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社会・政治 その11「人間は政治的動物 アリストテレス」


本 アリストテレスは古代ギリシャの哲学者であり、説明するまでもない事ですが、ソクラテス、プラトンと並んで西洋古代最大の哲学者と称されます。アリストテレスはプラトンの弟子であり、プラトンはソクラテスの弟子ですから、アリストテレスはソクラテスの孫弟子となり、「人文・思想その13」で書いた「樽の賢人」ディオゲネスと同じですかね。生きた時代もほとんど同じですし。ただ、ディオゲネスの師であるアンティステネスはソクラテスの弟子といっても少々疑わしい所があるようで、多分「押しかけ自称弟子」だったのでしょう。ディオゲネスも「押しかけ弟子」のようなもの。また、ディオゲネスはアリストテレスの師であるプラトンとはやり合った形跡がありますが、アリストテレスとはあまり遭遇した形跡がありません(私が知らないだけ?)。

アリストテレスは「万学の祖」とも称され、近代哲学にさえ影響を与えている哲学の巨人ですけど、逸話・話題性という点では他のソクラテスやプラトン程に派手な所が無いように思います。ソクラテスはその悪妻と、無実の罪で牢獄につながれ、「悪法も法なり」の言葉を残して毒杯を煽った事や、自分は賢人ではない事を証明しようとしたり、プラトンはアトランティスとプシュケー(霊魂)の概念を重視した事や、アカデメイア(アカデミーの語源)の主催、レスリングが得意であった事などと比べれば、アリストテレスは「アレクサンドロス大王」の家庭教師であった程度ですかね。そのアレクサンドロス大王を暗殺した黒幕はアリストテレスである、という説もあるようですが、根も葉もない陰謀説でしょう。哲学者アリストテレスとなれば、「人文・思想」の編になりそうですけど、ここでは彼の遺した「政治学:ラテン語 Politica(ポリティカー)」について語りたいのでこの編で書きます。この著書は膨大で全8巻からなっており、「国の定義とその構成」から始まり、「最善の国における教育方針」にまで至り、その中では「体操・音楽」にまで触れています。ちなみに「政治学」は本人が著したのか、後に第三者が編纂したのかは分かっていません。
     
「人間は政治的動物=人間は社会的動物」と、私は理解しています。アリストテレスが生きた時代は、アテナイを盟主とする同盟国とスパルタを盟主とする同盟国が真っ二つに分かれて、古代ギリシャ全域を巻き込んだ戦争、「ペロポネソス戦争(紀元前431年~紀元前404年)」後の混乱期です。30年近く続いた戦争は結局アテナイの降伏で終結しますが、古代ギリシャ世界は混乱と同時に疲弊します。我々の知っている第二次大戦のような状況でしょう。民主制の混乱の中で、共同体と個人との結びつきが揺らぐ現実を古代ギリシャの人々は目の当たりにして、国家や共同体の一員として生きる事の意味を改めて問い直さざるを得なかったでしょう。それは、現代にも通じる問題です。そもそも「政治」は権利や義務、自由、平等などといったなかなかにマッチングさせることが難しい事の中で議論され、かつての古代ギリシャでも現代でも同じで、「政治」は「個人の美徳」といったものから切り離されてきた、というよりも、受け入れる事がなかったのですが、どうにも「政治(&経済)」が上手く行かない現実が繰り返す…。どうすればいいのか?

そんな疑問、問題に答えるキーワードとしてやはり「徳」が出てきます。それは「中庸」ということであるのでしょうか。アリストテレスは「人間の知性には限界があるため、支配は正しく定められた法によることが重要」としています。その上で、その立法者は、支配階級の富裕層と、服従を強いられる(服従に慣らされる)貧困層との中間的存在でなければならないと説いています。その背景には「道徳的観念」が強く感じられます。つまり、その「徳」を「どちらにも偏らない(中庸)」ものとすれば、それは社会の中で富裕層と貧困層が必ず対立するという構図に対して、ショックアブソーバー(緩衝機能)をもつ存在がまさに「徳」であるという事になります。アリストテレスの「政治学」はとても一言では言い表せないほど多岐に渡っていますが、その柱となる思想には「徳」という概念が強く感じられます。その定義となると、一筋縄ではいかないのですが…。
    
しかし、どうですか、今でも通じるような同じ問題じゃないですか。アリストテレスは、「哲人王による独裁政治」を理想としたプラトンの考えを否定し(肝心の「哲人」が存在しないという欠点があります)、市民の平等な政治参加、市民全体の利益の重要性を強調し、「民主制は悪しき制度の中でも最もましなもの」と述べています。確か、イギリスのチャーチルも同じような事を言っていたと記憶しています。アリストテレスが生きていた古代ギリシャの「都市国家(ポリス)」は、皮肉な事に彼の教え子であるアレクサンドロス大王の帝国によって存続が困難となり、現代に通じる「グローバル」な世界へと拡大していきます。しかし、それでもアリストテレスの思想は今にも通じるものがあるのです。今やポリスの時代ではなく、資本も人も国境を軽々と越えて行きます。しかし、その中でも、遥か昔に生まれた思想が未だに政治哲学者たちによって議論されているのは何故なのでしょうか?

「新アリストテレス主義」という言葉さえあるようです。それはアリストテレスが「人間の本性」への考察から始めたからではないでしょうか。2400年近い時を隔てても「人間の本性」というものは変わっていないということです。アリストテレスが生きた時代、その目に映った社会と、今我々が生きて、目にしている社会が抱えている問題は同じであって、ということは2400年間、その問題は何も解決されていないという事です。政治と個人をつなぐものが「徳」であるとすれば、それに関しては2400年の重み故、軽々と語る事はできませんが、少なくともそこには「私欲」というものが存在しないということは感じます。

という事は、今の政治制度であれば「私利私欲と無縁の政治家」を選挙で得なければなりません。うーん、途方もなく難しそう。だから2400年も人間は同じ問題を抱え続けているのでしょう。最後に、アリストテレスの言葉ですが、「多くの友を持つ者は、誰にも友とは思われていない」とか。孤高の人とは、夢幻か…。

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