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社会・政治 その21「陰陽師 世論操作の政治的機関」


本 テーマに掲げた「陰陽師(おんみょうじ)」が「世論操作の政治的機関」というのは、あくまでも「仮説」なのですが、平安中期以降の彼らを見ているとそれほど突拍子もない考えではないと思います。夢枕獏の描く「陰陽師」は1986年、「オール読物」に掲載された短編が初出のようですが、1988年に単行本化され、以後、シリーズ化して、マンガやTVドラマ、映画作品になっています。特にその陰陽師のスーパースター、「安倍晴明(あべのせいめい)」は映画で野村萬斎が演じてブレークしたのではないしょうか。「陰陽道(おんようどう)」の事も、安倍晴明なる存在にも既に興味は持っていましたので、、夢枕獏の小説が単行本となった時、即読みました。陰陽道は中国の自然哲学である「陰陽五行説」を基にするもので、5~6世紀頃に仏教や儒教とともに日本へ伝わってきたようです。当時は仏教にしても、儒教にしても、後の宗教的な側面よりも「近代的なインテリジェンス(知の体系)、テクノロジー」として伝わってきています。

陰陽五行説も、そうでしょう。言ってみれば、自然科学。天文学であり、科学的思想であり、技術としての暦作成、時間測定、それらに加え、化学的(錬金術的)なものも含まれていたと思います。「風水(ふうすい)」という、自然の「気」の流れを建物、造形物、自然の造形などでコントロールし、人や土地を禍(災害)から守る技術というものも、もとは陰陽五行説に拠っていて、これも占いではありますけど、原始的な「地理学」とも考えられます。つまり、当初の「陰陽師」は、そうした自然科学の専門家集団で、古代日本の律令制の下で、体制の中(陰陽寮)に組み込まれた者たちであった訳ですが、その中心は中国大陸からの渡来人(知識人、技術者)です。この時点までは、陰陽師はその集団を指していたと考えられ、特段、小説のような「怨霊や鬼と戦う術者」のような存在ではなかったでしょう。もちろん、古典的な呪術のようなものはあったと思いますけど。
     
この陰陽師が次第に「政治的」なポジションを朝廷内で占め始めるのは、894年(ハクシに戻せ、遣唐使。懐かし…)、菅原道真の建議で遣唐使が廃止されてからです。それによって、朝廷は優秀な人材(唐からの渡来人)を確保する事が難しくなります。しかも、その頃には「陰陽寮」が天文、陰陽(当時の自然科学体系)、暦、時間計測を専門に司る(独占する)機関として、省の下に属し、位階を低めに設定はされていましたが、「技術系の官庁」としての地位を確立し、その存在は軽くなかったでしょう。ところが先に述べた遣唐使の廃止で、人材不足は決定的になりました。ちなみに、中国ではなく朝鮮半島からも多くの渡来人を受け入れていた古代日本ですが、この時代、朝鮮半島は新羅(しらぎ)が統一しており、かつての百済(くだら)程の交流は無かったため、その人材不足に歯止めをかけることはできなかったようです。そして、その当時の朝廷内での公家の「役職不足」と相まって、陰陽寮で唯一「昇殿の資格(天皇に奏上できる)」を持っていた「陰陽頭(おんようのかみ:陰陽寮の長官)」の地位は単に公家の「役職充足」のためのポジションとなります。

余談ですが、現代でも変わらず、「官公庁」や「政治家」のポストというのは「増えるばかりで、減る事がない」ものです。余談ついでに、「陰陽」は「おんよう」「いんよう」「おんみょう」「おんみやう」と様々な読みがあるようですが、ここでは「陰陽」を「おんよう」、「陰陽師」を「おんみょうじ」とします。別に、内容には全く影響しない事ですが、一応。で、その「陰陽頭」のポジションは平安時代中期になって、「賀茂家」と「安倍家」が独占世襲するようになり、当然、陰陽寮の主な職もこの両家が占める事となります。ムチャクチャ端折っていえば、もともと、「呪禁道」を担当し、祈祷などを行う「典薬寮」は既に「陰陽寮」に統合されており、陰陽道は呪術や道教、神道などと融合し始めています。「安倍家」は天文道、「賀茂家」は暦道という棲み分けがあったようですが、これらすべてに加え、陰陽道、呪術(?)にも長けたスーパースター「阿倍晴明」がここに誕生します。
     
平安時代は富士山の噴火など、地震、洪水の天変地異が多く、世情は不安定といった感が強い期間です。それらは朝廷の権威を少なからず失墜させるものであり、この不安定な人心への対策として登場したのが、カリスマ的な存在、陰陽師であり、その中で最高のスーパースターが「安倍晴明」だと考えています。では、陰陽師たちはこの時代にどう活躍したのか? ここがまさに個人的な「仮説」なのですが、天変地異を「祟り」として喧伝する事だったのではないでしょうか。長岡京から平安京への遷都のキッカケともなった藤原種継暗殺による怨霊の祟りから始まって、「平将門の怨霊」「菅原道真の怨霊」。何かあれば怨霊の祟りとし、また、朝廷内で頻発する公家の争いによる政情不安定を「呪(しゅ)」のせいだとして、もっともらしい祈祷などをして、陰陽師たちが活躍します。活躍といっても、「怨霊を退散させる」とか「鬼を退治する」とかが実際にあった訳ではないでしょう。ここが、「仮説」のコアなんですが、「人は理由が分からないと必要以上に動揺する」ものであると思います。ですから、天変地異があっても「それは平将門の怨霊が祟っているから」とか、公家の誰かに不幸があれば「敵対する誰々が呪(しゅ)をかけているから」とか、それらしいことを言えば、とりあえず「人は納得する」のではないでしょうか。

当然、それは朝廷での権力争いを背景にしていますから、冤罪や陰謀の連続であったでしょう。しかし、結果的にどうしようもない天変地異、事故に対して「必要以上の人心の動揺」を抑える効果があったのではないでしょうか。もちろん、政敵を陥れるための権謀術数ではあるとしても。個人的には、それを仕切って、様々な手法(怨霊信仰的、祈祷、術)でストーリーを作っていく陰陽師が「世論操作」の担い手であった可能性を感じます。阿倍晴明は特に優れた「朝廷のエージェント」であったのではないでしょうか。その証拠、とまでは言えないのですが、陰陽寮という、朝廷内ではそれほど地位の高くない機関が、政治の中枢(人事、天皇の継承権など)に深く関与していたのは事実だと思います。当然、付いた公家の争いに巻き込まれて、陰陽師同士の陥れ合いもあったでしょう。
     
しかし、鎌倉幕府(武家政権)の登場により朝廷の力が弱まってくると、それと同時に陰陽師の力にも陰りが見え始めます。朝廷という「権威」の中で生き続け、滅びることは無かったようですが、かつてのように時代の表舞台は武士に支配され、その武士に使われる事はあったでしょうが、律令制の実質的な崩壊(秀吉の頃か…)により、国家の機関としての陰陽師はその力を失います(陰陽寮は朝廷とともに形としては残ります…)。しかし、陰陽道自体は朝廷から離れて、民間の中に根付き、陰陽師は既に官僚として地位を無くしていますが、各地の民間信仰や民俗儀礼と結びついてしぶとく生き残ります。その一つに、安倍晴明が「五行(木・火・土・金・水)」の象徴として用いた「五芒星」の紋(晴明紋)があります。

これは、太陽暦を採用し、陰陽寮を廃した明治政府も、陸軍の制服にこの「五芒星」刺繍させています。「弾除け」とかで…。陰陽師は、世の深い所で生き続けていたのでしょうか。現代では夢枕獏によりその存在を物語として復活させ、「陰陽師」「阿倍晴明」の名を残しています。それは「ファンタジー」としてブームを起こしますが、平安の「怨霊」や「鬼」を創ったのはそもそもが陰陽師たちであり、「世の関心」を本質とは違う方向に逸らせて、世論を操作する一団が陰陽師であったのではないかと考えます。

もしかしたら、現代社会でもまだ生きているのでは…。例えばマスコミとか政治団体とかの中で…。そこでは「怨霊」や「鬼」など「異形の者」たちが今でも世論操作のために「創り出されている」のかも知れません…。

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