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歴史・地理 その7「続 日本刀 世界に類のない純化された魂の武器」


本 「歴史・地理その1」で日本刀をテーマにしましたが、そこに書いたように「続」という事でもう一度、日本刀について考えてみたいと思います。あまり薀蓄めいたものを書いても長く退屈な文章になりますので、日本刀愛好者の一人として感ずることをしたためてみたいと思います。「純化された魂の武器」と、少々気恥ずかしいタイトルを掲げましたが、これ以外に表現できないのが日本刀なのです。これほどに洗練されて優美とさえ称したくなるほどの剣(以後、刀と表記を統一します)は私の知る限り、類を見ません。そして、武器が人(日本人)の精神性に深い影響を与えたという事も同様に、然りです。

それは侍(さむらい)と称される平安期から連綿と続く「武」の精神を持つ者たちが長い年月をかけて練り上げたものですが、分かりやすい例でいえば、近代の軍隊で刀が武器として正式に採用されたのは帝国日本軍だけでしょう。軍刀愛好家の方なら「九四式」「九八式」「三式」などといえばすぐお分かりになると思います。これは「拵え(刀の柄や鞘の造り)」によって違うものですが、野戦用や軍属用の皮を鞘に施したものもあります。ちなみに軍属とは「軍人以外で軍の職務に従事する者」のことで、簡単に言えば軍の事務方です。
   
帝国日本軍の軍刀は武士のように腰帯に挿し込むのではなく、鎖製や革製等ののグルメット(軍刀吊)でベルトからぶら下げていました。ちょっと機動性には欠けますが、軍装としての要素もあったのでしょう。軍刀の拵えとして昔の刀と顕著に違うのは、昔の刀は鍔と刀身のつながるところに「ハバキ」という金属製のパーツがあり、それを鞘の鯉口に押し込んであるだけ(ハバキ留め)ですが、軍刀では「駐爪(ちゅうそう)留め」という金具で柄と鞘を留めて、不用意に刀が抜け落ちる事を防いでいます。柄の根元にあるボタンを押すと、刀が抜けます。居合だとやり難そうですけど、白兵戦では居合切りなんてやらないでしょうね。刀身は自分で調達する人もいますが、官給のものもあります。そのひとつに「萬鉄刀」という、工業製品化された刀もありますが、これは「ふくら鍛造」という技法で作られたそうですけど、よく分かっていません。本物を見た事はありますが、これは美術品としての日本刀とは認められませんので、凶器扱いとなります。美しさはイマイチですが、直刃(真っ直ぐな刃紋)でやや分厚い刀身の刀です。
  
何故、近代的な軍隊で、刀が正式な武器として採用になったのかという理由に、「銃は弾が尽きれば終わりだが、日本刀は敵を切って切って切りまくれる」からという物騒な説がありますけど、私はこの説に与しません。もちろん武器であることに変わりはありませんが、私は「心の武器」「魂の武器」として、軍の「士気」を高めるための刀であったと考えます。兄弟サイトである「不思議を~普通に考える:不思議その15」でも書いたことですが、本隊から逸れた小隊が、戦闘の連続で軍刀も折れ、弾薬も尽きて、元病院だった廃屋に立てこもった時、幽霊が出るとか変な声が聞こえるとかで兵が怯え、著しく隊の士気が下がった時、隊長の機転でトラックのスプリングから削り出した刀を隊員に持たせたところ、隊の士気が上がり、幽霊なども現れなくなったという話があります。その刀が有名な「エン(※機種依存文字)洲刀」です。エン洲とは中国の地名(地域名)です。これは「スプリング刀」ですから日本刀とは認められませんが、その刀の存在が隊員の士気を高めたという事は、その「心」を強くした、という事であると思います。このように日本刀には武器であると同時に「人の心、魂」を強くする力が、事実としてあると考えます。
 
もともと日本刀なるものがいつ出現したのか、その「折り返し鍛造」という製法が実際にはどのようなものだったのか、等々、分かっていない事の方が多いのですけど、歴史の中でその存在が燦然と輝き始めるのは、鎌倉末期の、ご存知「正宗」からだと思います。「正宗」は日本刀の代名詞ともなっています。日本刀の作風には「山城伝」「大和伝」「備前伝」「美濃伝」「相州伝」とあり、詳しい事は省きますが、正宗は「相州伝」の代表的な刀工とされています。正宗の刀には銘が入ってない事から長くその実在を疑われていましたが(今はほぼ実在の人物であったとされています)、日本刀に銘が入っているのは「茎(ナカゴ)」という、柄が装着されている部分ですが、もともとこの銘を入れるのは「依頼主の意向によるもの」か「奉納の時」位というのが定説だと思います。ですから、正宗に限らず、名刀といわれるものには殆ど銘は無いと考えます。私が持っている有名な刀工の日本刀にも銘は入っていません。ですから「無銘に贋作なし」という言葉があります。派手な銘が入っている方が怪しい。正宗が名刀とされたのは豊臣秀吉の時代からで、多分に政治的な意図からだというのが通説です。つまり、恩賞用としての価値を上げるために。名刀というのは存在すると思いますが、まず本物が世に出てくることは無いでしょう。レプリカはありますけど。
  
「同田貫」と呼ばれる刀がありますが、「子連れ狼」の拝一刀の愛刀として有名になりましたけど、その中では「胴太貫」と称され、字が違います。原作者の創作の一環でしょう。「同田貫」は「直刃、峯厚く、反り浅く」という実践的な刀で、「折れず曲がらず同田貫」という言葉もあり、個人的には好きな作風なのですが、これが流行のように名刀と称されるのには抵抗があります。「同田貫」とは九州北部の地名で、そこを本拠とした刀工の一群です。ですから「同田貫さん」という人がいる訳ではありません。同田貫一派は刀工というより、優秀な鍛冶の技術者集団であると考えるべきで、実用的な作風から考えても、鋤や鍬などの農具も製作していたと考えられます。「同田貫」が高価で取引され始めたのも、TVドラマで有名になったからでしょう。本来は戦国の気風を残した、武骨さが特徴の日本刀だと思います。事実、戦国武者に好まれたそうです。余談ですが、無銘の刀の中に「ひょっとして、同田貫…」と思える刀があります。同田貫は「戦国の実践的な道具」と考えるべきでは。その頃は、弓、槍、鉄砲が主役で、日本刀は「最後の一太刀」的な武器、もしくは「首を取るための道具」であったと考えます。
    
日本刀がその優美さを極め、日本人の精神性と強く結びついたのは江戸期からではないかと考えます。徳川家康が天下を収めて徳川幕府を開き、元号を元和と改め、偃武(えんぶ:武器を仕舞う)とし、太平の世に向かってからではないかと思います。刀は実用性を失い、装飾的なものとしてその長さを「二尺三寸」が常寸と定められ、三百年の時の中で、武士(日本の支配階級)のシンボルとしてその精神性を練りに練り上げていったと考えます。その極端な例が「葉隠」の「武士道とは死ぬことと心得たり」でしょうが、私はこの言葉をそのまま受け取る事はしません。「死をも恐れぬ(克服した)力強い生命」と捉えます。そして、その腰には日本刀が挿し込まれているのです。

刀は装飾的なものとなったが故に、なおさら「武士が武士であるための精神」の象徴、それを支えるものとして純化され、「魂の武器」として日本人(武人中心ですが)の精神性と深く結びついて行ったのではないかと考えます。ことさら日本人をこの東アジアで特殊な国民とは思いませんが、この「魂の武器」をもった民族として考えれば、何もない小国が世界と渡り合ってきた「強さ」を理解する事ができます。それは一言でいえるものではありませんが、その内に書いてみたいテーマです。いずれにしても、日本刀なるものがこの国の心の中に、決して軽くは無い影響を与えている事は間違いないと思います。最後に不遜なる提案を。日本人はもう一度、日本刀を腰に挿してみませんか。

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