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歴史・地理 その35「続 史上最大の帝国 元 本当に国として存在したのか?」


本 以前に「史上最大の帝国 元 本当に国として存在したのか?」という記事を書きました。これはその続編です。何故「続編」などを書こうかと思った理由は二つです。ひとつは前回の記事の冒頭があまりにダッチロール気味だったので、十分にテーマを煮詰める事ができなかったような気がしていることと、もうひとつは、ある日の酒席で話があちこちに飛んで、中国史の話になった時、「元なんて国は存在しない。金が王朝として正史に入っていないのと同じ。歴史は後から捏造される」と、勢いで一席ぶってしまったことへの「中途半端な論に対する自らの再考」です。酒席とは実に楽しいものですが、そこで饒舌となるのは昔からの私の(悪い)癖。

で、もう一度改めて、中国の正史に残る「元」なる王朝の事を考えてみたいと思います。「元は中国の正史上の王朝ではない」というのは、正確にはその前に現れた「金(皇帝がいました)」からのつながりでそう思うのです。金はその名を、中国の正史に残していません。で、元はその後釜のようなもので、私個人の史観として中国正史上の王朝として「元」は認めがたいと云う事です。他国の正史に口出しするようですが、これは単なる歴史好きの「趣味」の範囲を超えない思考遊戯と云う事でご容赦願います。

「金」は女真人(満州族)の国で、1120年に宋と「海上の盟」という盟約を結び、「遼」を滅ぼし、山分けしますが、政治的な盟約などというのはその時々の都合でコロコロと変わります。で、金と宋は何度もぶつかり、1125年からの「靖康の変」で、宋の都である開封(ベン京)が攻め落とされ、中国の皇帝が史上初めて万里の長城の向こう側にまで連れ去られ、拉致されます。さらに軍事力に勝る金が宋を江南にまで追い詰め、南宋も最終的には金に対して「臣下の礼」まで取らされて、この時点で中国を支配した金ですが、王朝として正史に名を残していません。まあ、屈辱的な立場にあるとはいえ、南宋が残っていますから。中原を制し、圧倒的な版図を持つ金が「蛮族の国」で、息も絶え絶えの宋(南宋)が正史上の王朝となっているわけです。

しかし、その南宋で、この金を押し返したのが「中国史上最高の英雄、岳飛」。興味がおありの方は、北方謙三の「岳飛伝」をどうぞ。しかし、岳飛は文官重用の宋で、秦檜の姦計で殺されてしまいます。もし岳飛がそのまま金を攻め続けていたら、おそらく中原を取り返したと思います。結局、宋(南宋)は一発勝負に出る事なく、息を潜めて恥辱に耐えながらの延命を選択したと云う事です。で、金は岳飛に北へ押し返されますが、モンゴル帝国がそれに変わって金を攻め、やがて南宋を滅ぼします。これがのちの「元」で、ここまでの時代は「唐」が滅び、「遼」が建国されるまでの「五代十国」時代を含めて、中国はドタバタの時代。ちなみに遼は契丹人(キタイ人)が建てた国。つまりは北方の遊牧民族がドッと中原に攻め入っていたわけで、「遼(蛮民族)」「宋(漢民族)」「明(漢民族)」の間に挟まって「元(蛮民族)」の世は百年もありません。

金は宋を攻めながら、モンゴル帝国には既にやられ始めていて歴史的にはアッという間にその姿を消します。モンゴル帝国は金の版図を乗っ取って、殆ど虫の息の南宋を攻め滅ぼしますが、つまりは北方の遊牧民と中原を争っている漢民族とのドンチャン騒ぎの中で、「軍事的」に圧倒的な覇を唱えたモンゴル帝国が「元」を名のります。図式としては「金、元(モンゴル帝国)、遼 vs宋」の時代。さて、どこが正当な王朝でしょうか? 宋(北宋、南宋)は一応、三百年以上続いていますが、元の治世は事実上、数十年…。

つまり、当時の中国の正当な王朝は?ってことになると、正史など後の支配者の都合で書かれているので、「元」の存在は、「世界最大の帝国を破ったのが(漢民族である)明の朱元璋」ってな文脈の中で成立しているようなものでしょう。明は一応漢民族の王朝です。ここに、「本当に元帝国は中国の正史に名を残す王朝として存在したのか?」という疑問が生まれるのです。まあ、他に王朝と呼べる国が無いほどに元の軍事力が圧倒的であったと云う事でしょう。実際には、馬が駆け回る速度で軍事的に膨張し、最後にはその密度を失って自然消滅、ってところではないかと思えます。軍事的支配が「治世」であるとは思えません。しかしその後は、女真人のヌルハチに滅ぼされ、清が建国されます。清は三百年近く、中国を支配します。これは「治世」と呼べるでしょう。その清は最初「金」を名のっていましたけど、それは「後金」とされ、正史では「清」となってます。女真人はかつての金帝国としてリベンジしたつもりなのでしょうけど。

正史などというものは後の権力者が作るもの。たしか2007年位(ウロ覚え、失礼)に中国共産党が「歴史的発掘」の規制を緩めて、色々な史実が明らかにされ始めていますが、まだまだ、自由に研究はできないでしょう。その発掘の成果の一つとして、唐文化の正当な継承者は「遼」であったのでは、なんて出土品が出ています。確か、「埋葬の様式」「お棺の形状(船型の斜めの蓋)」などだったと思いますが。遼は契丹人の国です。この辺は中国にとって不都合かもしれません。中国史最大の文明帝国は唐、ってなことになってますから。その文化が蛮族に継承されていたなんて、まずいでしょ。

今の「王朝」は中華人民共和国です。で、日本が戦った相手は中華民国で。ポツダム宣言に署名したのはその中華民国の蒋介石です。中華人民共和国の建国は1949年。つまり、中華人民共和国は大戦中、連合国側にはいない。しかし、抗日なんていって、勝者の国の側にいますが、誠に変です。お前ら国共合作はあったけど、いつ日本の軍隊と闘ったんだよ、と突っ込みたくなります。

歴史なんて後世のご都合で恣意的に作られます。歴史の好きな方は日本の「南北朝」時代を調べられては。大義名分も何もない、歴史の塗り替えの時代です。「賊」が「義」となり、「義」が「賊」となる…。

「五胡十六国時代」などは、隋が建国されるまでの二百年近くに渡る 「地方ヤクザの大出入り」の時代でしょうね。多分、歴史研究家でも明確にするのは困難でしょう。まあ、その前にはあの「三国時代」がありますが、われわれの知っている「三国志」は「演義」ですから、俗に「柴堆(さいたい)三国志」なんて云い方もあって、中国には「柴が積まれているように」色々な三国志があると云う事です。

だから、歴史は「想像」の入る余地があって、そこが面白いのですけど。

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