族にとって必要なのは広大な草原。季節によって移動しながら家畜である羊を育てます。住居はあの移動式住居である「ゲル」。大ハーンのゲルは一番ドでかいヤツでしょう。一方農耕民族に必要なのは耕す土地。つまり定住となります。ですから、そもそも遊牧民族は「動いて」いますから、国といっても殆ど「縄張り」に近いもので明確な国境はないでしょう。一方農耕民族は耕作地を離れては生きられませんから、外敵に対しては「縄張り」どころではなく、城壁で外敵を防御します。あの万里の長城がそのウルトラ巨大な城壁でしょう。つまり、遊牧民はどこまでも「移動」して行けますし、兵糧も羊ですから、歩いて付いてきます。馬も家畜でしょう。彼らの戦いは「馬上」での戦いで、その戦闘能力は「徒歩(歩兵)」よりも馬上からの攻撃に特化されていた筈です。余談ですけど、日本の「元寇」の戦闘シーンを描いた絵巻物に馬が(殆ど)描かれていないのは、馬を海の向こうから連れてくることができなかったのでしょう。だから多分弱かったし、進行速度が遅い。

彼ら遊牧民族にはそもそもが「定住」の必要が無いのです。草原さえあれば、どこにでも行けるし。で、その中に「皇帝」を名のる者がいれば「帝国」となるのですが、「元帝国」とは、その高い戦闘能力を以って馬で走りに走りまくったその軌跡を「版図」として「帝国」を名のったのでは。中国の歴代の王朝は最初こそ武力で成り立ちますが、その後は「天子の徳=文化力」で周辺を支配し(文化人類学でいう所の文化変容力=高い文化が低い文化を吸収する)、大帝国を築き上げます。これは学者でも何でもない私の仮説(妄想?)ですが、「元帝国」なるものは存在せず、世界を走り回った馬と羊と兵がいただけでは…。確かに「塩との交換札=準紙幣?」を発行したり、クビライの時代には「大都(今の北京)」に壮大な都を造営してはいますが、遊牧民族の者に定住のための都が必要であったのかどうか…。自文化を宗旨替えさせたのでしょうか? 私は、元帝国の衰微は、「定住」化によってもたらされたと思います。流れてこそ勢いのあった遊牧民の文化力を、堰き止めることによって淀ませてしまった…。この元帝国を考える時、「国とは?」「支配者とは?」と考えざるを得ません。元帝国など、そもそも、存在していたのか? 論が破綻、はしていませんよ、ね…。

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