テキトー雑学堂 タイトルバナー

歴史・地理 その32「戦争は 部分で語るものではなく 全体で語るべき絶対悪」


本 暑い季節がやって来ると、いつも思うことがあります。「戦争」というものの事です。自分が日本人である以上、先の大戦で敗戦した国の国民であり、いまだにその記憶をうまく処理できないままに歴史を積み重ねている、私は本当にささやかな存在である一個人です。まず、「戦争」について書く以上は、自分の立場を明確にしておくのがフェアであると考えます。私は特定の思想団体や宗教団体にも属してはおらず、俗にいう右でも左でもありません。物事を「ニ分法」で考えるのは嫌いです。へそ曲がりという訳ではありませんが、「赤か黄か」と答えを迫られれば「緑だ」と答えます(多分)。ド田舎で育ったので今で思えば何とも贅沢な自然の中で育ちました。その自然を愛し、そこが日本であるということなら、日本という国を愛しています。しかし、愛国などという言葉は頭の中に在りません。新聞で「戦争責任」などという言葉を見つけると、ウンザリとします。親は戦争を経験しており、父親は学徒動員で国外の戦地に赴いています。原爆を落とされた土地に住んでいました。私は原爆を落とされて十数年後にその土地で生まれました。「向こう三十年は草木も生えない」といわれたその土地で。私の祖父の背中は、一面ケロイドで覆われていました。親族にも被爆(被曝)した者は多くいます。しかし、原爆を「恐い」とは思いましたが、それを落としたアメリカを「憎い」と思ったことはありません。周りの大人たちからもそんな言葉を聞いた記憶はありません。これは事実です。

で、ここで何が言いたいかということなのですが、「戦争に正しいも間違いもなく、加害も被害という区分も無く、責任などという形式的なものも無く、それは個別的な悲劇などでは語れない絶対的な悲劇であり、戦争は人類が共有すべき絶対的な悪」という考えです。「戦争被害」「戦争犯罪」「歴史認識」「謝罪」「侵略者」「虐殺」、どのような言葉で「戦争」を語られようとも、それは部分的なものに過ぎない、と考えています。つまり、「悪の国があって、それが戦争を起こして他国を侵略し、多くの人間を殺す」などという、ステレオタイプの考えは全く持っていません。では、戦争を肯定するのか? 容認するのか? と聞かれれば、答えるべき言葉はひとつ、「戦争は人類全体の絶対悪」。正しい者がいた、間違った者(悪い者)がいたなどとは、誰にも言う資格はないということです。

なぜ、そういう考えに至ったかと云えば、この戦争というものが「経済」と不可分であり、その性格が非常によく似ていると思うからです。経済は「社会科学」として唯一ノーベル賞の対象となっていますが、果たしてそれは「自然科学」と同じくらいの成果を上げているでしょうか? 経済という社会科学は自然科学的な手法を取り入れてその姿を現そうとしていますが、では、誰かが毎度毎度の「経済危機」「破綻」を数式を解くように「予測」、もしくは「明解な証明」をできているでしょうか? 答えは「否」です。経済は人の意志とは関係なく動き、時には猛烈な暴走もします。そして、いつも人の手にあまり、それをコントロールすることは不可能と言ってもいいでしょう。そして、この経済が「戦争」を惹き起こすことは誰にも否定できないでしょう。全てが「予測不能」で「制御不能」です。もし経済なるものが「善」であり、全ての人に幸福を与えるようなものであれば、地上はなんとハッピーなことでしょうか。しかし、現実は数々の不幸を生み出し、悲劇も生み出します。で、悪者は誰でしょう? その責任はどこに在るのでしょうか?

例えば、あのリーマン・ショックを予想し、防ぐことが経済学に可能だったのでしょうか? 事実としてそれは不可能だったわけです。では、経済的な危機とは「地震」や「台風」や「噴火」などと同じように、突然やって来る災害なのでしょうか。であれば、経済と同質な「戦争」も災害と同じということになります。「予測不能」、「制御不能」。歴史を見て、ハッキリとその起こった理由と、正当な理由を持った戦争というのはあるのでしょうか。おそらくそれは、当事国の歴史観としてその理由を挙げてはいるでしょうが、それが他国も認めるところのものであるのでしょうか。それは限りなく「あり得ない」事のほうが多いでしょう。いや、皆無か…。

「戦争の定義」をしてみろと言われれば即座にこう答えます。「人と人が殺し合う事」。そのどこに正当化できる根拠があるでしょうか。人が人に殺され、女性は男性に性的な暴力を受けるという悲惨な光景が「戦争」です。ヨーロッパではあの第二次大戦の大悪人はヒトラーとなっています。しかし、ヒトラーは既に死に、彼の率いたナチスも既にありません。では、戦争なるものからヨーロッパは解放されたのでしょうか? なぜNATOが必要なのでしょうか? そもそもなぜ、第二次世界大戦が始まったのでしょうか? そもそも、なぜヒトラーとナチスが生まれたのでしょうか? 東アジアでは日本が戦争の悪人となっていますが、何故、誠に小さなこの国が、あのような軍事大国となり、東アジアを侵略し、挙句の果てに太平洋の遥か彼方の大国と戦争を始めたのでしょうか? どれほどもっともなことを云われても、全ては「藪の中」です。ベトナム戦争は一体、誰が悪者で、だれに正義のあった戦いなのでしょうか? すべては人間の持っている「不完全性」から起こるとすれば、戦争は永遠に無くなることはないでしょう。そして、数々の悲劇も。

「戦争なるもの」を部分で語れば、永遠の議論で、「戦争」が起きてしまうでしょう。戦争とは「全体として語るべきもので、そのものが絶対的な悪」であると考えます。今でも、最先端の技術で様々な兵器が作られ、その性能を競って喧伝していますが、その兵器の向こうにいるのは「人」です。その産業は、「人を殺す道具」を額に汗して作っているのです。自分の作った弾丸が、一体誰の身体を貫通するのか、想像することも無いのでしょう。自分かもしれません。答えなど出ないことを考えていることは百も承知ですが、疑問は疑問の連続としてでも語るに十分値するのです。自然科学の世界でも。ここまで書いていて、岡倉天心のこんな言葉を思い出しました。「世界はかつてアジアの日本を野蛮な三等国扱いした。それが、大陸で人を殺し始める(日清、日露戦争)と、いきなり世界の一等国扱いをする。それならば、日本は永遠に野蛮な三等国でけっこう」。戦争は「人が人でなくなる時」「相手が人に見えなくなる時」に起きる。「悲劇」も「残虐」も全体に捉えられる「人」でありたいと思います。もし日本が、災禍を招く元凶であり、「悪」であることが数学的に「証明」されれば、東アジアは日本を滅ぼせばいい。それで、永遠の平和がやって来るなら。

歴史・地理 目次へ



【商品検索】Powered by Amazon

↑「すべて表示」をクリックするとAmazon.co.jpの検索結果一覧に移動します。

■これからギターを始められる方のご参考にでもなれば。
木の音 バナー
「あれこれブログ風」サイト
「不思議」「怖い」「変」を普通に考える。 バナー
「花を楽しむ」サイト
花を飾る バナー


■サイトポリシー ■プロフィール
■お問い合わせ
ページトップへ戻る

Design by Megapx / Template by s-hoshino.com
Copyright(C) Ureagnak All Rights Reserved.