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社会・政治 その13「勝ち組? 負け組? 臣道連盟って知ってます?」


本 毎度のことながら、やりきれない思いに苛まれる事件が多いですね。まあ、全ての人がハッピーで何の問題も無いようなパラダイスは無いと思っていますけど(もしかしたら、どこかにあるかも、作れるかも…、とも少し思っていますが…)、例の人気漫画「黒子のバスケ」の連続脅迫事件の犯人が、その初公判で15分の意見陳述をしたそうですが、その記事の見出しはその陳述の中の言葉。「自分は負け組、こんなクソみたいな人生やっていられない。とっとと死なせろ」」とか。「負け組」ですか…。その反意語は「勝ち組」なんでしょう。私、初めて「勝ち組・負け組」なる言葉を聞いた時、戦後のブラジルでの事かと思いました。「臣道連盟(しんどうれんめい)」という言葉をご存知ですか? その連盟が起こした事件は「臣道連盟事件」、または、「ブラジル勝ち組負け組事件」とも呼ばれたそうです。私は正直、そのパロディかと思いました。

事件の概略をできるだけ簡単に述べれば、1945年8月15日正午に「ポツダム宣言に対する無条件降伏」の玉音放送を流し、日本の敗戦(終戦)を昭和天皇が全国民に知らせましたが、それを、ブラジルへ移民していた日系人たちはサンパウロ州の奥地で短波放送を通じて傍受し、その中に、「日本は戦争に負けてはいない。あれはデマだ」と言って、その内容を信じようとはせず猛烈に反発した人々がいました。いかんせん、殆どの日系人はポルトガル語が読めず、真偽の確かめようも無かったと思います。で、その人たちが「臣道連盟」という組織を作り、それに追従した人たちも含めて「勝ち組」、つまり、日本の勝ちを信じている人たち(日本の敗戦を信じられない、信じない)です。その人たちとは逆の人たちが、いわゆる「負け組」(日本の敗戦を受け入れている)。この両者の間で、争いが起き、暴力沙汰にまで発展し、少なからずの死者まで出たそうです。当時のブラジル日系移民は、20万人程度のようですが、敗戦後、その8割もの人たちが「勝ち組(戦勝派、信念派とも呼ぶそうです)」に組みし、敗戦を認める「負け組(認識派とも呼ばれるそうです)」の人々は2割にも満たなかったようです。心情的には分かります。戦争の良し悪しは別にして、誰も遠く離れた祖国の敗戦など認めたくはありませんから。国内でも徹底抗戦を訴えて、敗戦の事実を認めない青年将校たちがいたようです。
    
そしてそのブラジル「勝ち組」の中心に「臣道連盟」という組織ができ、日系人移民に対して忠君愛国の思想を訴えたようですが、情報不足の中では暴力と混乱が不可避となるのでしょう。テロにまで発展したようです。さすがにブラジル政府もこれを見過ごせず、警察による取り締まりを強化します。片や、「負け組」と呼ばれる人たちは、日本人がそうした過激な行動を取る事により、ブラジル社会から排斥されることを懸念して、敗戦の事実を受け入れ、ブラジル社会の中でこれから日系人が取るべき道を皆で考えようとする「時局認識運動(認識運動)」を起こしますが、これは全く「勝ち組」の人たちには受け入れられなかったようです。認識運動の中心を担った人たちは赤十字などを通じて、日本政府のメッセージを「勝ち組」の人たちに伝えようとしますが、これも逆効果で、「勝ち組」の人たちはさらに頑なとなります。結局はブラジル政府警察の取り締まりにより、敗戦の翌年、1946年ごろには「臣道連盟」が組織として壊滅し、一応の収束を見たようですが、驚くべきことに、この問題は1970年くらいまでブラジル日系人社会の中で燻っていて、日本が「勝ったのか・負けたのか」という事を話題にすることがタブーである雰囲気が残っていたようです。

ちなみに、ブラジルは連合国側で戦時中は日本との国交を断絶しており、日系移民は「敵性国人」として不当な扱い(日本語使用の禁止、天皇肖像掲載の禁止、国歌演奏の禁止、ポルトガル語の強要など)を受け、日本に関する情報源は短波放送だけという状況の中で生きざるを得なかったようです。戦争だから、といえばそれまでですけど、遥か異国の地で不当な環境と情報過疎の中で「人」は「生きていくため」に何かに頼らざるを得ず、この場合はそれが「強い祖国」であったという事でしょう。それをそうそう、簡単には手放せる筈がありません。「勝ち組・負け組」という言葉を聞くと、私はこちらの「やるせない歴史上の事件」を思い浮かべてしまいます。
     
で、話を現代の「勝ち組・負け組」に戻します。これって、誰が「新たに」造った言葉なんでしょうか? 「勝ち負けの基準って何? お金?」。そんなに、人の人生を簡単に分けて言わないでください。新聞やTVなどのマスコミも平気で使っています。シャレにもなりません。私、それが格差社会の中で使われている言葉だと認識した時、「これは明らかに差別用語」と思いました。昔、「おちこぼれ」なんて言葉もありましたが、これも「差別用語」です。この世は「差別」に満ち溢れています。その「差別」に押しつぶされている人もいるし、それと戦っている人たちがいるのも事実です。「負けるな! 戦え!」とは軽々に言えませんが、不当なものに対しては抵抗すべきです。ですが、「負け組」などという言葉が現実に起こしているのは、何ともやるせない事件です。あの秋葉原の無差別殺人もそうですし、冒頭で上げた「黒子のバスケ連続脅迫事件」もそうだと思います。動機は、黒子のバスケの作者を妬み、「自分が手に入れられなかったものをすべて持っている(黒子のバスケの)作者」を「自殺の道連れにしてやろうと」頑張ったとか…。この人にとっては「漫画の作者」が最高に輝く存在だったのでしょうね。もっと凄い人、たくさんいますけど。
 
犯行を「人生格差犯罪」と表現したのを読んで、1968年の古い事件、連続ピストル射殺事件の永山則夫を思い出しました。犯行は「貧困が生んだ事件」だとか…。私、子供ながら、この言葉に猛烈に憤った記憶があります。貧困や生活苦など、どこにでも転がっています。それが「人殺しを正当化」させる理由になるなら、何人殺しても「正当化できる」人間が大量にいるという事です。未だに続く、我が身の不遇を嘆いて犯罪を起こしたという事件を見る度、やるせなくなってきます。クソみたいな人生なんてありませんよ。不運の連続なんて、珍しい事じゃないです。「俺は勝ち組だ、お前は負け組だ」といっている連中を唾棄すべきアホとして憐れんでやればいいじゃないですか。もしかしたら、その方たちだって本当は不幸な人生かもしれません。不運なんてどこにでもポッカリ口を開けていますから、絶対に落ちないとは限りません。

「勝ち組・負け組」なんて「差別用語」を平気で使っている人は明らかにどこかがおかしい。それで、自分が「不運だ、不公平だ、クソみたいな人生」なんて思っている人は、これまたおかしい。これって連鎖して行くのでしょうか? やるせなくなるだけなんですけど、知識人といわれている方々や、本来、人を救うはずの宗教家の方々、どうにかできませんでしょうかね。まあ、人には「優越を感じたい」メカニズムがあり、それが人を貶める「差別」を生むのでしょう。これはどうしようもない事なのでしょうか…。…しばし、沈黙。

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