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社会・政治 その15「ゴジラから 日本人の深層心理を無理矢理探る」


本 CATVでやっている懐かしの「ゴジラシリーズ」を夢中で見ています。第二作目、アンギラスの「ゴジラの逆襲」までが白黒だったかな? 第三作目の「キングコング対ゴジラ」はカラーですね。あのころは「総天然色」って表現がありましたね。第一作目の「ゴジラ」は1954年11月3日に公開されましたが、その時、私はまだこの世に存在していません。種も畑もありません。と、それは置いといて、以後、確か50周年を迎える2004年までに二十八作もの「ゴジラシリーズ」が制作されていますが、やはり、第一作目が一番「怖いゴジラ」です。私は幼稚園くらいの時、母親と一緒に映画館での再上映で見ました。あの、ゴジラのテーマには今でも「JAWS」に匹敵するほどの登場感と興奮的な恐怖感情の盛り上がりを覚えます。

今でこそCGが当たり前で、皆、「あり得ない映像」を見慣れているでしょうが、あの時代の「特撮」はCGにも劣らないほどに見る者にとって誠にリアルな映像でした。戦車が出ようがジェット機が出ようが、みなゴジラに叩き潰されてしまいます。建物は破壊されて一瞬のうちに瓦礫となり、ゴジラが通った後はまさに空爆を受けた後の街のような景色となります。事実、特撮の神さま円谷英二は、この「怪獣が街を襲う」企画の着想を、1945年(昭和20年)の東京大空襲の最中、防空壕に避難していた時に思いつき、「これで戦争の恐ろしさを書いてみたい」と家族に語っていたようです。もっとも、ゴジラ以前の円谷の頭にあった怪獣のイメージは「巨大な蛸」だったようですが…。
     
ゴジラを企画した関係者を刺激したのは1954年3月1日に、ビキニ環礁で行われたアメリカ軍による水爆実験「キャッスル作戦・ブラボー」に日本の漁船が巻き込まれた「第五福竜丸事件」であることは間違いないでしょう。日本はこれで、三度目の被爆(こんどは水爆)をアメリカから蒙ったのです。実験当時、第五福竜丸はアメリカが設定した危険水域の外で操業していたので、閃光や熱線の被害には合わなかったにしても、大量の放射性降下物(いわゆる死の灰)を浴び、乗組員22人のうち肝機能障害(癌)などにより死亡した者が半数近くに及びますが、アメリカは(おそらく)今に至るまでその死因を「放射能が直接の原因ではない」としています。もちろん、反米活動を懸念して当時「(好意に基づく)見舞金」は送っていますが、公式な謝罪はしていません。つまり、あの被爆は無かったと…。

これは公になっている資料があまりにも少ないので類推するしかないのですが、恐らくアメリカは「放射能に関するデータを独り占めして全て封印」していると思われます。広島、長崎の時もいち早くその結果に対する調査を組織的に行い、日本も日本で独自に情報を集めたのでしょうが、あの状況の中で、アメリカ程の情報を収集できる訳はないでしょう。「第五福竜丸事件」は、1952年に発効したばかりの「サンフランシスコ条約」で、日本が主権を回復した直後に起こっています。そもそも、アメリカ軍は「水爆の威力」を過少に予測していたため、危険水域を狭くし過ぎていたといわれています。水爆の威力はアメリカ軍の予想をはるかに超えるものだったようです。彼らは「死の灰」については十分に知っていた筈です。しかし、それを認めると、日本にたちまち反米感情が湧きあがる事を懸念したアメリカは、事実の隠蔽を謀ったのでしょう。どこの国も一緒です…。
   
しかし、強烈な反米感情は湧き上がらなかったものの、(不必要な)二度の核攻撃を受け、さらにまた被爆の被害を受けた日本人の中に、アメリカ、というより連合国側世界に対する強い「不信」が生まれたと思います。それは、行動には直接現れなくとも、未だに日本人の深層心理の中に澱のように厚く沈殿しているのではないかと考えます。この「揮発性の高い」感情を持っている国民が、「敗戦」という事で、自国に対しても、連合国世界に対しても、「行動欲求」ではなく、「不信感情」へとその心理を「メタモルフォーゼ(変形、変態:Metamorphose)」させてしまったのではないでしょうか。私は戦後日本のお家芸「外交下手」は、そこに基があるのではないかと考えています。蓮っ葉な言葉であえて言えば、「もう、嘘ばかりでウンザリ! 信じるなんて、意味もねえ!」。外交は嘘の中で戦う術です。実も蓋も無い事を書いているように思いますが、あくまでもこれは深層心理であり、感情としては「余程の事」がなければ現れないものです。

しかし、フロイト的に言えば「確実にある形で」現れます。いきなり、話が飛躍するようですが、私はそれが「ゴジラ」を生み出した、と思っているのです。ゴジラは映画の中で日本を容赦なく破壊します。しかし、それと同時に世界に脅威を与えます。第一作目のゴジラは「怨念」のような存在です。まさに「核の落とし子」「人が生み出した恐怖の象徴」です。敵も味方もありません。全てを破壊する存在です。マンハッタン計画を主導し、原子爆弾を開発したオッペン・ハイマーが、自らが開発した核兵器のあまりの非人間的な破壊力に強い罪悪感を覚え、インドの古典から引用した言葉「我は死神なり、世界の破壊者なり」を具現化したのが、まさに「核が産んだ恐怖、ゴジラ」です。
   
とはいえ、ゴジラは映画ですからそこは「娯楽」のための存在です。円谷英二は作品の中で、血が流れるシーンは描きません。ウルトラマンでもそうです。人々が逃げ惑うシーンは描いても、その人々が死んでいく悲惨なシーンは描きません。その「優しさ」があったとしても、ゴジラの「恐ろしさ」は超ド級です。ゴジラもテレビの普及による映画の衰退とともにその姿を変えていきます。第五作目の「三大怪獣 地球最大の決戦」からはヒーロー的な存在となり、それ以後は(商業的な生き残りのため)「子供たちのヒーロー」となります。第九作目の「怪獣総進撃」で実質的に「ゴジラ」は終わっていると思います。「ゴジラの息子、ミニラ」を見た時、子供心にかなりの違和感を覚えた記憶があります。

平成に入ってからのゴジラは「懐かしの怪獣映画」という感じです。確かにゴジラは世界のヒーローにもなり、海外でも多く作品化され、ハリウッドの「ウォーク・オブ・フェイム」に、人間以外でその星(道にプレートが埋め込まれている)に名が刻まれています(ミッキーマウスやドナルドダックも)。最終的には、そのような「有名人」で終わる訳ですけど、第一作目の「ゴジラ」が、変な言い方ですけど「唯一、本物のゴジラ」だと思います。確かに娯楽映画ではありますが、当時の社会を反映した中で現れた「怪獣」です。「誰にも止められない破壊と恐怖」。その登場は、自らの国の破壊と、世界をも破壊する力で、日本人の心に(少し歪ですが)カタルシスのようなものを与えたのではないでしょうか。
   
ご存知の方も多いと思いますが、このゴジラが持つコンセプト「核により現れた怪獣」には元になる小説と映画があります。それは、SFの大御所、レイブラッドベリの「ウは宇宙船のウ」の中に収録されている短編「霧笛(The Fog Horn)」で、これは眠り続けていた古代の巨大生物が「灯台のサイレン」に反応して(仲間の声だと思ってしまう)現れますが、映画ではそれが「核実験」になっています。水爆実験で「蘇った」怪獣がニューヨークの街を破壊する、という、「ゴジラ」のコンセプトと同じで、当然、「ゴジラ」に影響を与えた作品でしょう。この映画には「戦争と核に対する不信感と恐怖」といった、当時の日本人が感じたものと同じものをアメリカでも感じた人々が少なからず存在していたという思いを感じます。

第三作目の「キングコング対ゴジラ」で、日本に上陸したゴジラに対してヨーロッパから、「ゴジラは世界の脅威となる。その殲滅に水爆を使うべき」といった要請が日本に入ります。もちろん、水爆なんて映画には登場しませんけど、これは「強烈」な皮肉を込めたシーンだと思います。まあ、そのように「ゴジラ」に対して「意味性」を持たせる事への良し悪しは置いといて、間違いなく「核と戦争」そして、それが生み出す「暴力」「不毛」を思い起こさせるのが、第一作目の「ゴジラ」であると思っています。おそらく、日本人は、その心理の深層で、それを一番理解できている国民であると感じます。自国と世界への「不信」による「日本人の沈黙」の代わりに現れたのが「ゴジラ」…。

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