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社会・政治 その22「一期一会を失う社会 ビッグデータ」


本 「一期一会(いちごいちえ)」とは何か? ご存知の方は多いと思いますが、愛用の新解さん(国語辞典)で見ると「茶の湯で、一生に一度だけ出会うこと。そのつもりで、悔いの無いようにもてなせという教え」とあります。「一期」とは「百年の意、一生(がい)。一度の意の漢語的表現」ともあります。余談ですが、私は瀬戸内海沿岸の某地方都市の出身で、高校まではそこに住んでいました。で、その地域はいわゆる「安芸門徒(あきもんと)」といって、浄土真宗の一大勢力地でした。多くの墓石には「一期一会」、もしくは「倶会一処(くえいっしょ、くえいちしょ)」と彫られていました。こちら(関東)に来て、お墓にその字を見る事は無く、皆、家の名が彫られているのに少し違和感を覚えた記憶があります。「倶会一処」とは、ともに一か所に会する事で、阿弥陀経では、死後、全ての者が浄土に往生し、生前の地位も何も関係なく、一緒に暮らすと教えています。また、この世で死ぬのは別々でも、浄土で再び皆が一緒に会えるとの意味でもあります。「一期一会」も同様の意味で使われます。生涯を終えた者が、そこで会う、という事です。茶の湯でいう意味とは少々違いますけど。ですから、何々家の墓とか、ここの墓には別性の者は入れないとか、ありません。

もっとも、最近ではそれが減ってきて、何々家と名前を彫っているお墓が増えているようですけど、そうなると違う家の者は入れません。まあ、墓の話ですから、これからもその在り方は変わっていくのでしょうけど。いきなり抹香臭い話しで恐縮ですが、テーマに掲げた「一期一会」は茶道でいう処の教えの意味です。人が持つ「もてなし」という感情、行為の極みであると思います。
    
その「一期一会」と「ビッグデータ」に、何の関係があるんだ? と思われるでしょう。それは後ほどに書くとして、まず「ビッグデータ」とは何ぞや? について書きます。これを総務省の説明を借りて簡単に言えば「多量性、多種性、リアルタイム性という特徴を伴った形でデータが生成・収集・蓄積される事」。データの出所は様々で、各企業が集めたユーザーのデータもあれば、WEB上でのユーザーの動きを収集したものもあり、それらがクロスして膨大なデータが蓄積されます。しかし、当然、蓄積しただけでは意味がなく、それを商業サービスなどに反映させます。例えば、ファミリーレストランがお客の行動をデータ化して蓄積し、そこから、お客の嗜好、キャンペーンを打つタイミング、メニュー開発などにフィードバックします。電車に乗る時に使うカードなどからも「乗車履歴」が取れます。WEBの検索サービスなども「検索」に関するデータから、ユーザーの嗜好するものを掴むことができます。大手ならこのデータは一秒に数万にも上り、とてつもない量のデータが取れます。いろんな場所に設置されている監視カメラも人の行動を捉えていますから、これも膨大な人の行動に関するデータとなります。例えば、食品を買う時、手に取ってその表示を見ている人が多ければ、賞味期限とか産地などを気にしている人が多いとか、ある売り場で、立ち止まりはするものの、商品を見ているだけの人が多ければ、「あと一押しで買うかも」という仮説が成立し、そこの商品の価格を落としてみる、といったように、ビッグデータは企業の「マーケティング」に利用される訳です。

企業にとって「ビッグデータ」は、無駄を省き、利益を最大化させるための武器となるのです。しかし、それには危うさが伴います。多くの人の行動履歴、行動態度等のプライベートな情報が様々にミックスされ、時にはそれが特定の人物にまで絞り込める可能性があるという事です。そして、それが「漏えい」もしくは「意図的に何者かに渡される」危険性が付いて回るのです。マスコミで「情報漏えい・流出」などの記事を目にする事は珍しくありません。
      
更には、ビッグデータにより、消費行動がコントロールされる可能性もあるのです。いわゆる「マーケティング」は戦争から派生した技術で、雑駁に言ってしまえば「敵に勝つ方法」です。そこには「共存共栄」などの要素はありません。ビジネスと戦争は違いますが、ビジネスを「弾が飛んでこない戦争」と表現する場合もあります。極論すれば「勝てばいい」のです。もちろん、ビッグデータを「福祉」や「地域の活性化」に活かす事も可能でしょうが、そのような動きより、企業の「やる気満々」の姿しか見えてきません。もしこれが、政治などの意思決定レベルで利用されるようになったとすれば、どうなるのでしょうか。いや、それは現実になっているかもしれません。「傾向」と称して、それをあたかも世論のように喧伝すれば、人の行動がコントロールされる危険性は十分にあります。「マーケティング」の技術や「ビッグデータ」が出現してきた背景には、全てが「マス:Mass(大量)」化し、個人の感覚では全体が捉えきれなくなってきたという事があります。戦争が「一騎打ち」から「集団戦」へ、ビジネスが「顔を合わせての売り買い」から「広域流通、大量販売」へ移っていった事の必要から生まれています。それを時代の流れとするのは妥当な見方でしょう。

しかし、問題は「世の中の殆ど」がその流れの中に突っ込んでいく事です。「個人」はどこに行くのでしょうか? 「一期一会」とは、まさに「もてなし」の極みであると冒頭に書きましたが、これは人と人が「一対一」で成立します。人それぞれの「もてなしの気持ち」は100人いればそれぞれに違う筈です。しかし、それをデータとしてまとめてしまえば、統計学的に「一つの傾向」が出てきます。近似値に集約され、例外は除外されるのがお約束の基本です。現実には「人それぞれ」なのに、「ビッグデータ」になれば、それが大きければ大きいほど、一つの傾向に収斂されていきます。これは恐ろしい「矛盾」を社会の中に生み出していくのでは…。学者や知識人からは「その危険性を問題意識として、今から持っておく必要がある」との指摘もあります。

ビッグデータは「プライバシー」の塊で、ビッグデータの恩恵に与かれるのは「ビッグ」な者だけです。個人と個人が相対する場面にそのようなものは必要ありません。「ビッグデータ」の中で、「一期一会」という「もてなし」などは成立しないでしょう。断っておきますが、ビッグデータを否定しているのではありません。その使われ方を懸念しているのです。「みなさん、これがお気に入りのようです」と言われて出されるものは、本当に私の為のものなのでしょうか? 大きなお世話と答えたくなってしまいます。ビッグデータから生み出された「もてなし」、サービスには「人の気持ち」など入りようがありません。

「プライバシー」は個人個人の生き方そのものであり、冒頭に書いた「倶会一処」という考え方を私は好みます。それぞれの一生をそれぞれの形で終えた者同士が、最期にはみな等しく同じく、一緒の処に集まる。その時の言葉は「色々と、お疲れさま」だと思います。

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